オタクにだけ優しいギャルなど存在しない③
「熱っ」
「手首返し過ぎると鉄板に触れるって言ったばっかだろ?
大丈夫か、すぐ冷やした方が良い」
「うん、思ったよりムズいね。
たこ焼き」
普段ならホールを走り回っている時間。
今日の俺は表に出ず、階堂に付きっきりで、
ひたすらたこ焼き製造機になっていた。
巷では機械に人の仕事が奪われると騒がれているが、
教育係を代わってくれるのなら、喜んで差し出したい。
階堂が蛇口で手を冷やしながら、こちらを振り向いた。
「清っちさあ、いつもこんなことやってるの?
大変じゃない?」
「普段の仕事はこの三倍だよ。
まだこれしか教えてないだろ」
「マジ!?
うっはー、自信無くすわあ。
清っちいなかったら途中で帰ってそう」
「帰るなよ。
どんなことでも、最初はつらいもんだろ」
一拍置いてから、思い出したように付け足す。
「階堂、バイオリンやってるんだって?」
その一言で、
階堂の表情が、わずかに止まった。
「え!? 何で知ってんの!
怖っ。ストーカーじゃん」
「前に恋花から聞いただけだ。
顔に似合わないことしてるって」
「恋々《れんれん》、意外と辛辣なこと言うなあ」
恋々?
動物園で人気のパンダか。
俺は階堂が残したたこ焼きを、
串で静かに返しながら続ける。
「楽器の演奏はしたことないけど……
つらい練習だって、結局は慣れだろ」
油が弾ける音が、小さく鳴る。
「慣れれば、手際も良くなるし、
どんな場所でも――多少は、立っていられるようになる」
「どんな場所でも……」
階堂が、同じ言葉をなぞる。
その声は、さっきまでより少しだけ低かった。
俺は、鉄板から目を離さないまま言う。
「ここが、早くお前の居場所になるといいな」
「……!」
ぴくり、と。
何かに触れられたみたいに、
階堂の肩が小さく跳ねた。
どこか照れくさそうに、頬をかく。
化粧した肌を、お客さんの見える所では触らないで欲しい。
「明日からワンチャン体調不良になろうと思ってたけど、
踏ん張ってみようかな」
「自主的に不調を起こすなよ。
お前、体育大会の時もそれで二人三脚サボっただろ」
「あれ、バレてた?」
――本当にこういう奴は、気軽に数日休んで、
出勤日になったら、勝手に気まずくなって音信不通になる。
この店でも既に何人か見てるぞ。
飲食店は覚えること多いから、気持ちはわからないでもないが。
「清っち、ここのバイトしんどくない?
コンビニの方が楽そう」
「コンビニのマルチタスク舐めるなよ。
下手な仕事より作業量多いぞ」
「じゃあ、気楽だから続けてられんの?」
「知ってるか、階堂」
「?」
「ここの店、給料手渡しなんだぜ」
「それが……、
どゆこと?」
この良さが分からないなら、それでいい。
むしろ――
分からないままでいてくれた方が、助かる。
この店の従業員は、店長をはじめ、みんな人が良い。
居心地が良い、なんて言葉で片付けるには、
少しだけ都合が良すぎるくらいに。
誰も踏み込んでこない。
なのに、必要なところだけは、ちゃんと汲み取ってくる。
――とにかく、金が要る。
そういう人間の事情を。
だから、ここでは。
“上手くやれる”。
明細も、振込も、記録も――
全部が、少しだけ曖昧で。
その曖昧さが、今の俺には都合がいい。
もちろん、労基は守られる。
高校生は二十一時台には帰らされるし、
それ以上は踏み込ませない一線もある。
それでも。
この場所は、俺にとって、
他よりほんの少しだけ――息がしやすい。
ホールを走り回る俺の代わりに、
店長が合間を縫って声を掛けてくる。
「清継君、階堂ちゃん、上がっていいよー! サンキュね」
俺は少しだけ胸を張って、声を返す。
「お疲れ様でーす!」
本日の業務終了。
お疲れ様でした。
*
帰りも必然的に、階堂と一緒になった。
彼女は電車で帰るつもりだったらしいが、
俺がバスだと知ると、到着まで付き合うと言い出した。
本音を言えば、今日はもう限界だった。
一人で、何も考えずに帰りたかった。
それでも気づけば、
俺たちはバス停近くのベンチに腰を下ろしている。
脚を投げ出すと、足裏の奥に溜まっていた熱が、じんわりと広がった。
街灯が、遠くで瞬く。
風が、遅れて頬を撫でていった。
階堂は、自分のふくらはぎを軽く叩きながら、
いつもの調子で口を開く。
「いやー清っち、今日はありがとねん。
バイト初日の帰りってさ、だいたい萎えるんだけど――
今日はなんか、チルってるっていうか。やりきったー、みたいな」
「そうかい。そりゃ良かったよ。
火傷、痛み引かなかったらちゃんと病院行けよ。
バイオリン、弾けなくなるぞ」
「うわびっくり。
やっぱ、清っちは優しいんだね」
少しだけ間を置いてから、続ける。
「笹もっちを全力介護してただけあるわ」
「笹餅?
美味いよな」
そう答えると、階堂は大きく溜め息をついた。
肩の力がふっと抜けたように見える。
「笹餅じゃなくて、ささもっち。
笹本ちゃん。
これ、恋々にも言った気がするなあ」
「笹本だって?
どうしてあいつの名前が出てくる」
言葉が、少し硬くなる。
「俺はあいつに付きまとって、
振られるって分かったら手を上げた――」
「それ、嘘っしょ」
「――!」
喉の奥が詰まる。
咳き込む寸前で、どうにか飲み込んだ。
そんな俺を見て、階堂は明るく、軽やかに笑った。
「やーっぱりね!
あの日の恋々の顔見てたらすぐ分かったよ。
清っちが自分犠牲にして、笹もっちを守ったんだって」
「どうして恋花の顔で、そんな事がわかるんだよ」
「どうしてって、恋々は清っちラブじゃん」
「は?」
まただ。
水上に続いて、こいつまで。
恋花が俺のこと好きだって?
いや、あり得ない。
新学期からどれだけアプローチしてきたと思ってる。
互いに好意があったなら、もっとスムーズに意思疎通できているはずだろう。
念のため、問い返す。
「その話、去年のこと言ってるんじゃないだろうな」
「なわけ。
現行、なうだよ」
あっけらかんと言い切る。
「恋々は清っちが好き。
だからあの日、あんな顔してたんでしょ」
あんな顔――。
脳裏に、あの時の恋花の表情がよぎる。
「清っちも恋々のこと好きなんしょ?
復縁しようとしてるくらいなんだし」
「……」
「それなのにさ。
気付かないとか、普通にひどくね?」
言葉に、少しだけ棘が混じる。
俺は、わずかに苛立ちを滲ませた。
「階堂。
お前、何言ってんのか分かってるか?
あれだけ普段から距離とられて、
今さら『実は俺のことが好きでした』なんて信じられるか」
「ほんとほんとの大マジだって!」」
けれど階堂は、まるでそれさえ面白がるように、
口元を緩めた。
夜風が、髪を揺らす。
その向こうで、彼女の瞳だけが、妙に静かだった。
「じゃあさ」
ふっと、声の温度が落ちる。
「唯菜が、清っちに協力してあげよっか?」
軽口のはずの言葉が、
どこにも着地しないまま、空中に留まる。
冗談にしては、
目が笑っていなかった。




