二年前の放課後【Ⅲ】②
「あれ?」
ふいに、声が聞こえた。
「汐森君じゃない?」
誰だ。
公園の入り口へ目を向けると、
胸の前で小さく手を振りながら、少女がこちらに近づいてくる。
「やっぱり汐森君だー。
放課後、この公園で目撃されるって情報は本当だったのね」
「向崎か」
俺はブランコを止める。
「何、俺のことでも探してたの?
告白か?」
向崎 恋花。
同じクラスの女子で、
最近、話す機会が増えてきた相手だ。
大きく、よく通る瞳。
夕暮れの光を受けて、
透き通るような肌がほんのり橙色に染まっている。
柔らかな表情で、
誰にでも気さくに話しかける性格。
そのせいか、校内でも特別な人気者だった。
けれど。
同じく人気者扱いされている俺に対しても、
媚びることはない。
特別扱いもしない。
だからこそ、こうして対等に話ができる、
数少ない相手の一人だった。
俺の軽口に、向崎はじっとこちらを見返した。
まるで、道端のゴミを見るような視線だった。
「うわ」
眉をわずかにひそめる。
「最近うすうす思ってたけど、
汐森君って……実はドン引きレベルのナルシストよね。
スマホの待ち受け、絶対自撮りにしてるでしょ」
「おい向崎。
俺は自作の右手ピースサインを待ち受けにしたことはあるが、自撮りはしてないぞ」
「うぇ、ピースまではしてるんだ……
普通に引く」
「出てきて早々、好き放題言いやがって。
今さら付き合ってくれって態度改めても、もう遅いぞ。
お前なんかお断りだ」
「いや、頼んでないし、むしろ私が願い下げなんだけど。
たまたま帰りに見かけたから声掛けただけだし。
えっと……」
そこで、向崎は俺の隣に視線を移した。
本当に腹立たしい奴だ。
可愛いだけで、何の魅力もない。
可愛いから許すのだが。
そんな可愛い向崎は、
俺の隣にいる笹本を覗き込む。
笹本はフードを目深に被り、顔を伏せたままだった。
恥ずかしがり屋、というわけではない。
たぶん、こういうタイプの人間と関わりたくないだけだ。
二人は、どう見ても気が合いそうにない。
向崎もそれを察したのか、少し遠慮がちに口を開く。
「あ、ごめん。
お邪魔だったよね」
一拍。
「大丈夫、汐森君のことは何とも思ってないから。
むしろ気持ち悪い自分大好き人間としか……いや、それは言い過ぎか」
「人を散々貶しておいて、勝手に反省するな。
自己嫌悪に陥る前に、この後カウンセラーに診てもらえ」
「はいはい」
向崎は軽く手を振る。
「汐森君も鏡ばっか見ないようにね。
じゃあ、私帰るから。バイバイ」
そう言って、向崎はあっさりと背を向けた。
軽く手を振りながら、公園の出口へ歩いていく。
あんな奴を彼女に欲しがる男は、
きっと、しょうもないマゾ野郎だろう。
……まあ。
俺は違う。
あいつのせいで、調子が少し狂わされた。
大きく背伸びをした、その瞬間だった。
「あんた」
笹本が、ぽつりと呟く。
「随分、向崎と仲が良いんだね」
「いや、お前にとっての仲が良いって、互いに罵り合うことなのかよ。
ラップバトルが愛の囁き合いになっちゃうだろ」
「少なくとも」
笹本は静かに言った。
「私には、あんた達がそう見えた」
「お前にもカウンセラーが必要みたいだな……
“世界が優しい言葉で溢れて困ってます”って相談すればいい」
「優しい言葉か……ホント、その通りだ」
もちろん、冗談のつもりだった。
別に誰かを傷つけるような言葉でもない。
けれど、その時の笹本は――
まるで、この世界に一人取り残されたみたいな顔をしていた。
曇った表情のまま、視線を落とす。
声が、少し震えていた。
「私、今年は汐森と向崎がいるクラスにならなくて良かったよ。
きっと耐えられなかった」
「俺はお前も一緒が良かったんだけどな」
「はは。人気者のあんたは、そう言うだろうとも」
「お前だってそうだろ。
高校は同じクラスになれたら嬉しいもんだ」
「そうなったら」
笹本は空を見上げる。
「夢かどうか、頬をつねりたくなる話だね」
それからしばらく、
俺達は他愛もない会話を続けた。
いつもと同じように笑って、
いつもと同じように公園を出て、
いつもと同じように帰った。
――その日が。
笹本と過ごした、中学最後の放課後だった。
それからも俺は、放課後になるとこの公園に来た。
ブランコに座って、
笹本を待った。
けれど。
彼女が姿を現すことは、二度となかった。
きっと、俺は嫌われたのだろう。
そう思ったせいで、
学校で姿を見かけても、声をかけられなかった。
何を間違えたのか。
何に気付けなかったのか。
答え合わせの出来ない問いだけが、
しばらく胸の奥に残り続けた。
――あの日のブランコみたいに、
少しずつ、リズムを狂わせながら。
* * *
「おはよう恋花。
今日も可愛いな」
「はいはい、おはよー。
どうせこのあと、同じこと笹本さんにも言うんでしょ?」
「言わねえよ。
そこはちゃんと線引きしてるっての」
「どうだか。最近、あなた笹本さんとべったりじゃない。
一緒に学校サボるし」
「それ、卒業まで言われ続けるの?」
「あの時ほんとに、清継君、体調悪いんだと思ったのに。
心配した自分が馬鹿みたい。
もう清継君が目の前で泡吹いて倒れて痙攣してても、心配しない」
「いや、さすがに目の前でそうなってたら心配して。
つーか、心配しなくていいから救急車は呼んでくれ」
俺は、朝一番の元カノとの軽口を一通り楽しんでから、
自分の席に腰を下ろした。
「笹本、だいぶクラスに溶け込んできたよな」
「そうね。
それでもやっぱり、あの感じだし。
距離を置きたがる子もいるけど」
「お前とか?」
「私は“置きたがってる”んじゃなくて、“置いてる”の。
一緒にしないで」
相変わらず、恋花と笹本の相性は最悪らしい。
それでも――俺のいる教室に、笹本がいる日々は嬉しかった。
「もう少しだな」
「何が?」
「笹本が、このクラスに馴染むまで」
「はあ……。
あなたって、本当に人が良いのね」
当然だ。
それが俺の、生き方なのだから。




