水上瑞希の独白②
「清継先輩の家の住所を教えて下さい」
「おいおい水上よー、いきなり何かと思えば。
さすがにそれはプライバシーの何とかで教えらんないだろ」
「本人に聞け、って言わないんですね」
圭吾先輩の笑みが、ほんの少し薄くなる。
「普通、それで済みますよね?
清継先輩に直接聞かれたら困る理由でもあるんですか」
「あれ、水上さんもしかして何か気付いちゃった?」
私は息を吸い、ゆっくりと言葉を並べる。
「弟さんがいることは知りました。
今は遠くにいることも」
圭吾先輩は何も言わない。
「先輩、小学校同じですよね。
汐森清彦って子、覚えてませんか。
ある日、突然いなくなった」
「そんな奴いたかなあ。
偶然清継と同じ名字なんてびっくりだあ」
「清彦くん、サッカーやってましたよね。
圭吾先輩と同じクラブで」
「げ……お前なんでそんな事も知ってんの」
「同じクラスでそれなりに仲良かったんです。
やっぱり何か隠してますよね!?
あとそれから、清継先輩のいる施設ってなんの事ですか!」
私の問いに、圭吾先輩の顔色が変わる。
「馬鹿お前デカい声出すな!
ちょっと来い」
次の瞬間、口を塞がれる。
強引に腕を掴まれ、人気のない廊下を引きずられる。
連れて行かれたのは、放課後の技術室。
誰もいない、埃っぽい静寂。
ドアが閉まる音がやけに大きく響いた。
「……お前さ」
圭吾先輩は、深く息を吐く。
「どこまで知りたいの」
「全部です」
僅かに、沈黙が降りる。
やがて、圭吾先輩はポケットからメモ帳を取り出す。
乱暴な筆跡で何かを書き、びり、と破った。
「これ、清継の実家の住所だ」
紙を受け取った瞬間、指先が震える。
「弟の清彦はそこにいる。
手紙でも出して聞いてみろ。
どうして転校したのか。
清継が今どこに帰ってるのか」
視線が、まっすぐ刺さる。
「お前には、“知る機会”くらいあっていいと思ってる」
「知る……機会……」
その言葉は、優しさなのか。
それとも試されているのか。
「ただし」
圭吾先輩の声が低くなる。
「返事がなければ、そこで諦めろ。
それ以上は、絶対詮索するな」
一歩、距離を詰められる。
「俺がしてやれるのはここまでだ。
これ以上は何も言えないし、
清継にも言うな」
いつもの軽さは、欠片もなかった。
「……分かったな」
「はい」
声が、自分のものじゃないみたいに軽かった。
技術室を出たとき、足が妙に重い。
私はその日、初めて部活を休んだ。
家に着くと、私は制服のままベッドに倒れ込んだ。
天井を見上げる。
白いはずなのに、今日はやけに遠い。
私は今、清継先輩の“何か”に触れようとしている。
それはきっと、触れてはいけないものだ。
知ってしまえば、
今までみたいに笑えなくなるかもしれない。
軽口も、くだらない冗談も、全部ぎこちなくなるかもしれない。
怖い。
瞼の上に腕を乗せて、暗闇に沈む。
その中で、清継先輩のあの寂しそうな笑顔が、鮮明に焼き付いて離れない。
「お前には、知る機会だけはあっても良い」
圭吾先輩はそう言った。
ならば、きっと彼は何かを私に託したのだろう。
だって、彼は――
『清継先輩の為なら、どんな気持ちだって平気で利用する男』なのだから。
私は覚悟を決めて起き上がり、勉強机に向かう。
引き出しから、いつ買ったかも分からない便箋を取り出し、手紙をしたためた。
返事が来ることを願って、できるだけ丁寧に。
同級生であった水上瑞希が、
今は中学校で、兄の汐森 清継と過ごしていること。
清彦君がなぜ転校してしまったのか、その時私は寂しかったこと。
文章は簡潔にまとめた。
「お願いだから、返事して下さい……」
誰にともなく呟き、祈るように封をした。
手紙を出してから半月ほど経った。
もはや、あの小学時代の同級生から手紙が届くとは思えなかった。
内容も内容だし、返事など来るはずがない、と半ば諦めていた。
だが、学校から帰ると、母の顔にいたずらっぽい笑みが浮かんでいる。
「なーにー瑞希、あなた文通でもしてるの?
清彦君って誰よ」
そう言って見せられた。茶色い便箋。
私はそれを反射で奪い取る。
その封を開けながら階段を駆け上がり、
「後でちゃんと話聞かせなさいよー」と茶化すお母さんの言葉を無視して自室のドアを閉める。
返事が、返って来た。
小学校の時に見たままの、少し乱れた文字。
拙い文章。
すぐに、これは清彦君だと確信できた。
内容はまず、私から手紙が届いたことに対する驚きの言葉から始まる。
そして、兄・清継先輩から時折自分のことを聞いていたこと。
次に、転校の理由。
父が亡くなり、その後再婚した義父が詐欺師であったこと。
その影響で母の様子が豹変し、暴力さえ振るうようになったこと。
詳細は語れないが、
家族でいられなくなる一線を越えてしまった出来事があったこと。
その日を境に、清彦君の転校が決まり、
清継先輩は誰もが憧れる完璧な人物像を演じるようになったこと。
そして、清継先輩が養護施設で暮らしていること。
最後に、「兄をよろしく頼む」と書かれていた。
私は、声を上げて泣いた。
部屋の中で泣いたのは、この日が初めてだったかもしれない。
ショックだった。
いつも皆の人気者で、優しくて、格好良い理想の先輩の裏側で、
どれほどの孤独を抱えていたのだろう。
そして、私自身もまた――
無意識に清継先輩に、
理想の人気者像を押し付けていたのではないか、と自責の念に苛まれた。
「私は、どうすれば良いんだろう……」
答えは出ない。
私は、清継先輩に抱く恋心を一旦保留にした。
それから暫く経った日の放課後。
三人で並んで歩く帰り道。
何でもない会話の流れの中で、清継先輩はふいに言った。
「俺さ、多分同じクラスの向崎のこと、好きになっちゃったかも」
「「は!?」」
私と圭吾先輩の声が綺麗に重なる。
圭吾先輩が本気で動揺しているのを見るのは、初めてだった。
「こ、向崎ってあの向崎恋花か?
嘘だろ、お前絶対そっち系じゃないと思ってたわ」
「どっち系だよ。
俺が他の連中みたいに、“人間界に舞い降りた女神”扱いして、こうべを垂れるとでも?」
「れ、恋花先輩って私も交流ありますよ。
同じ委員会ですし」
「え、マジ?
じゃあ電話番号聞き出してよ」
「嫌ですよお!」
いつも通りの軽口。
いつも通りの距離。
――でも、私は知っている。
この人が、養護施設で暮らしていることも。
“完璧”を演じていることも。
「……ちなみに」
自分でも驚くほど平静な声が出た。
「恋花先輩のどこに惚れたんですか?
まさか顔、とか言わないですよね」
清継先輩は、少し照れたように笑った。
その笑顔は眩しかった。
あまりにも、まっすぐで。
「俺は憧れたんだよ」
足が止まりそうになる。
「当たり前を、当たり前に愛せる人に。
綺麗なものを、綺麗だって言える人に」
声が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
「向崎恋花みたいな人になりたいって、思った」
ああ、敵わないな――。
その瞬間、私は悟った。
清継先輩の影に触れ、彼の生き方を垣間見れば見るほど、
いつかこの人は壊れてしまうのではないかと恐ろしくなり、
なにもできない私。
きっと、清継先輩が救いを必要とした時、隣にいるのは私じゃない。
恋花先輩なんだ。
それが今の私にできる、精一杯だから。
それならせめて、私は清継先輩の側にいられる、
理解のある良い後輩でいよう――。
そう心に決めた。
圭吾先輩にもその思いを打ち明け、
この話題には二度と触れないことを約束させた。
そして年月が過ぎ、高校生になった私は、清継先輩と再会する。
恋花先輩との関係を静かに応援しながら、
側にいるだけで良い、
良い後輩として。
* * *
電話が鳴った。
『違うんだよ、水上、聞いてくれよ』
「私まだ一言も話してないのに、
隠れて使ってはいけないお金に手を出した、
ギャンブル中毒者の逃げ口上みたいな滑り出しですね」
『だって今日、俺委員会出なかったじゃん?
実はお腹痛くなって、早退して……』
「笹本先輩と二人でサボったらしいじゃないですか。
次から次へと新しい女性に手を出して、良いご身分ですね。
清カス先輩」
『待て、何故バレている……?
クソ圭吾の奴だな、あの野郎』
「クソ野郎は清継先輩ですよ……。
それで? 今日はまた何用ですか?」
『いや実はな、笹本について調べて欲しい事があるんだ。
これはお前にしか頼めない』
「っ……笹本……先輩」
『どうした?』
「いえ、何でも。
それで、調べて欲しいというのは……
笹本先輩のスリーサイズですか?」
『なわけねえだろ。
あいつ元々アイドルグループやってて、
脱退後はネットで配信活動してたんだよ』
「へえ」
『だけどそれを突然辞めたらしい。
人気者だったのに、だ。
その直前の出来事を、お前の広く浅い交友関係で調べて欲しいんだ。
俺は配信だのデジタルには疎いし、出来そうにない』
「はあ……」
『頼めるか』
本当は笹本先輩には関わりたくない。
清継先輩と元々並々ならぬ関係にあった人だから。
私は以前、清継先輩にこんなことを聞かれたことがある。
――仮にお前の好きな人が別のクラスや学年にいたなら、
どうやってアプローチする?
その時の私は『さあ、どうするんでしょうね』なんて、曖昧にはぐらかした。
だが、答えは決まっている。
「……」
――私はその気持ちを封印して、水底へと沈めるだろう。
「ほんっとしょうがないですね!
良いですよ、私は清継先輩の応援団なんですから」
私はいつまで、この熱を冷ましたままでいられるだろうか――。




