言葉の魔法【Ⅱ】
三日月天使レイラちゃん。
私が小学生の頃、
夜のテレビに釘付けになって見ていたアニメだ。
主人公のレイラちゃんは、
月の世界からやって来た見習い天使。
小さな羽根を揺らしながら、悩める人々の前に現れ、
まるで魔法のような言葉で勇気を与えてくれた。
「あなたの苦しみは、一生物じゃない。
今はこの時間が全てのように思えるかもしれないけど、必ず救いはあるんだよ」
そう語りかけ、痛みの先に潜む未来を、ほんの少しだけ覗かせる。
不思議で、どこか都合のいい力。
今思えば、レイラちゃんは天使というより――
催眠術師だったのだろう。
そして笹本さんは、その夢のようなアニメの主題歌を担当した後、
心の均衡を崩したのだという。
「それから私たち『蜜色プロジェクト』の世界は変わったよ。
毎日が一気に忙しくなった。
大変だったけど――それでも、楽しかった」
笹本さんは、遠くを見るように目を細める。
「三人でもっと売れていくんだって。
新メンバーのことも、少しずつ受け入れようって思えた」
「うん。
すごい勢いだったよね」
「ところがだ」
その一言で、空気の温度が変わる。
「ある時から、仕事のたびに“ノルマ”を突き付けられるようになった。
イベントにはこれだけ人を集めろ、
SNSではこれだけフォロワーを増やせ――」
淡々とした口調の奥で、何かが軋んでいる。
「そのたびに、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
でもね、有名になってきたんだから当然だって、
ステップアップのためだって――そう思い込もうとしてた」
肩が、わずかに震える。
「……でも、違った」
一拍。
「そのノルマ、全部“私だけ”に課されてたんだよ」
言葉は静かだった。
けれど、それが意味するものはあまりにも重い。
「気付いた瞬間、マネージャーに詰め寄ったよ。
どういうことだって」
笹本さんは、ゆっくりと息を吸い、吐く。
吐き出された空気が、冷たく感じられた。
「実際のところは、運営の意向じゃない。
他の二人――メンバーから出されてたんだ」
唇を、強く噛む。
「そのノルマを達成できなければ、私を切って新メンバーを入れてくれって。
あいつら、ずっと前から運営に掛け合ってたらしい」
「……」
「たとえ私が劣っていたとしても、始まりは私と“あの子”の二人だった。
それを、後から来た人気者が踏み荒らして――
気付けば、私の居場所はどこにもなかった」
言葉が、ひび割れていく。
「二人でいられたなら、それでよかったのに。
……愛されなくたって、よかったのに」
声が震える。
怒りと悲しみが、境目を失って混ざり合っていた。
「全部、数字なんだよ。
数字が足りなかった。それだけ」
吐き捨てるように。
「他人から向けられる“好き”の数が足りないから、
私はいないものとして扱われる。
――でもね」
視線が、わずかに揺れる。
「私は子どもだったからさ。
そこで『もっと頑張ればいい』なんて、思えなかった」
一瞬の静寂。
「だから、壊した。
これまで私だけが受けてきたことを、全部SNSで暴露してやろうと思った。
ノルマのことも、扱いの差も、裏での話も――全部」
わずかに口元が歪む。
「バラされたくなければ、どうする?ってね」
「それって……逆に笹本さんが不利じゃない?
揉み消されたり、脅されたり――」
「いや」
静かに、遮る。
「そんな段階にすらならなかったよ」
ほんの少しだけ、楽しそうにさえ見えた。
「私がそう言った瞬間、あいつら勝手に揉め始めたんだ。
どっちが先に言い出したとか、
自分より数字が下のくせに、とかさ」
肩が、小さく揺れる。
「滑稽だったよ。
あんなに綺麗に笑ってた人間が、あっさり崩れるんだから」
そして、すっと表情が消える。
「その日で終わり。
私たちは、綺麗にバラバラになった」
「……」
「最後はもう、誰も誰とも顔を合わせたくなくてさ。
だから“学業に専念するため”ってことにして、解散」
一呼吸。
「どう?
これが『蜜色プロジェクト』の本当の終わり方」
私は、何も言えなかった。
小学生の頃、心から憧れていたあの場所。
光の中で笑っていた彼女たちの裏側に、
こんなにも簡単に崩れてしまう“関係”があったなんて。
――ステージの輝きは、
最初から、均等に当たっていたわけじゃなかったのだ。
知りたくはなかった。
もし、あの頃の私がこの現実を知っていたなら、
きっと迷いなく幻滅していただろう。
それでも――。
私は揺れる心を押し隠すように、
ぎこちない笑みを浮かべた。
「そっか。ありがとう、話してくれて。
ファンとして、ずっと気になってたんだ。
……知れて、よかったー!」
「そう……なのか」
笹本さんは、わずかに目を丸くする。
「変なの」
頬を掻く仕草が、ひどく人間らしかった。
――ああ、この人は。
思っていたよりずっと、
普通の女の子なんだ。
胸の奥で、何かがほどける。
気付けば、私の口元もわずかに緩んでいた。
「笹本さんって、可愛いんだね」
「……は?」
次の瞬間、視界が反転する。
「「へゔぁっ」」
三度目。
今度はもう、驚きよりも諦めに近かった。
砂のざらつきが頬を擦り、
息が一瞬だけ詰まる。
「あんたいきなり何言い出すのさ!
……もしかして、そっちの人!?」
「違うってば!
ちゃんと元カレがアレなの知ってるでしょ!」
「汐森はやっぱりおかしいね。
こんなのを好きになるなんて――」
一瞬、言葉を切る。
「……いや、あいつだから、か」
「どういう意味よ」
「別に」
短く切り捨てて、笹本さんは視線を逸らした。
「はあ……嫌になるなあ」
小さく、息を吐く。
「話してみたら、ちゃんと良い奴だって分かるの。
皇美姫も、あんたも」
――どうして、美姫ちゃんの名前が出てくるんだろう。
胸の奥が、わずかに引っかかる。
けれど、その違和感を掴む前に、
笹本さんは、ぽつりと続けた。
「向崎さ。
あんまり、私に優しくしないでよ」
「え……どうして」
「期待されるの、面倒なんだ」
静かに、言い切る。
「汐森みたいなのを、求めないで。
あいつは応えてくれるだろうけど、私は違う。
私はね、
“愛されてる人気者”ってやつが、全部嫌いなんだよ」
「期待って何。
私が清継君をどう扱ってるか、知ってるでしょ?
あれが好意に見える?」
「ああ。見えるね」
即答だった。
「私の目には、あんた達はずっと同じだよ。
中学の頃、楽しそうに話してたまま。
毒吐いてるつもりでもさ。
全部“優しい言葉”に見えるんだよ」
心臓が、嫌な音を立てた。
「……ねえ」
笹本さんは、こちらをまっすぐ見た。
「さっき、私ばっかり話したでしょ。
だから今度は、あんたの番」
逃げ場のない声音。
「向崎さ」
一歩、踏み込まれる。
「汐森を振って、何企んでるの?」




