この世で最も感染力の高いウイルスの名は『二人だけの秘密』
登校日初日ということもあって、午前中で下校になる。
毎日、これくらいの気力と体力を残して家に帰れたなら。
日本の世界幸福度ランキングは、
もっと上位になるに違いない。
いつもよりも軽快に聞こえる予鈴を耳にし、
帰り支度をしていると――
不意に背中を強くどつかれた。
「よ、清継!
今年も同じクラスだな。
それに汐森&向崎、有名カップルも再誕ってか?」
「黙れ圭吾。
まずはその汚物みたいな口を閉じろ」
「さすがに酷くねぇか……」
「何が酷いだ。
俺が恋花と別れたって言いふらして回ったのお前だろ」
「あれ、バレてる?」
板橋圭吾。
こいつ気軽に“親友”と呼びたくない理由がこれだ。
あまりに軽率で馬鹿――いや失敬。
理解に時間を掛けて味わうタイプだ。
とはいえ。
去年恋花と付き合うきっかけを作ってくれたのは、
間違いなくこいつの功績。
だからこそ、
別れたことも伝えるのが義理だと思い、圭吾にだけは告げた。
“誰にも言うなよ”と言えば、
逆に誰かに漏らしたくなるのが人間。
だから俺は、被害を最小限にするため“あまり言いふらすなよ”と柔らげた。
まさかそれが、
学年中に広まると誰が予想できたか。
この迅速な散布能力、
前世は天井のスプリンクラーだろう。
「いや〜、周知されてた方が傷口も塞がり易くなるかなって」
「誰が傷口を焼いて塞げと言った」
「痛いのは最初だけだからさあ」
麻薬の密売人みたいなことを言うな。
こいつに何を言っても無駄だ。
板橋 圭吾という、
愛すべき迷走生命体に相談した俺が、そもそも間違っていたのだ。
いずれにせよ、
遅かれ早かれ知られる事実ではある。
もういい。
何も言うまい。
「それで?
お前の言ってた『親睦会』ってのは何なんだ」
「よくぞ聞いてくれた。
この後さ、皆でカラオケ行こうぜえ」
やっぱりそれか。
見知って間もない人間の前で歌うという行為は、
普通なら罰ゲームに近い。
だが、その“普通”という概念が、圭吾にはそもそも搭載されていない。
「いや、俺は――」
「みんなー!
この後一緒にカラオケ行かねえかあ!
もちろんそれぞれの自腹でな!」
返事など待つ気もなく、
圭吾は教室全体に響く声で叫んだ。
すると、数人の女子が疾風のようにこちらへ駆け寄ってくる。
「え、汐森君も一緒に行くの!?」
「いや、だから俺は――」
「汐森君の歌とか、超レアじゃない!?」
ええい、散らばれモブキャラ共。
……などと心の中で毒づいてはみたものの、
もはや断れる空気ではなくなりつつあった。
その時だ。
圭吾が、窓際で談笑していた恋花に向けて、何の気なしに声を投げた。
「なあ、向崎もカラオケ行くだろ?」
その一言で、俺の身体がわずかに跳ねた。
見えない指で心臓をつままれたような感覚。
胸の奥が、きゅっと狭くなる。
「えー、どうしようかなあ」
恋花は考えるポーズを取るが、
恋花検定師範代を自称する俺には――その内心が手に取るように分かる。
単純明快――カラオケになど行きたくないのだ。
話せば驚くほどノリはいいし、
いざ遊ぶとなれば割り切って場を盛り上げる。
だがそれは、あくまで“少人数・短時間・逃げ道あり”が前提だ。
基本的に彼女は、
大人数が苦手なタイプである。
その腰の重さは、おじいちゃんの「昔はなぁ」から始まる武勇伝と同じくらい、
簡単には動かない。
だから俺は、そんな恋花の性質を踏まえたうえで声をかけた。
「恋――」
瞬間。
視線だけで人を殺せそうな睨みが飛んできた。
要するにこう言いたいのだろう。
その名前で呼ぶな、と。
人目のある場所では名字で呼べ。
それが、元彼女からのお達しである。
――それにしても「名前を呼ぶな」とは何だ。
お前は封印されし禁忌の存在か。




