第40話 二年前の放課後【Ⅲ】
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「ああ! 最近、全然、視聴者が増えない!」
放課後の公園。
錆びたブランコを、いつものように二人で占領していた。
夕方の風に鎖がきしむ。
その横で、笹本はスマホの画面を睨みつけながら、
苛立ったように髪をかきむしった。
その嘆きが、あまりに切実だったので、
俺はブランコを揺らしながら言う。
「増えないって言ってもさ。
笹本のファン、何万人もいるんだろ?」
足先で地面を蹴る。
「俺なんて、せいぜい校内で名前が知られてるくらいだ。
桁が違うよ」
「だからこそ、なの」
間髪入れずに返された。
笹本はスマホを膝に置く。
「同じ時間を使って、他の子はもっとファンを増やしてる。
しかも、同じグループにいた子たちが、だよ?
この差、何だと思う?」
「……笹本」
ブランコの揺れが、ゆっくり止まる。
「ファンの数を、誰かと競うポイントみたいに考えるのは、
あんまり良くないんじゃないか。
目の前に、
自分のことが好きだって言う人間が何万人も現れてみろよ」
想像するだけで、少し笑ってしまう。
「圧倒されて、むしろ怖くなると思うぞ」
少し間を置いて続けた。
「それがたとえ一人だったとしても。
喜ぶべきことなんじゃないのか?」
「汐森は、ほんと何にも分かってないね」
その声は、怒っているというより、
どこか疲れているように聞こえた。
「その“何万人”が、私だけのファンだって保証、どこにあるの?
私に『大好き』って言ってくれる人がさ――」
指先でスマホを軽く叩く。
「別の配信で、他の子にも同じ言葉を投げてる」
乾いた笑い。
「ううん。
『この世で一番大好きです』って言葉を、平気で。
――その言葉を、
他の子にも使ってるのを知った時の気持ち、分かる?」
「……」
笹本は、アイドルだった。
それは、クラスの人気者とか、そういう比喩の話じゃない。
グループ名は、正直覚えていない。
けれど、笹本は小学生の頃から、
実際にアイドルグループとして活動していたらしい。
ポップな楽曲が売りのグループで、
俺みたいに名前すら曖昧な人間でも、一曲だけははっきり記憶に残っている。
『言葉の魔法』。
昔、俺が毎週観ていたテレビアニメの主題歌だった。
音楽番組でも、何度か特集を見た気がする。
そのグループは去年――俺と笹本が出会った頃。
中学二年の春に解散した。
理由は知らない。
けれど、小学生から続けてきた活動だ。
部活の延長みたいなものだったとしても、不思議じゃない。
解散の理由なんて、いくらでも想像できる。
俺は、誰かのためのアイドルでいたことがない。
だから――言葉に詰まる。
「いや……
大好きって言ってくれる人がいるなら……
俺は、それだけで嬉しい、けど」
「はあー……」
長く、深いため息。
その吐き出された空気だけで、分かる。
――そういうことじゃない。
アイドルグループが解散してからも、
笹本は個人でSNSや配信アプリを使って活動を続けていた。
あまり言いたくはないが。
“配信者”という立場になれば、
向けられる「大好き」の重さは、どうしても変わってしまう。
俺にも、心当たりがある。
昔、好きなロックバンドの動画チャンネルに、
コメントを書いたことがあった。
『いつかライブに行きたいです! 大好きです!』
今思えば、どこにでもあるテンプレみたいな文章だった。
でも、本命は別だった。
『高校入ったら死に物狂いでバイトして、
チケット抽選の神を買収してでも絶対ライブ行く!
待っててくれ! 大好きだ!』
……我ながら、ちょっと引くくらいの熱量だった。
同じ「大好き」でも。
そこに詰め込まれている感情の密度は、
まるで別物だ。
笹本はきっと、
――それを言いたいのだ。
「汐森さ……。
私が、どんな人間か知ってるよね?」
「……誰からにでも、
愛されなきゃ生きていけない人間」
「どうして、そんな哀れな奴になったかって話、したっけ?」
――もう、何度も聞いている。
それでも笹本は、まるで初めて打ち明けるみたいに、同じ話を繰り返す。
たぶん。
理解されたいのだ。
同情じゃない。
慰めでもない。
“分かったつもり”ではなく、心の底から。
「父親の影響、だろ」
「そう」
笹本は小さく頷いた。
「私ね、物心ついた頃からずっと言われてたの」
視線は、公園の砂場の方へ落ちている。
「誰よりも人気者でいなさい」
一拍。
「誰よりも、愛される人でありなさいって」
「それは……」
俺は言葉を探す。
「正しく生きてほしいって願いから出た言葉だろ。
お前はもう、十分に愛されてる」
「違うよ、汐森」
即答だった。
「愛ってね、
満足する“上限”がないんだよ」
静かな声だった。
「『誰よりも』って言葉を浴び続けて、
それでも一度も、ちゃんと認めてもらえなかった私に、
“もう十分”なんてものは存在しないの」
言葉が、胸に沈む。
「それがね」
笹本はスマホを軽く持ち上げる。
「数字で可視化されるようになった現代社会は」
画面の光が、彼女の顔を照らす。
「私にとっては、生き地獄みたいなもの」
「ただの数字で、お前の価値は測れない」
「測れるさ」
淡々とした口調。
「“十万人に愛されている笹本です。あなたは何人?”
――ほら、分かりやすいでしょ。
数字は、その人の価値そのものなんだよ」
「そんな……」
思わず声が掠れる。
「そんな寂しいこと言わないでくれ」
胸が締め付けられる。
「笹本。
俺は、お前が大好きだ」
言葉にしてしまった後で、
妙に静かな気持ちになった。
「俺の気持ちも……
お前にとっては、ただの一ポイントでしかないのか?」
笹本は顎に指を当て、少し考える仕草をした。
その数秒が、やけに長く感じる。
本当は。
そんな仕草すらしてほしくなかった。
ただ一言。
――あんただけは特別。
そう言ってほしかっただけなのに。
けれど、笹本は苦笑にも似た笑みを浮かべて、こう言った。
「……そうかも」
あまりにも軽く返された言葉に、胸の奥が少しだけ冷える。
「なあ、俺にも分かるよ。
多くの人に愛されたいって気持ち」
ブランコの鎖が、微かに軋む。
「俺だってさ、
誰にとっても“良い人”でいなくちゃって思うんだ」
少し笑ってみせる。
「同じ思いを抱えてる俺たちは、特別じゃないのか」
笹本は少しだけ目を細めた。
「そうね。私も、そう思ってたんだけど。
最近は、なんだか違う気もしてきてさ」
ピンクのカバーがついたスマホを、
笹本は夕暮れの空に掲げる。
沈みかけた光が、画面に反射する。
「私ね。
アイドルを続けられるように、
色んなものを両親から与えられてきたの」
指先でスマホの縁をなぞる。
「理想的な環境。
理想的な食事。
理想的な教育……
欲しいと思えば、だいたい何でも手に入った――
このスマホだってそう」
夕暮れの光が、ピンクのケースに滲む。
「どんな願いも叶った。
どんな言うことも聞いてくれた」
そこで、ほんの少しだけ声が変わる。
「でもね、それは私の努力が認められたからじゃない。
私の“さらなる努力”を期待するためよ」
「笹本……
こんな話、もうやめないか」
自分でも分かるくらい、声が弱かった。
「お前、少し疲れてるんだろ」
言葉を遮ったのは、
笹本のためじゃない。
俺自身が、その先を聞くのが怖かったからだ。
このまま話を続ければ、
俺と笹本は、
同じ場所に立っているわけじゃないと
思い知らされてしまう。
同じ病気を抱えた仲間だと思っていたのに。
その病気の正体すら、
俺達は、分かり合えていないのだと。
だって――
俺達の境遇は、似ているようでいて、
本当は、まるで正反対だから。
俺には、
何かを与えてくれるような家族はいない。
笹本は右手で眉間を揉みながら、力の抜けた声で言った。
「疲れてるか……」
小さく息を吐く。
「うん。そうかも。
最近、上手くいかないことが多くて……
つい、あんたに八つ当たりしちゃったね」
苦笑する。
「ごめん」
「いいよ」
俺は肩をすくめた。
「俺とお前の仲だろ」
「はは。
そうだね」
それきり、会話は途切れた。
俺と笹本は、しばらく黙ったままブランコに揺られる。
風はほとんどない。
足先で地面を軽く蹴ると、
錆びた鎖がきしみながら、ゆっくりと揺れ始める。
ふと気づく。
笹本と、タイミングが噛み合わない。
隣にいるのに。
ブランコの往復のリズムが、
少しずつ、ずれていく。
最初は偶然かと思った。
けれど、何度か地面を蹴っても、
どうしても同じ周期にならない。
並んでいるはずなのに、どこか遠ざかっていくような――
そんな妙な感覚だった。
胸の奥が、少し息苦しい。
こんな気持ちは初めてで、
何か言葉を探していた、その時。
「あれ?」
ふいに、声が聞こえた。
「汐森君じゃない?」




