言葉の魔法【Ⅱ】②
「向崎さ。
汐森を振って、何企んでるの?」
身体が、わずかに跳ねた。
図星だったわけじゃない。
ただ――
こんな形で、そこに触れられるとは思っていなかった。
言葉の鋭さに刺されるように、
気付けば、私の口調は荒くなっていた。
「企む、ですって?
冗談言わないでよ」
一拍。
「私が清継君と別れたのは、
ただ――恋人でいたいと思えなくなったから。
それだけ。
……だから、復縁を迫られても応じるつもりはないし、
これから先も、そのつもりはない」
言い切る。
そのはずなのに、
どこかで言葉が浮いている気がした。
私の反発を受けても、笹本さんは何も言わない。
ただ、すっと立ち上がり――
距離を詰めてきた。
息が触れそうなほどの近さ。
唇さえ触れてしまいそうな距離で、
彼女は私の目を覗き込む。
静かに。
底をさらうように。
逃げ場のない視線だった。
身体が、動かない。
指先ひとつ、言い訳ひとつ、許されないまま、
時間だけが引き延ばされていく。
やがて――
何かを見つけたみたいに、
笹本さんの口元が、ゆっくり歪んだ。
「あんたさ」
囁くような声。
「そう言いながら、
汐森を拒絶してないよね」
「……」
「面と向かって、
“もう関わるな”って言った?
復縁する気はないって、
何をされても変わらないって――ちゃんと伝えた?」
言葉が、刺さる。
「そ、それくらいで諦めるような人じゃないの。
清継君を知ってるなら、分かるでしょ」
「ああ。分かるさ
少なくとも、“元カノ”のあんたよりはね」
一拍。
「秘密まで共有した仲だ。
あいつがどこで線を引くかくらい、分かる」
「あなたねえ……!」
「簡単に諦めるよ、汐森は」
「……!」
断定だった。
揺らぎのない、確信。
「あいつは執念深いけど、同時に“弁えてる”。
本当に拒まれたって理解した瞬間、
驚くくらい綺麗に身を引く――他人みたいにね」
胸の奥が、強く軋む。
「ねえ」
笹本さんは、わずかに首を傾げた。
「一人で言いづらいなら、付き添ってあげようか。
秘密を一つ明かした仲だ。
鬱陶しい粘着男の処理くらい、
手伝ってあげるよ」
軽い調子。
けれど、その奥にあるものは、
胸の内を覗こうとするようで。
私は、何も言えなかった。
――知っているのだ、この人は。
新学期から、私が清継君をどう扱ってきたか。
突き放しきれず、
かといって受け入れもせず、
曖昧な距離に縛り付けてきたことを。
もし本当に、
心の底から邪魔だと思っているのなら――
この提案に、頷くべきだ。
それなのに。
どうしても、首が動かなかった。
笹本さんは、静かに、
しかし確実に私を追い詰めるように、言葉を重ねた。
「苦労しただろうね。
あいつ、誰にでも良い顔しようとするくせに、
まるで向崎だけは特別みたいに振る舞ったでしょ?」
どこか楽しげな口調だった。
「本当はそんな自分が大好きなくせに。
“良い人”でいるのも、結局はヒーローみたいに慕われたいだけ。
――自己陶酔のための演技だよ。
気色悪い男に付きまとわれて、苦しかったろう?」
「違うよ!」
気付けば、立ち上がっていた。
否定は、ほとんど反射だった。
掌に爪が食い込む。
呼吸が浅く、速い。
「清継君は、自分が好きだから助けてるんじゃない。
愛されたいからでもない」
一拍、息を吸う。
「その人が、自分を嫌いにならないように――
そのために手を差し伸べてるの。
理由は分からないけど……
きっと、自分のことを、愛していないんだと思う」
言葉にしてしまった瞬間、胸の奥がひりついた。
「同じようになって欲しくないから、頑張るの。
……そんな言い方、しないでよ」
言いたくなかった。
これは、きっと彼の“仮面”の裏側だから。
けれど笹本さんは、やわらかく笑った。
「ふふ。――その通りだよ」
「え……?」
「なんだ、ちゃんと見えてるじゃないか。
全くの無知ってわけじゃないんだね」
「……さっきは、あんな言い方してたのに」
「冗談に決まってるでしょ。
ちょっと揺さぶってみただけさ」
「な、何よそれえ!
あなたって悪魔みたいな人!」
「はは。お互い様だろ。
私には、あんたが魔女に見えるよ」
軽い声音。
けれど、その一言だけが、妙に重く残った。
「恋人だった頃のことなんて興味はないよ。
どうして別れたかもね。
ただ――一つだけ、忠告」
笹本さんは指先をこちらへ向ける。
まるで、見えない規則を示すみたいに。
「あんまり、人を試すような真似はしない方がいい」
「私はそんな――」
「向崎の言葉が、あいつにとってどんな“魔法”になるか、分からないよ?」
返す言葉が、遅れた。
――図星ではない。
けれど、否定しきれない何かが、確かにあった。
私は、清継君を傷つけるつもりなんてない。
悲しませたいわけでもない。
それでも。
このまま話せば、きっとどこかで――
取り返しのつかない言葉を選んでしまう。
だから、口を閉じた。
遠くで、笛の音が鳴る。
歓声が、少し遅れて風に乗る。
二年一組の優勝旗が揺れているのが、かすかに見えた。
私は息を整えてから、言った。
「戻ろう、笹本さん。
清継君たち、優勝したみたい」
「大したもんだね。
戻りは走って行くかい?」
「大丈夫なの?」
「どうせ本番で走るんだ。
試しておいた方がいいだろ」
「……うん」
白い紐が、わずかに張る。
「行くよ」
「はいよ」
「「せーの」」
あれ、おかしいな。
地面が近付いて来る。
◇ ◇ ◇
俺たちは、ついにやった。
いつも心に、近島先生。
あなたのハートに、近島先生。
一家に一台、近島先生。
僕も私も、近島先生。
俺たちのクラススローガンは花開き、精神の支柱となった。
おかげで、男子種目のドッジボールで優勝を勝ち取ることができたのだ。
圭吾は叫び、五里は涙し、
上野はクラスの波に揉まれてどこかへ消え、
俺は股間を抑える――
どうやら、
一回戦のダメージがまだ残っているらしい。
それでも俺は、
二回戦以降めざましい活躍を見せた。
これで恋花や笹本も、文句の一つも言えまい。
そう確信しながら、
俺は嬉々として二人三脚の練習をするテント側に視線を向ける。
そこには――
恋花と笹本という、絶対に混ぜ合わせてはいけないペア。
案の定、見事な化学反応を起こし、
顔面から地面に滑り込む滑稽な姿があった。




