「仲良くするより上手くやれ」ってあの人なら言うと思う。
◇ ◇ ◇
「お待たせ、階堂さん。
紐、持って来たよー」
「ごめん、恋々。
唯菜、やっぱ二人三脚パスしても良い?」
「え……」
私は、女子チームが参加する競技――
『二人三脚』で使う白い紐を握ったまま、目を丸くした。
恋々。
たぶん、恋花という名前に親しみを込めただけの、単純なあだ名。
なんだか、パンダみたい。
クラス全体でこの呼び名が使われているわけじゃない。
いつから呼ばれるようになったのかも、覚えていない。
このあだ名で私を呼ぶのは、
今回のパートナー――階堂 唯菜さんだけ。
敬称が「さん」な時点で、そこまで親しいわけでもない。
だから私は、一応それらしく心配してみる。
「もしかして、体調でも悪い?」
「ううん、全然! 超元気!
あらゆる欲がみなぎって、爆発しそう」
「それはそれで、一周回って体調悪いんじゃ」
「いやー、違うんだな恋々」
階堂さんは、あっけらかんと笑う。
「ちょっち個人的な事情があってさ」
軽い調子のまま、続けた。
「唯菜、近々バイオリンのコンクールあるから、
転んで怪我とかしたくないんだわ」
「階堂さん、バイオリンなんてやってたの?」
少し、意外だった。
彼女は、そういう“気品のあるもの”とは
あまり縁がなさそうに見えるから。
外見も性格も、
上品という言葉からは、少し遠い位置にある。
階堂さんは、五里君の隣の席の子だ。
一部の人からは、二人揃って「金のギャル」と「金のケモノ」
なんて呼ばれている。
――とても、縁起が良さそうだ。
生活指導をまるで恐れていないのか、
金髪にピンクのメッシュが入った派手な髪色。
登校日は決まってフルメイクに、カラーコンタクト。
体育の授業がなければ、
両手にはネイルチップまでついている。
一言で言えば――天真爛漫なギャルの女の子。
そんな階堂さんは、
壁という概念を知らないみたいな明るさで言った。
「そうそう、意外っしょ?
三歳からやってるんだなこれが」
一拍。
「コンクール、結構大事でさ。
普通に徒競走ならいいんだけど、二人三脚って転んで笑い取る競技じゃん?
そこは唯菜さん的にはNGかなって」
「いや、二人三脚って別に転ぶのがお約束の競技じゃないと思うけど」
「そだとしても、今から練習で何回かはやらかすっしょー?
恋々は陸上部で、あたしは帰宅部だし、足引っ張っちゃうよ。物理的に」
「んー、そうかなあ」
「そこを何とか、具合悪いことにしてパスさせて。お願い!」
両手を合わせて、片目を閉じる。
軽い。
けれど、その軽さのまま他人に頼みごとができるのは、
ある意味では才能だと思う。
彼女の言う通り、私は陸上部だ。
順位を気にしなければ、転ばないように合わせて走ることも出来る。
けれど――
もしも、を考える。
派手に転んで怪我をさせる可能性。
それがコンクールに響く可能性。
その“もしも”は、軽く扱っていい種類のものじゃない。
仕方ないか。
小さく息を吐いた。
「わかった。
先生には私も話を合わせておくから」
「しょうがないなあ、もう」
「あーりがとー、恋々!
大好き可愛い愛してるう!」
「調子良いんだから」
こういう言葉に、特別な意味はない。
ただの、反射みたいなものだ。
「ちゃんとこの後、具合悪そうにするのよ?」
そう言ってから、考える。
「……と、なると私余るけど、今って他にペアいない人いるっけ」
「あっと、確かいるはずだよ。
もともと今日一人欠席してるから……その子の相方」
階堂さんは、わずかに視線を宙にさまよわせた。
「相方……あ、そうだ。
今、笹もっちのペア空いてるんじゃない?」
「笹餅? 美味しいよね」
「笹餅じゃなくって、笹もっち。
笹本ちゃん」
「うぇ……!」
その名前を聞いた瞬間、
喉の奥から、反射的に声が漏れた。
考えるより先に、身体が拒否する。
まさか。
笹本ちゃんって、
笹餅ちゃんでもなくて、
あの笹本ちゃんで笹本さんだろうか。
とりあえず――階堂さんの足首に白い紐を括り付けてしまおう。
それから、大きな声で言えばいい。
「誰か、笹本さんとペアになっても良いよって人いなーい?」
そうすればきっと、清継君あたりが、
よだれでも垂らしながら、狂喜乱舞して名乗り出るはずだ。
……いや。
落ち着け、私。
馬鹿なことを考えている場合じゃない。
とりあえず、階堂さんの腕を掴む。
「……」
「何、恋々……マジ怖い」
「階堂さん、欲しい物ない?」
「うわちょっと待ってよ!
この人、絶対元カレから悪影響受けてるって!
恋々そんな事言うタイプじゃないでしょ!」
「変なこと言わないでよ!
私だって、悪いことくらい考えるのよ」
声が、少しだけ強くなる。
「ねえお願いだから、やっぱり一緒に走ってよ」
「無理だって。
たかだか学校行事で、私のやりたい事潰されたくないもん」
「わかった」
即答だった。
「じゃあ、私が階堂さんおんぶして一人で走るから」
「どんな紐の結び方する気なのさ。
ケンタウロスじゃん」
自分でも、何を言っているのか分からない。
それでも、引き下がるわけにはいかなかった。
――そのとき。
「ねえ、誰か笹本さんとペア組める人いるー?
相方休んじゃったみたい」
私が言うはずだった言葉を、先に取られた。
階堂さんは、これ幸いとばかりに私の腕を掴んで、軽く持ち上げる。
「恋々いけるってー!
唯菜、具合悪くて丁度抜けるって話してたとこなんだよね」
「ちょっ……階堂さん……!」
「すまぬ、恋々。
夢の為なら、時に非情にならなくてはいけないのだよ」
芝居がかった台詞だけ残して、
階堂さんは、急に腹痛でも起こしたみたいに、
ふらふらとテントへ向かっていった。
完全に、やられた。
せめて――
笹本さんとは、気が合わない。
その一言だけでも、先に伝えていれば。
何か、結果は変わっていただろうか。
私は諦めて、体育大会そのものに、
まるで関心のなさそうな笹本さんの方へ歩いていく。
「そういう訳だから、笹本さん。
ペア、よろしくね……」
「何であんたが罰ゲーム受けてるみたいな顔してんのさ。
私なんて余り物扱いよ。
『じゃあ先生とペアになろっか』って言われた気分なんだけど」
言い方は軽いのに、
そこに混じる温度は、少しだけ低い。
お互いに不満を顔に滲ませたまま、
形式的な挨拶だけを済ませた。
そのとき――
近くで、甲高い笛の音と歓声が上がる。
男子の競技、『ドッジボール』が続いているらしい。
今は、二回戦。
私たちが応援しなくても、
男子チームは順調に勝ち進んでいるみたいだった。
たぶん、板橋君が中心になっているんだと思う。
ああいう、分かりやすく運動ができる人が一人いるだけで、
チームの空気は変わるから。
そのグラウンドを見ながら、笹本さんが言う。
「今回は汐森、大活躍みたいだね」
「へえ、そうなんだ。
一回戦とは違うのね」
「何が『へえ』なのさ」
少しだけ、間を置いてから。
「ずっと目で追ってたくせに」
「……」
言葉が、出なかった。
事実かどうかは、問題じゃない。
そうやって言い当てられること自体が――
少し、怖い。




