無難とは、人生をそこそこにしてくれる保険証②
「板橋君が終わったから、次はっと……
皇……さんで合ってるかな?
皇 美姫さん」
「はい」
皇 美姫だって……?
名指しされた女生徒へ、
俺の視線は自然と吸い寄せられた。
毛先の整った短い髪を軽く揺らし、背筋を伸ばして立つその姿は――
まるで『王子』だ。
立ち上がると同時、
周囲の女子たちから、黄色い声援が飛ぶ。
「王子くーん、格好良い!」
“王子”として知られる皇 美姫は、
控えめな咳払いで、その熱を鎮めた。
たったそれだけで、空気が整う。
咳から、
マイナスイオンでも出てるのだろう。
「はじめまして。
皇 美姫です。
みんなからは王子なんてあだ名で呼ばれているけど、
僕はなんてことない普通の女の子です。
気軽に美姫でも皇でも、好きなように呼んで下さい。
一年間、よろしくお願いします」
一人称が『僕』。
その時点で、普通の女の子ではない。
皇 美姫。
通称、王子。
あまりに皆がそう呼ぶせいで、
それが本名なのか、あだ名なのかすら曖昧になっている人物だ。
名は体を表すとは、まさにこのこと。
立ち振る舞い、所作、声の響き――
すべてに“プリンス”の気品が滲んでいる。
健康美を全身で表現する圭吾とは、格の違いが明確だ。
俺は去年、彼女に人気で唯一敗北した。
文化祭で行われた学年スター投票。
結果は、屈辱の二位。
相手は男女共に恋愛対象とされる、いわば両性類。
対する俺は女子からの支持はそれなりに厚いが、
下半身が本体である男子からの票が致命的に伸びなかった。
……そんな彼女と、今年は同じクラス。
雪辱を晴らす時が、ついに来たのかもしれない。
もっとも、何をもって勝ちとするのかは、まだ自分でも分かっていないのだが。
それから、皆が思い思いに自己紹介を続ける。
順番が進む中で、
ようやく一つの違和感に気付いた。
教室には、二つだけ空席が残されている。
「笹本さんと、五里君は欠席、と」
近島先生の声が教室に落ちると、
すぐ隣の席からひそひそとした声が漏れてきた。
「なあ、“ゴリケン”が転校してくるって噂、マジなんかな」
「いや、さすがにないっしょ。
同姓同名だろ」
……ゴリケン?
誰だそれ。
陽気なコメディアンか、地方営業専門の芸人か。
俺は隣の恋花に、小声で尋ねる。
「五里って誰だ?」
「さあ……
あ、でも他校の友達から聞いたけど、
今年こっちに転校してくる子がいるんだって。
その人が五里君なのかは知らないけど……」
一度、肩をすくめてから。
「ていうか、
当たり前みたいに話しかけてこないでくれる?」
「転校生か……」
マズいな。
転校生という存在は、
それだけでイベント補正を持っている。
高身長がフツメンをイケメンに変えるのと同じで、
“転校してきた”という事実だけで、注目を一身に集めるのだ。
ましてや“ゴリケン”なんて、
どう考えても愛されそうな名前じゃないか。
とんだ剽軽者が現れて、
俺の立ち位置を根こそぎ奪っていく可能性は、十分にある。
「ゴリケン……要注意人物だな」
俺は心の手配書に、
“王子”と並べてその名を刻み込んだ。
しかし、初日欠席とは幸先が悪い。
本来なら登場した瞬間、
視線を独占するはずの存在なのに――。




