人は、手放したあとでも想い続けてしまうものを特別と思う
「もしかして、汐森先輩じゃない!?」
「え、本物!?
うそ、ヤバ……超かっこいい……」
「ていうか、実在してたんだ……
都市伝説だと思ってた」
「なんで一年のフロアにいるの……?」
人の波が、絶え間なく流れていく。
制服の擦れる音と、靴音。
それらが、やけに遠く聞こえた。
「あの……汐森清継先輩、ですよね?」
「ん? ああ。そうだよ」
「「きゃああああああ!」」
俺は化け物か何かか。
リアクションがほとんど、
ベランダで下着泥棒と鉢合わせた時と同じだ。
誰かが俺のことを、“パンツハンター”とかいう、
不名誉な称号で広めていなければいいが。
「汐森先輩みたいな人が、 どうしてここに居るんですか」
「ああ、人を探していたんだよ。
水上瑞希の教室って、何組か分かる?」
「みなかみさん、ですか?
どこかで聞いたような……」
「図書委員の」
「うーん……」
「『伝説の清掃員』の著者だ」
「あ、あの子ですね!」
水上よ。
どうやらお前は、もはや個人ではなく概念らしい。
ゲーリー・ゲリバルトと並び称される日も近い。
あの日、伝説の誕生に立ち会えたことを、俺は誇りに思う。
「四組にいますよ」
「助かる。ありがとう」
「「きゃああああああ!」」
その悲鳴に、思わず身をすくめる。
この叫び声、
後ろに「この人痴漢です!」が続いても違和感がない。
軽く会釈して、その場を離れる。
雨上がりの空気のように、少し湿った緊張感が後ろに残る。
――四組、四組……。
そういえば。
俺は今日まで、水上のクラスを知らなかった。
話す機会なんて、いくらでもあったはずなのに。
それなのに俺たちは、
チャーハンにグリンピースは必要かとか。
50%の確率で、投入金額が倍になる闇のゲームに、
いくらまでつぎ込めるかとか。
くだらない議論に夢中になっていた。
おかしな話だ。
そのうち、宇宙人の存在について、
小一時間語る日も来るのだろう。
口元が、わずかに緩む。
一年四組。
教室の中を、そっと覗き込む。
——誰かが言っていた。
後輩を覗くとき、
後輩もまた、こちらを覗いているのだと。
視線を差し入れた瞬間、
その何倍もの視線が返ってくる。
居心地が悪い。
早く帰りたい、と素直に思った。
それでも。
声を張る。
「水上はいるかー。
水上瑞希だ」
教室の空気が、一斉に動く。
視線が、ひとつの点に収束する。
探すまでもなかった。
水上は、弁当を広げたまま固まっている。
白飯を口に運ぼうとした、その途中で。
口を開けたままの、間の抜けた顔。
「水上、何やってんの。
行くぞ」
その一言で。
時間が、わずかに揺れる。
箸が止まる。
白飯を掴んだまま。
そして——
ぽろり、と。
一粒。
白が、器の縁からこぼれ落ちた。
水上の瞳は瞬間的に大きく見開かれ、
まるで時間が止まったかのようだった。
*
「いや、ほんと意味分かんないですって。
教室来るならせめて連絡して下さいよ」
「したよ。
メッセージアプリで」
「アプリ名は」
「テレパシー」
「誰が脳内に直接送って来いって言ってんですか!
どうりで迷惑メールフォルダ漁っても出ない訳ですよ」
「待て水上。
なぜ、俺のメッセージが既に迷惑リストに登録されているんだ」
「清継先輩の文章なんてわざわざ迷惑リストに入れなくても、
スマホ側から受け取り拒否するんですよ」
「お前のスマホ、性格悪くね。
修理出した方が良いぞ」
「先輩もテレパシーアプリ入ってる機器アプデした方が良いですよ。
年中バグってるんで」
なんて失礼な後輩だ。
清継セブンティーンは優秀な機器だ。
使い勝手は快適で、よく働く。
怪しいのは、検索履歴が「元カノと復縁する方法」で埋まっていることくらいだ。
……いや、それがバグってるのかもしれない。
水上を引き連れて、図書室の扉を押し開ける。
陽光が差し込むはずの場所も、
鉛色の空に塞がれ、陰が静かに沈殿していた。
向かい合う席に腰を下ろす。
さて、何から話そうか――と、思考を整えるより先に。
「清継先輩。
笹本先輩と、何かありましたね」
「え」
「図星でしょう。顔に書いてあるんですよ。
やっぱりその機器、バグってます。
情報ダダ漏れなんで、早急な修理をお勧めします」
水上は、見抜いたぞ、
とでも言わんばかりに得意げな表情で俺を見据える。
その視線に、身体中の空気が音を立てて抜けるような感覚がした。
「……もう、修復の効かない所まで来てしまった。
友を、理解者を失った――すごく悲しい」
「そうでしたか」
あっさりとした相槌だった。
「水上は、親友を失くしたことはあるか」
「そうですねえ……」
一瞬、思案する。
「当時、特別に親しかった友達が、
クラス替えをきっかけにまったく関わらなくなったことなら、しばしば」
一拍。
「でも、それはきっと“失った”のではなく。
暫定的な親友のポジションが、別の子に入れ替わっただけなのだと思います。
だから、思い出すことはあっても、悲しみを感じる暇はありませんでした」
少しだけ、自嘲するような笑み。
「ですので、清継先輩の気持ちを真に理解する事は出来ません」
「そうか」
俺は、指を組んだまま、無意識に弄ぶ。
こんな話をするには、図書室は適していなかった。
外であれば、缶ジュースでも片手に持ちながら、
少しは気を紛らわせることができたのに。
そのもどかしさを察したのか、
水上は、ほんのわずかに口元を緩めた。
「清継先輩は、どうして私にこんな話を……?」
「分からない。
多分、次に失くしたくないと思ったのは――お前だからだと思う」
言葉にした瞬間、
自分でも少し驚いた。
水上は、不意を突かれたように小さく肩を揺らす。
「圭吾先輩は、どうなんですか」
「あいつは……ずっと一緒だったからな」
視線を落とす。
「どこかに行ってしまうっていう想像が、できないんだ。
仮に離れても――なんだかんだで、繋がってる気がする」
「まさに、親友ですね」
「ああ。でも――」
一拍。
「水上、お前とは違う。
どうなるか、まったく分からない」
言葉を選びながら、続ける。
「卒業で終わるかもしれないし、
恋花とのことが片付いた時点で、途切れるかもしれない。
……笹本も、そうだった。
特別だと思ってた人間でも、平気で居なくなる」
喉の奥が、わずかに軋む。
「それを知って、初めて――怖くなったよ」
水上は、当時の親しい友を「暫定的なポジション」と呼んだ。
その言葉は、今の俺にも当てはまる。
清継復縁プロジェクトは、今年のクリスマスまでに決着がつく。
成功しようと、失敗しようと、それで終わるのだ。
水上にとっての親しい先輩も、
結局は暫定的な存在に過ぎないのだろう。
水上はゆっくりと瞬きを重ね、
言葉を探すように口を開いた。
「はい。
私も、いつまで清継先輩の“親しい後輩”でいられるかは分かりません」
穏やかな声音だった。
「でも、それは仕方のないことだと思っています」
「寂しい事を、言うんだな」
「そりゃ生きていれば、人は入れ替わるでしょう。
関係も、出来事も、形を変えて――過去になっていく」
視線が、まっすぐこちらに戻る。
「自分も、相手も、変わり続ける。
だから――」
一拍。
「それでも、変わらずに想い続けてしまう相手を、
“特別”と呼ぶのではないでしょうか」
静かな定義だった。
けれど、その言葉は、妙に重い。
「依存できる物を、特別と思うってことか」
「あはは、違いますよ!
恋花先輩のストーカーらしい考え方ですね」
真面目に答えたのに、笑われてしまった。
思わず不貞腐れる。
水上は、俺の表情など意に介さない様子で、淡々と続けた。
「逆です。
手放したあとでも、想い続けてしまうものを――特別って呼ぶんですよ」
一瞬だけ、言葉を切る。
「だから、きっと。
私にとって先輩は……いえ。
清継先輩にとって、笹本先輩は特別なんじゃないですか」
「……ああ、そうか」
胸の奥で、何かが静かに噛み合う。
「だから、俺は――」
「決別しても、見捨てた訳じゃないんでしょう?」
言葉を継がれる。
いつか笹本の抱えていた苦しみに触れたなら、
きっとこの結末に辿り着くのだと、どこかで分かっていた。
それでも――
救いたいと思った。
失うかどうかじゃない。
失ってもなお、残るものがあるかどうか。
それが、特別だというのなら。
――俺は、もう迷わない。
胸の奥に溜まっていた重みが、
音もなくほどけていく。
「ああ……ありがとう、水上。
これからやろうとしている事への恐怖が、少し消えた気がする」
「下着泥棒ですか。
恐怖心よりも、自制心だけは忘れないで下さいね」
「なわけねえだろ! 」
思わず声が荒れる。
「俺をなんだと思ってんだ!?」
水上は、口元を隠してくすくすと笑う。
「何があっても、『良い人』から進展しない先輩ですよ。
頑張って下さい」
「――……」
言葉を探す。
けれど、上手い返しは浮かばなかった。
「……おう」
それだけが、やけにしっくりきた。
さて、体育大会の時だったか。
考えていた事がある。
どれだけ策を尽くしても。
俺の手では笹本のいる教室を、
あいつにとっての“日常”にしてやれないと悟ったなら——どうするべきか。
俺も、誰かにバトンを繋ぐ覚悟を持たねばなるまい、と。
水上に、話をして良かった。
* * *
放課後の渡り廊下。
淡い夕陽が校舎の壁を橙に染め、
長く伸びた影が、床に静かに沈んでいる。
その中を、ひとつの影がこちらへ近づいてきた。
呼び出しに応じて現れたのは、
麗しく、凛とした佇まいの女子生徒――。
切り揃えられた髪が、歩みに合わせて揺れる。
無駄な音はひとつもない。
ただ、それだけで。
場の空気が、わずかに引き締まる。
「やあ、清継君。
調子はどうだい」
爽やかでいて、芯の通った声。
「気に掛けていた子がさ。
自傷行為が趣味の地雷女で」
言葉を吐き出す。
「助けようと手を伸ばしたら、スマホで写真を撮られた挙げ句――
『この傷はあんたにやられた』って喚き散らすぞ、と脅された気分だ」
「最悪じゃないか。
すぐ病院に行ったほうが良い」
「今は医者よりも――」
一歩、踏み込む。
「俺の無実を証明してくれる弁護士と」
視線を上げる。
「それから――」
まっすぐに、射抜く。
「お前の力を貸して欲しい。
王子」
沈黙。
渡り廊下を抜ける風が、
わずかに温度を変えた気がした。
「……ほう」
短い相槌。
だがそこには、興味と、測るような気配。
そして、踏み込む覚悟が混じっている。
曇天の切れ間から、
一筋の光が差し込んだ。
その光に照らされてもなお、
皇 美姫は目を細めない。
ただ、まっすぐに立っている。
「必要とあらば、力を貸そう」
一拍。
「清継君」
その声には、迷いがなかった。
選ぶと決めた人間の、
揺るぎない響きだった。




