『伝説の清掃員』
創作とは、連想のゲームである。
まるで徳の高い芸術家の論文に引用されそうな言葉だが、
これは、俺自身が考えた例え話に過ぎない。
肖像画を描けば化物やクリーチャーと揶揄され――
音楽の授業では歌っただけで、
隣の奴に「壊れたラジカセか」と笑われた男の言葉だ。
聞き流してもらって構わない。
あらゆる創作物は、まず『点』から始まる。
その点をアイデアやら好奇心やら、独創性とやらで引き延ばし、
『線』へと変えていくものだと思う。
最終的に、その線は『円』になるのか、
『絵』になるのか、『歌』になるのか、『文字』になるのか――
それは分からない。
言いたいのはただ一つ。
創作を始めたければ、
最初の『点』を打てばいいということだ。
例えばテーマを「曇」と決めたなら。
その曇がどの色で、
どの形で、
どの大きさか――想像するだけで創作は動き出す。
そんな事を考えずにはいられなかった一日の話だ。
「水上よ。
それで、笹本のスリーサイズの件はどうなった」
「今から大声で、ど変態がいるって叫んで良いですか」
「図書室だぞ。
静かにしよう」
「そうですね。
笹本先輩にチクるって脅せば、少しは静かになりますかね?」
可愛らしい笑顔で、何て恐ろしい事を言う後輩だ。
笹本に「俺がスリーサイズを知りたがっている」なんて誤解が伝われば。
ゲス野郎と蔑まれた上――
ようやく、以前のように会話を交わせるようになった努力が、すべて水泡に帰す。
勘弁願いたい。
水上とは放課後、図書室で待ち合わせていた。
今日座っているのは、いつもの図書委員用のカウンター席ではなく、
一般生徒用のテーブル席。
今回は、仕事ではなく、
プライベートの密会の場として図書室を利用するのだ。
水上は面倒くさそうに、長く溜め息を吐く。
「笹本先輩の配信活動の件ですよね。
今はクラスメイトや、昔の同級生に聞き回っているところです。
……ほんと、手間の掛かる仕事を押し付けてくれたものです」
「悪いな。
後で好きなもの、奢るよ」
「別に構いませんけど。
……でも、どうしてまた、笹本先輩の昔の活動を調べているんですか?」
「暫く不登校だったことと関係があるのかな、と思ってな。
あいつは人が嫌いなくせに、人に好かれたい傲慢な奴なんだ。
この前話した時、活動を辞めたと聞いて、ちょっと引っ掛かってな」
「過去動画のアーカイブはすべて消されていたようです。
単純に、やりたいことじゃなくなっただけでは」
「やりたいからやるんじゃないんだ。
あいつの場合はな」
一拍。
「治療薬を服用するのと同じで、
やらなくちゃいけないものだったはずなんだ」
「どういう意味ですか」
「とにかく、引き続き頼む。
笹本には、不登校じゃなくて、普通の学校生活を送ってほしいんだ」
「随分親身になるんですねー。
恋花先輩に誤解されないよう、気を付けて下さい」
「最近、恋花は昼過ぎになると『今日は笹本さんと抜け出さないんだー?』ってひっぱたきたくなるくらい可愛い顔で煽って来る。
もう、手遅れだ」
「諦めないで下さいよ……」
そんな会話の最中。
図書室の入り口の戸が、
ガラガラと音を立てて開いた。
もともと利用客の少ない場所なので、
無意識に視線がそちらへ向く。
そこに立っていた客人に、俺は息を呑んだ。
彼女はこちらに気付くと、
気怠げな様子でゆっくりと歩み寄る。
「やーと見つけた、汐森。
探したんだからね」
声を聞くと、水上は苦悶の表情を浮かべた。
「げ……
笹本……先輩」
「ねえ汐森。
今この子『げ』って言った? キャンディ喉に突っ込んで良いの?」
「やめろ笹本、ポップな殺人鬼になるな。
お前の目付きが悪いから、後輩がビビってるんだろうが」
「後輩?」
笹本は小さく呟き、椅子の背もたれに身を引かせる水上を、
値踏みするように覗き込んだ。
いつも通りと言えばいつも通りだが。
フードを目深に被ったその装いは、どう見ても普通ではない。
俺が水上の立場なら、とっくに漏らしている。
「み、水上……瑞希です」
「笹本悠里だよ。宜しくね」
「はい……」
挨拶を交わしているはずなのに、
光景としてはどう見ても恐喝の現場だった。
さすがに後輩が不憫だ。
間に割って入る。
「笹本がこんなとこに来るなんて珍しいな。本でも読むのか」
「まさか。あんたを探してたのさ。
下駄箱見ても靴残ってたから、内履きで帰ったか、まだ校舎にいるかだと思って」
「内履きで帰るわけないだろ。
俺をどんだけファンキーな存在だと思ってるんだよ」
「ふふ。やりそうじゃん。
今日、バイトは?」
「いつもより二時間くらい余裕がある」
「じゃあ一緒に帰ろうよ」
――え、なにこれ。
この子、俺のこと好きなの?
あまりにも自然に言われたせいで、脳が一瞬、思考停止する。
いや、待て。もしかして俺の方が好きなのか?
……そうかもしれない。
誰か、今すぐ俺を殴ってくれ。
思考が盛大にバグり始めたところで、
水上が机の下から俺の脚を蹴ってきた。
――そうだ。
今日は笹本の件で水上と作戦会議をするために、
ここで落ち合ったのだった。
バイトまで時間があるのだから、有意義に使わなければならない。
しかし、笹本だけを自然に帰らせる……
それらしい言い訳がどうしても浮かばない。
頭を抱えているのを察したのだろう。
水上は、どこか申し訳なさそうな顔で、そっと口を開いた。
「すみません、笹本先輩。
今、清継先輩に課題を手伝ってもらうところでして」
「あ、そうなんだ。
どんな課題?」
「現文で短い物語を創作するって内容なんですけど……
私、こういうの苦手で」
――水上が?
この手のものが苦手なはずがない。
毎晩なにかしら妄想を膨らませては、
原稿用紙を無駄に厚くしていそうなタイプだ。
完全に偏見だが。
とはいえ、これはありがたい助け舟だ。
俺もこの流れに乗らせてもらおう。
「俺たちも去年やっただろ。
ほとんどお遊びみたいなもんだったけど」
「そうだっけ。
私、多分やってない。差別だわ」
「お前はまず、まともに授業受けろよ」
「ふふ。
それで、あんたは去年どんなタイトルで書いたの」
「『盗んだバイクが盗まれる』」
「つまらなそうだから、もういいや」
即座に、退屈そうな顔でそっぽを向かれる。
まあ、深掘りされたところで大した話でもない。
別に構わない。
この課題は、おそらく文学賞を狙うような名作を期待するものではない。
生徒に「創作する」という行為を、少しでも楽しませるためのものだ。
だから内容がどうであれ、やる気さえ見せれば、評価は満点に近い。
本来、手伝いなど必要のない課題なのだ。
その実情を知らないほど、笹本が不真面目で助かった――
そう思った、その時だった。
笹本が、隣に腰を下ろした。
「私も手伝う」
「笹本よ。
それは“足を引っ張る”の言い間違いじゃないか」
「創作なら人数多い方が、いい案出るでしょ」
「それが真実なら、
世の中の書籍の著者名は全部『株式会社』が付くぞ」
「じゃあそうすればいいじゃない。
株式会社・水上瑞希」
「どんな会社だよ!」
――まずい。
笹本に、帰る気配が一切ない。
水上に視線を投げる。
余程この先輩が恐ろしい存在なのか、
水上はほとんど白目を剥き、今にも魂が抜けそうな勢いで震えている。
同じ中学出身とはいえ、二人が顔を合わせるのは今日が初めてのはずだ。
過去の因縁があるようにも見えない。
単純に――相性が、最悪なのだろうか。
誰か、助けてくれ。
本気でそう思った、その瞬間だった。
再び、図書室の入り口の戸がガラガラと音を立てた。
この静寂では、嫌でも視線が向く。
そして、息を呑んだ。
現れた客人は、こちらに気づくと、
まるで場の空気を整えるかのように、麗しく、気品ある所作で歩み寄ってきた。
「やあ、清継君。
瑞希ちゃんに、笹本さんまで。
珍しい組み合わせだね」
その柔らかな声に、
狂犬の笹本は露骨に不満そうな顔で、わざと聞こえるように舌を打った。
「皇美姫……だっけ。
いや違うな、クラスのみんなに倣って『王子』って呼んだ方がいいのかなあ」
ほとんど無法者が中指を立て、
舌を突き出して煽り散らすような態度。
だというのに、王子はそれを意にも介さず、
きらびやかな笑みを返した。
「うん。好きな呼び方で構わないよ。
じゃあ僕も、悠里ちゃんって呼んでいいかな」
「……っ!」
たった一言で撃沈した笹本は、
俺を盾にするように背後へ引っ込んだ。
最初だけやたら威勢のいいチワワである。
きっと王子の放つ聖なる光に当てられて、
笹本の邪悪な成分が浄化されてしまったのだろう。
――南無。
「おす、王子。
今日も借りてくのか」
「ああ。そのつもりで来たんだけど……
どうやら楽しそうな場面に出くわしてしまったね。
お邪魔だったかな」
「いや、全然。むしろ良いタイミングだ。
お前も水上の課題、手伝ってくれないか」
「瑞希ちゃんの?」
「去年やっただろ、現文の短い創作。
まあ、座れよ」
王子は自然な仕草で水上の隣に腰を下ろす。
水上は一瞬身を強張らせる。
それから控えめに距離を取り、じわじわと顔を赤らめ始めた。
随分としおらしくなったものだ。
そんな君には、以前伝えた言葉をもう一度贈りたい。
――こいつは、女だ。
「笹本まで手伝うとか言い出すから不安だったんだ。
王子なら色んな本を読んでるし、良いアドバイスをくれそうだと思ってさ」
「そんなことかい。
確かに去年、創作の課題なんてやったね。
うん、お安い御用だよ」
「助かる。お前がいれば百人力だ。
笹本を加えても九十九人だ」
「汐森、計算がおかしい。
なんか減ってる」
今は笹本の言葉は無視する。
「それで王子、去年は何てタイトルで書いたんだ」
「ああ、『少し背の高いカブトムシ』だよ」
――きっっもち悪っ。
ああ、そうだった。
王子はこっち側の人間だ。
俺の絵を「良いね」なんて、
曇りなく褒めてくるタイプの人間だということを、すっかり忘れていた。
王子は胸を弾ませるような表情で、俺たちを見渡す。
新しいおもちゃを手にした無垢な子供のように目を輝かせ、
深く息を吸って、そして吐いた。
「さあ。どんな物語にしようか」
――俺は、もしかすると
とんでもない魔物を仲間に引き入れてしまったのかもしれない。
俺と水上と笹本と王子が囲むテーブル。
そこには、確かな混沌の気配が漂っていた。




