深夜に電話を掛けるなら、まずはメッセージから
部屋の時計を見た。
時刻は二十三時四十分。
……そうだ。水上に電話しよう。
だが、もう夜更けだ。
こんな時間に後輩の女子へ電話をかけるのは、いかがなものか。
既に眠っている可能性も高い。
いや、常識的に考えれば――
まずはメッセージで、
今から電話しても大丈夫か確認するべきだろう。
夜分遅くに申し訳ありません、の一言を添えて。
俺はメッセージアプリを開き、
慎重に文章をしたためる。
内容は、こうだ。
『水上、お前いまどんなパンツはいてんの?』
送信、と。
次の瞬間、画面が震えた。
なんと。
即座に電話が掛かって来たではないか。
俺は一瞬だけ天井を見上げ、
それから観念して通話ボタンを押した。
「夜遅くに悪いな、少し話がした――」
『謝るところが違うんですよ!
このド変態イカれナルシストが!!』
耳が痛い。
物理的にも、精神的にも。
せめて「先輩」の敬称くらいは付けてほしいところだが、
今さらその線はとっくに踏み越えている気もする。
俺は荒ぶる水上を、
静かに、そして必死になだめにかかった。
「まあ、落ち着いてくれ。
俺はお前がブチギレるギリギリを攻めたつもりだったんだが、
気に入らなかったか」
『そもそも、沸点ギリギリを攻める意味が分かりません』
「だって、夜遅くに『今起きてる?』なんて送るの、恥ずかしいじゃん……」
『それ以上に恥ずかしい文章送ってる自覚を持ってくださいよ』
確かに。
流石に水上でなければ、
許されない内容だったかもしれない。
俺が同じ立場なら、
気持ち悪さのあまり窓からスマホをぶん投げている。
……反省しよう。
「反省しました」
『AIチャットの方がもう少しマシな反省しますよ。
ていうか、なんで清継先輩が電話してくる時って、
いっつもこんなに夜遅いんですか。わざとですか』
「今日もバイト終わりだからな。
すまない」
『あ……バイト……そうなんですね。
遅くまで、お疲れ様です』
水上の声が、
なぜだか急にしおらしくなる。
……これは誤解している。
訂正しよう。
「いや、こんな時間までは働いてないぞ」
『え?』
「高校生のバイトは労働基準法で二十二時までだし、一分でも過ぎたら怒られる。
だから二十一時台には上がってる」
『……』
「帰って、シャワー浴びて、課題やって、動画観て。
さあ寝るかって思った時に、
そうだ、水上に電話しようって――」
『私の優先順位どんだけ下なんですか!?
あと、さっきの気遣い返してください!!』
打てば響くとは、このことだ。
水上のリアクション芸は、時間帯を問わず冴えている。
俺は、思わず笑ってしまった。
「お前は、ほんといつも元気だなあ」
『この声量で近所からクレーム来たら清継先輩のせいですからね。
それで、今回は何のご用件ですか?
言っときますけど私、恋花先輩が今どんなパンツはいてるかなんて知りませんから』
「やめろ水上、俺をパンツハンターにするな。
笹本の件だ」
『まあそうでしょうね。
スリーサイズですよね』
「すみません水上さん。
後でちゃんと謝罪をするので、
これ以上俺を異常者にしないで下さい」
これだけ後輩にイジり倒される先輩も珍しいだろう。
とはいえ。
今回に限っては完全に俺の出だしが悪い。
反論の余地はなかった。
水上は一呼吸置き、通話口の向こうで溜め息をつく。
微かに、何かが擦れるような生活音が混じった。
『それだけ熱心に思ってもらえて、
笹本先輩は羨ましいですね』
「……どういう意味だ?」
『別にー。なんでもないですよ。
先輩たち、いつからそんなに仲良しなんですか。
笹本先輩って、正直ちょっと近寄り難い感じしますけど』
「中二の時だよ。
同じクラスになった。
まあ、ちゃんとしたきっかけはあったな」
俺は、水上に、
笹本と話すようになった――あの日の出来事を語り始めた。
* * *
中学二年の頃の笹本は、
今と変わらず、制服の上にフード付きのパーカーを羽織っていた。
校則から一歩、いや二歩はみ出したその姿は、
嫌でも人目を引いた。
遅刻は日常茶飯事。
授業には、いたりいなかったり。
校内で棒付きキャンディを咥え、
スマホを弄っている――
そんな無法者だった。
それでも、
教室にいれば笹本は人気者だった。
理由は単純で、可愛かったからだ。
特に男受けが良い。
俺も笹本を可愛いと思ってはいたが、
どこか近寄りがたい空気があって、自分から話しかけようとはしなかった。
そんな「男受けのいい人気者」は、
ある日、クラスの陽キャグループ――
いや、正確には目立ちたがりグループに目を付けられた。
主犯格は、当時俺の隣の席だった奴だ。
名前はもう忘れた。
たしか、田中だったと思う。
もうそれでいい。
「放課後、校舎裏に来なさい」
その台詞を現実で耳にしたのは、
後にも先にもこの時だけだ。
気になって、俺は様子を見に行った。
すると、
「最近あんた、調子乗ってない?」
――どこのドラマの脚本だよ。
その場でツッコミを入れたくなるような台詞まで飛び出して、
俺は物陰で笑い転げそうになった。
笹本は、一丁前に気が強い。
相手がグループだろうと、
縮こまってなぶられるのを受け入れるような奴じゃない。
我が身可愛さに謝るくらいなら、
一人でも多く道連れにしてやる――
そう考えるタイプだ。
空気が張りつめ、一触即発の気配が濃くなった、
その瞬間。
俺は、思わず物陰から飛び出していた。
『あれ、田中じゃん。
何してんの。今、暇?
帰りどっか寄ってかない』
田中からは日頃、
分かりやすいほど好意を向けられていた。
だから俺は、
それを遠慮なく利用して、場に割って入った。
その日は、特別な出来事もなく終わった。
別に興味もないこの隣人モブ――
通称・田中と、なんとなく帰り道を共有しただけだ。
変化があったのは、次の日からだった。
笹本は、明らかに俺に懐き始めた。
教室で顔を合わせるなり、平然と、こんなことを言ったのだ。
『あんたの目、誰の顔も映ってなくて面白いね。
私と同じで、いつ死んでも構わないって目だ』
その言葉に痺れたものだった。
初めてだった。
俺の内側を、
言葉にする前に覗き込んだ人間に出会ったのは。
衝撃と同時に、妙な安堵があった。
ああ、ようやく見つかった――そんな気さえした。
それからだ。
俺が笹本に興味を持つようになったのは。
この話を、さすがに水上にそのまま伝えることは出来ない。
きっと、余計な誤解を招くだけだから。
* * *




