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オタクにだけ優しいギャルなど存在しない


「説教中に時計を気にするとは、

 良い度胸だな、汐森しおもり!」


「いえ……

 すんません」


 感情の抜け落ちた声で、形だけの謝罪を返す。


 さて、警察官には交通安全運動というものがある。


 交通事故の予防や、

 ルールの遵守を啓発する取り組みだ。


 その期間中は、速度違反や飲酒運転、

 違法改造車の検挙数が目に見えて増える。


 ――普段からやれよ。


 そう言いたくなるが、

 どの仕事にも「数字で成果を示す」瞬間があるのだろう。


 教員も例外ではない。


 校則違反の摘発、補習対象の管理、素行不良の矯正。

 そして、上の目が光る夏休み前ともなれば――なおさらだ。


「全く、お前には反省の顔色が全く見られん。

 玄関窓をぶっ壊すなんて、俺の時代でしか見たことないぞ」


「はい……

 すんません」


「反省文が書き足りないのか。

 ええ?」


 曖昧な比較で押し潰し、課題で縛る。


 人を指導する立場になるには、

 人間性の欠如が必要らしい。


 それを身をもって教えてくださっているのだろう――


 見上げた教師だ。


 俺は最近、このありがたい教えを頂く日々が続いている。


 停学明けから、罰としてのプール清掃。

 朝一番の挨拶運動への強制参加。

 原稿用紙に何枚も重ねさせられる反省文。


 気が付けば、

 教師たちの「成果」に都合の良い生徒になっていた。


 ……まあいい。


 取り締まられる側に回ったのは、紛れもなく俺自身だ。


 甘んじて受け入れようじゃないか。


 廊下の壁掛け時計へ視線をやる。

 その動きを塞ぐように、教師の声が被さった。


「さっきから時間ばかり気にしているな。

 俺の話は退屈か?

 それとも、デートの約束でもあるのか」


「そんな約束があれば、ここにはいません。

 ……申し訳ないんですけど、バイト遅刻するんで、もう行っていいですか」


「バイトだと?

 社会人の真似事をする前に、学ぶべきことがあるだろう」


「では、社会を学ぶために遅刻します、と連絡を入れさせてください。

 どうやら社会では、遅刻は些細なことらしいので」


「お前……!」


 好きに怒ればいい

 それが、あなた方の仕事なのだろうう。


 それが正しい形だと信じているのなら――きっとこの人は、

 “俺の時代”とやらで、正しく叱ってくれる誰かと出会えなかったのだ。


 感情で押し潰される側の痛みを、

 知る機会がなかったのだ。


 ……せめて、哀れむくらいはしてやる。


 だが――


 どうして俺がここに立っているのか。

 どうして、あんなやり方しか選べなかったのか。


 その理由くらいは、聞いて欲しかった。


 廊下で公開指導を受ける中、

 帰宅する生徒たちの視線が、次々とこちらに絡みついてくる。


「あの汐森しおもり清継きよつぐでしょ」――


 ひそひそと、波紋のように囁きが広がっていく。


 きっと、その「あの」は――

 一ヶ月前とは、まるで意味が違う。


 人気者だった清継は、

 今や問題児の清継へと、呼び名の中身ごとすげ替えられた。


 俺は生活指導の教師の額を睨み、

 諦めの息を、ひとつ吐き出す。


 目を閉じる。


 蝉の声が、やけにうるさい。


「いたいた、汐森くーん」


「……!」


 聞き慣れた声に、

 身体が反射的に跳ねる。


 視線を向けた先にいたのは――


 担任の、近島先生だった。


 それに軽く会釈した生活指導の教師は、

 さっきまでの湿った声色を、嘘みたいに切り替える。


「ああ、近島先生。

 お疲れ様です。何か御用でしたかな」


「すみません、お忙しいところ。

 汐森君に急ぎの用件がありまして。お借りしてもよろしいでしょうか」


「そうでしたか。

 いやなに、ちょうど指導も終わったところでしたので、問題ありません。

 ……近島先生もご苦労なことで。

 では汐森、以後気を付けるんだぞ」


 俺は律儀に「はい」とだけ返して、

 去っていくその背中を見送る。


 ――唾でも吐いてやろうかな。


「転んでしまえ」


「汐森君、心の声が漏れてるよ」


「え、俺、

 先生に“愛してる”って言ってました?」


「心の中、そんなことになってたの」


 苦笑する近島先生が、やけに可愛い。


 この顔が見られたのなら、

 公開指導を受けていた甲斐もあったというものだ。


 俺は、ようやく息を吐いた。


「それで先生、俺に用件というのは?」


「ん?

 忘れちゃった」


「いやいや、今さっきの数秒で忘れたなら、

 天然を通り越して若年性アルツハイマーですよ。

 教え子の誰が最初に記憶から消されるのか、気になって今夜は眠れません」


「生徒の名前は忘れないよ、失礼な!

 ……多分、大した用件じゃなかったんだと思う。

 思い出したらまた声掛けるね」


「そんなわけ……」


 ――いや、あるのだろう。


 近島先生は新任教師だ。

 予定の一つや二つ、記憶から滑り落ちることだってある。


 ……なんて。


 本当は最初から、

 俺をあの理不尽な指導から引き剥がすための、口実だったのかもしれない。


 だとしたら――


 本当に、見上げた先生だ。


「汐森君、これからバイト?」


「はい」


「そっか。応援してるね」


 駄目だ、好きになる。


 いや、もうなってる。


 こんな人と関わっていたら、確実に性癖が歪む。


 好きな女性のタイプ“新任教師”とかいう、

 社会的にちょっと危ない人間が出来上がってしまう。


 落ち着け、清継。


 まずは冷静に、近島先生の数を数えるんだ。


 近島先生が一人……

 近島先生が二人……


 楽園じゃないか。

 元気出てきた。


「先生、ありがとうございます」


「うん、道中気を付けてね」


「はい」


 人を動かす“やり方”にも、いろいろあるらしい。


 怒鳴ることも、縛ることも、その一つなのだろう。

 でも――それだけじゃない。


 俺は小走りで、学校を後にした。


* * *


 古びた木の扉を横に引き、

 暖簾をくぐるなり、俺は反射的に頭を下げた。


「遅れてすみません!」


 バイト先のお好み焼き屋は、

 入口を開ければすぐカウンター席だ。


 幸い、まだ客の姿はない。

 それだけで、胸の奥に溜まっていた息が少し抜ける。


 遅刻なんて滅多にしない。

 多少の動揺はあっても、必要以上に騒ぐほどのことじゃない。


 店長はおおらかな人だ。

 軽く小言を言われるくらいで済むだろう――


 そう思っていたのだが。


「あーれっ、きよっち!?

 うそ、清っちじゃん。やっば」


  ——何。

 一昔前に爆発的に流行った電子ゲーム?


 視線を向けると、そこには同年代の女子が一人。


 制服。


 だが、その上に乗っているのは、

 飲食店には到底似つかわしくない金髪。


 しかもピンクのメッシュ入り。

 長い髪を後ろで結んでいる。


 店長の隣に立っている以上、客ではないのは明らかだ。


「……誰だ?」


 思わず、そのまま口に出た。


 女子は気にした様子もなく、

 距離感ゼロのまま、軽やかに言い放つ。


「やーだなー。

 同じクラスの階堂かいどう

 階堂 唯菜ゆいなさんだよー!」


 屈託のない笑顔。

 壁という概念を最初から持ち合わせていないような態度。


 その明るさが、

 今の俺には、やけに眩しくて。


 言葉が、一瞬だけ詰まる。


 ――で。


 結論。


 誰だ。

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