角砂糖には蜂蜜とシロップを
「恋花先輩、清継先輩のこと、好きだと思いますよ」
水上のやつがそんなことを言うもんだから、
最近、妙な夢を見ることが増えた。
いや、決して、いつかのような悪夢じゃない。
それよりも、停学期間中のある朝。
目を覚ましたら、部屋に五里が立っていた日の方が、
よほど悪夢に近かった。
俺、多分あいつに住所、教えてない。
……それはさておきだ。
最近、夢を見る。
恋花と付き合い始めた頃の夢だ。
あの頃に戻りたいなあ、という願望が、ついに妄想の垣根を越えて、
夢にまで染み出してきたのかと思うと――
いよいよ、
心の相談窓口の戸を叩く日も近い気がする。
「夢でも現実でも、女の子のことで頭がいっぱいです」って。
たぶん、人一倍健康な精神状態だって理由で、
「二度と来るな」と出禁の誓約書を書かされるだろう。
それでも、今日も目を閉じる。
また戻れるだろうか――。
俺とあの子が、
互いを疑うこともなく、
互いを想い合えていた、あの日々に。
* * *
「つぐ君……きよつ……」
誰かが呼んでいる。
お巡りさん?
違います、冤罪です。
俺は痴漢なんてしていません。
「清継君!」
「おわっ」
肩を強く揺さぶられ、俺はベンチから跳ね起きた。
俺としたことが。
どうやら、寝ていたらしい。
しかもかなり深く。
叩き起こされた反動で、胸がどくんと跳ねる。
――ああ、そうだ。
ここは臨海パーク。
遊園地エリアがあり、水族館があり、
小さいながらも美術館まで併設された――
デートの定番スポットだ。
一通り視界を巡らせたあと、
俺は一般人が紳士の皮を被れる精神系大魔法――
『お手洗いとか、大丈夫?』を発動する。
それで促した彼女のトイレタイムを待つため、
近くの洒落た白いベンチに腰を下ろした。
……はずだったのだが。
その、ほんの数分で、俺は眠りこけていたらしい。
呆れと心配が半分ずつ混ざったような視線で、
《《恋人の》》恋花が、俺の顔を覗き込んでいた。
「大丈夫?
昨日あまり眠れてないの?」
今日のデートが楽しみで一睡もできず、
目を血走らせながら、三時間前には待ち合わせ場所にいました。
なんて恐ろしい真実は、墓まで持っていくつもりだ。
「ごめんごめん。
初デートってなったら緊張しちゃってさ。
今、気が抜けたのかも」
「清継君も緊張なんてするんだ。
可愛いね。眠かったら、膝貸そうか?
なんて」
「なななな、なんてこと言うんだいハレンチな!?
三十分でいくらなんだい!?」
「へ、変なこと言わないでよ!
ねえ、おかしなお店とか行ってないよね!?」
「行かないよ!
急に距離感詰められたら、びっくりするだろ!?」
「だ、だって……もう清継君は彼氏なんだし。
いいのかなって。
私、今まで恋人いたことないから、正しい付き合い方とか分かんないもん」
そう言って、少しだけ視線を逸らす。
胸の奥が、じん、と鳴った。
守りたいとか、大切にしたいとか、そういう大層な言葉よりも先に――
ただ、愛おしいと思ってしまう。
彼女が、可愛い。
そうです。
ガールフレンドです。
もう一度、言いましょうか。
彼女が可愛い。
リピィート・アフター・ミー。
彼女が、可愛い。
ありがとう、ありがとう。
高校に入学して、春が訪れた。
中学時代から気になっていた女の子。
向崎恋花と交際するに至り、毎日が薔薇色だ。
彼女は純粋無垢で、反応の一つひとつが、
そのまま心の動きを映したようで可愛らしい。
――だからこそ、少しだけ怖くなる。
この世の悪を、彼女はあまりにも知らない。
良いものも、悪いものも、
区別がつかないまま受け取ってしまうんじゃないか。
そんな心配が、頭をもたげる。
だから俺が、恋花にとっての“良い彼氏”でいなければならない。
守って、導いて、
間違えないようにしてやらなければ――なんて。
――全く。
最初の彼氏が俺で良かったよ。
なんて中学時代の後輩の前で口にしたら、
「どの口がほざいてるんですか」
と、正論の鉄槌が飛んでくるに違いない。
それでも。
彼女が笑ってくれるなら。
その隣にいられるなら。
今日くらいは、
この浮かれた心のままでも、許してほしい。
俺は紅潮した顔を誤魔化すように咳払いして、
恋花に向き直る。
「正しい付き合いとか、その……これから一緒に見つければいいだろ。
まだ先は長いし、ゆっくりでさ」
――おわああああ、今の俺キモいか?
重いか?
重いよな?
録音して聴き返したら、
布団に顔を埋めて悶絶するタイプの発言じゃないか?
この歳で“これから”とか言うの、
将来設計気取りだと思われないだろうか。
自分の言葉に酔ってる感じ、出てないか?
そもそも、正解を語れるほど経験者じゃないだろ俺。
分かんないんだよ!
こっちだって初彼女なんだ!
義務教育に『恋愛』の授業を組み込め。
拗らせた大人と少子化については、国が責任を取ってくれ。
恐る恐る、恋花に視線を向ける。
……耳が、赤い。
彼女もまた顔を伏せたまま、
そっと口を開いた。
「うん。
ずっと一緒に、居ようね」
「……!」
――死ぬ。
死因は、恋愛糖分の過剰摂取による心臓発作。
今の恋花のセリフは、
着信音と目覚ましのアラームに設定すべきだ。
きっと毎朝、いつ他人に聞かれるかと怯えながら起きる、
刺激的な人生になるに違いない。
……いや、落ち着け。
浮かれるな。浮かれてるけど。
これからも、恋花と生きていくんだ。
だからこそ、絶対に簡単には別れないようにしないといけない。
俺は照れ隠しに、ぱん、と両手を打った。
「そ、そうだ。
これからも一緒にいるんだしさ。
今のうちに、お互いがしてほしい事と――
一番されて嫌な事、ちゃんと話しておかないか?」
「あ、それいいかも!」
「恋花は、何かあるか?」
「私から?
うーん……そうだなあ」
恋花は顎元に指を当て、
少しだけ視線を上に向けて考える。
やがて、口許をふわりと綻ばせてから、言った。
「浮気は、絶対に許しません」
「……したら、どうなる?」
「去勢」
「え、怖」
想像を絶する刑罰だった。
浮気しないのは当然として、
疑われる芽すら摘んで生きていこうと心に誓う。
俺は、わずかに声を震わせる。
「ほ、他には……?」
「されて嫌なのは、それくらいかなあ」
「……じゃあ、してほしい事は?」
「別に、毎日メッセージしてとか、
電話してとかは言わないよ」
一拍置いて、恋花は続ける。
「たださ。私のこと、
ずっと好きでいてほしいな」
「そんなの当たり前だろ。
わざわざ言わなくても大丈夫だよ」
「私、清継君が初彼氏だよ?」
念を押すように、彼女は言う。
「……なんなら、初恋なの。
もし別れたら、立ち直れない自信がある。
もう人を好きになれないと思うし――」
そこで一度、言葉を探すように間を置いてから、
少しだけ困ったように笑った。
「何が理由で別れてもさ。
清継君には、しばらく私のこと引きずっててほしいな」
「……堂々と言うなあ」
意外だった。
恋花は、別れを怖がるタイプだとは思っていなかった。
けれど、初恋だと言うなら、きっとこうなる。
恋なんてものは、今が一番だと思っている最中ほど、
他の未来を想像できなくなるものだ。
次があることも、忘れられることも――
まだ、知らないだけなのだろう。
なら、それを無理に教える必要はない。
忘れないように、胸に刻んでおけばいい。
俺は、自分の胸を、軽く叩いて鳴らした。
「分かった。俺は何があっても恋花を好きで居続ける。
良い彼氏でいるよ」
「ふふ、ありがとう。
清継君、大好き」
「……!」
びっくりした。
ダイイングメッセージにまで『恋花LOVE』と残すところだった。
俺の心臓が爆速で鳴っているのを、恋花は知らない。
「じゃあ次は、清継君の番ね?」
「俺もか」
「当たり前でしょ。私も知りたいもん」
「えーと、なんだろうな……。
して欲しいのは毎日のキス、かな」
「うぇ!?
ほんとに?
が、頑張る…」
駄目だ、この子。
従順すぎて、それ以上を望んでも拒否されそうにない。
俺は慌てて弁解する。
「じょ、冗談だよ!」
「な、なんだあ……
ちゃんと話してよ。
真面目にやってるんだから」
「ごめんて。
そうだなあ……」
少しだけ、釘を刺すような言い方になったかもしれない。
「俺の家族のことを、
無理に知ろうとしないでほしいかな」
「え、どうして?」
「恥ずかしいからだよ。
ちょっと変わった人たちだから、それで俺に変な印象を持ってほしくない」
「ふふ、そうなんだ。逆に気になっちゃうけどなあ。
楽しそうな家族だね。
でも分かった、努力します」
俺は胸を撫で下ろす。
そう、俺の家庭環境はとっても愉快だ。
純粋な恋花が関わっていい話じゃない。
恋花は小首を傾げて、にこりと笑う。
「じゃあ、して欲しくないことは?」
「俺も……浮気、くらいかな。
女々しいけど。
他の奴を好きになるなら、ちゃんと区切りを付けてからにしてほしい」
「えー、それだけ?
それは常識だから心配いらないよ」
「恋花も同じこと言ったじゃん」
「私はいいの。
他は?」
他と言われても……
男女関係で起きそうな問題なんて、それくらいだと思う。
トイレの蓋は締めてとか、
食器は水に浸けて、とかはもっと先の話だろう。
恋花を見る。
期待するような瞳をしている。
もう、「ありません」は通用しなさそうだ。
ならば。
俺は観念して、深く息を吐いた。
「俺の生き方を否定されること、かな」
「生き方……
生き方、ね」
恋花は一度だけ言葉を反芻してから、ぱっと表情を明るくする。
「分かった。
清継君を傷つけることはしないよ。大丈夫!」
得意げに胸を張るその姿が、
あまりにまっすぐで、少しだけ眩しい。
そして彼女は、柔らかく微笑んで続けた。
「じゃあ約束。
これからも、側にいるね。
大好きだよ」
「ああ、約束だ。
俺も大好きだ、恋花」
それ以上、言葉はいらなかった。
俺たちはしばらくの間、
涼しい潮風に吹かれながら、ただ時間を垂れ流す。
せっかくのデートのひとときを無駄にするのも、悪くない。
指先が、そっと触れ合っているのだから。
第三章、凡人にも出来るコト
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