無難とは、人生をそこそこにしてくれる保険証
* * *
「よし、それじゃあ。
先生の紹介も終わったし……次は皆の番だぞ。
順番に自己紹介していこうか」
教室に戻った近島先生は、張りのある声でそう告げた。
来たな、初日の大一番。
この時間でクラス内の立ち位置が決まると言っても、
決して大袈裟ではない。
盛り上げすぎれば滑る。
無難すぎれば埋もれる。
道化に振り切れば、便所飯。
これまで数多の屍を見てきた俺が導き出した答えは、一つだけだ。
――無難こそ最強。
やがて、
俺の番が回ってくる。
「汐森清継です。
去年は一年三組でした。
前のクラスメイトがあまりいないので、初めて話す人も多いと思います。
これから仲良くしてもらえたら嬉しいです」
完璧。
どこからどう見ても、“ちゃんとした生徒”。
無味無臭さこそ、至高である。
挨拶というのは、
ネットの文章をそのまま貼り付ける程度がちょうどいい。
重要なのは内容ではなく、
角が立たないこと――
つまり爽やかさだ。
その証拠に。
これほど軽やかな挨拶、
まるで木星のように巨大なわりに中身の薄い言葉であっても。
周囲は何事もなかったかのように、
穏やかに受け入れてくれるのだから。
「格付け完了」
「うわ、感じ悪」
「何だよ恋花。
お前だって注目される人気者の一人だろ。
下手打ったら便所飯だぞ」
「いやないから。
あなたもう少し謙虚に生きなさいよ。
変な期待ばっかされるタイプなんだから」
「なら、その期待に応えるだけだよ」
「キモ」
「ほら、お前の番だぞ」
俺は眉をひょいと上下させ、「次だ」と小さく合図を送る。
もう少し冗談を交わしていたい気持ちが、ないと言えば嘘になる。
だが――ここは元カレとしての情けだ。
この場面を、
茶化して台無しにするわけにはいかない。
クラス中の視線が自分に集まっているのを察したのか、
恋花の肩がわずかに揺れた。
一度、短く息を吸い込み、
決意を固めるようにして、ゆっくりと席を立つ。
「向崎恋花です。
陸上部に所属しています」
一拍。
「早く皆の名前を覚えたいので、たくさん話しかけますね。
間違えちゃったらごめんなさい。――あと、遊びとか、カラオケとか。
気軽に誘ってください。よろしくお願いします!」
ぺこり、と頭を下げた瞬間。
男子の拍手が、
何かの合図でもあったかのように一斉に弾けた。
そりゃそうだ。
何せ、“向崎恋花は現在フリー”という最高の朗報が、
ほぼ同時に宣言されたのだから。
誰が流したのかは知らない。
心当たりは一人、いるのだけれど。
ふう、と小さく息を吐いて席に戻る恋花に、
俺は最大限の賛辞を送る。
「完璧な掴みだったな。
で、俺もカラオケ誘っていいの?」
「やだよ」
――良いのか悪いのか訊いたら、感想が返ってきちゃった。
会話のキャッチボールとしては成立しているが、
ボールの軌道がこちらの想定と噛み合っていない。
自己紹介の時間は、
そのまま滞りなく進んでいく。
前のクラスメイトがあまりいない、とは言ったものの。
実際のところ俺は把握していない。
「こんな奴、いたような気がする」とか、
「この女子には連絡先を聞かれた……ような気がする」とか、
記憶はどれも輪郭が曖昧だ。
もし半分くらいが去年のクラスメイトだったらどうしよう。
めちゃくちゃ薄情な奴だと思われるじゃないか。
そう考え出した途端、
要らない不安だけが無駄に増殖していく。
そんな思考を、勢いよく蹴散らすように。
教室の空気を断ち切って、よく知った男が立ち上がった。
親指を突き立て、満面の笑み。
「こんちはっ!
板橋圭吾でっす!
現在、彼女募集中! 俺と付き合ってもいいよって人は、気軽に声かけてねん!
あとこの後、新クラスの親睦会を予定してるから、
興味ある奴は俺のとこまで来てくれよ!
以上! 一年間、よろしく!」
さすが、見事な道化ぶりだ。
この板橋 圭吾という男は、
小学生の頃からの俺の幼馴染であり――
あまり口にしたくはないが――親友でもある。
染めたように見える茶髪は生まれつきで、
日焼けサロン通いかのような小麦色の肌。
並びの良い白い歯を常に覗かせ、健康そのものといった印象だ。
こいつもまた、
俺や恋花と同じく、去年一年三組のメンバーの一人。
まさか今年も同じクラスになるとは、正直思っていなかった。
――というか、親睦会って何だ。
全く聞いていない。
圭吾は俺に見えるよう、
意味深に親指を突き立ててから、ゆったりと着席した。
黙って座ればいいものを、わざわざ謎のアピール。
どう見ても『一波乱起こしてやる』という意思表示である。
だが、これでこいつの一年間の立ち位置は、
ほぼ確定したと言っていいだろう。
間違いなく、圭吾はクラスの中心人物になる。
必要以上に道化役を演じる者は、
後になって本来の自分との乖離に苦しむものだ。
だがこの男は違う。
圭吾は生まれつきのピエロだ。
馬鹿だけど、決して自分を大きく見せようとはしない。
威張らないし、素直だし、空気も読む。
総合すると――いいやつである。
「どうもどうもー」
愛想を振りまく圭吾に、
近島先生は子供をあやすような口調で。
「親睦会かー。いいなあ。でも、あんまり羽目外しちゃ駄目だよ?
何かあったら、私がすっごく怒られるんだからね」
「うーす。
大丈夫、大丈夫。学生らしい範囲でやるからさ。
葵ちゃんには迷惑かけないって」
「こら。近島先生、だぞ」
新任教師との距離の詰め方まで手慣れたものだ。
天職はナンパ師かもしれない。
……いや、無理か。
だってあいつ、馬鹿だもん。




