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誰しも腹の底が見えないから、友人の皮を被る


「よお、笹本ささもと

 今日もサボりか?」


「……やあ、汐森しおもり

 高校で話すのは、初めてだね」


 渡り廊下は、校舎と校舎を無機質に縫い合わせる、透明な縫合跡のようだった。

 その中央に立ちながら、俺たちは妙に遠い。


 声は届くのに、距離が縮まらない。


 笹本悠里ささもとゆうり

 中学時代、俺の放課後の半分を占めていた名前だ。


 同じ中学から進学した人間は他にもいる。


 だが、笹本だけは「知り合い」という言葉に収まらなかった。


 放課後、二人で公園のブランコに座り――

 くだらない話から、他人に言えないことまで、少しずつ交換していった。


 沈黙さえ、共有物だった。


 だから再会とは、

 本来、温度を取り戻す儀式のはずだ。


 だが彼女は、懐かしさのかけらも見せず、

 きびすを軽く返そうとする。


 まるで、ここに用事はないと言わんばかりに。


「どこ行くんだよ。

 これから体育館だろ」


「保健室」


 即答だった。


 言い訳の匂いがしない分だけ、逆に胡散臭い。


「お前は、不登校少女の日本代表かよ……。

 放課後は校舎裏でこっそり煙草吸って、

 人相悪い連中とコンビニで無駄にたむろして、

 帰りは中年のおっさん彼氏に車で送迎してもらう――

 そんなビジュアルが浮かんで、心配になる」


「はは。凄い偏見だね

 もし、そうだったら?」


 試されている気がした。


「俺もお前と一緒に、

 地獄の観光地巡りでもするしかないな」


「正義のヒーローみたいに、

 そんな所から引っ張り出してやる、とか言わないんだ」


「お前が簡単に引っ張られてくれるとは思えない。

 意外と重そうだ」


 その言葉の後に、わずかな沈黙。


 笹本は視線を宙に彷徨わせた。


 ――ガラス越しの空を測るように。


「汐森、変わらないね」


「お前は少し痩せたか?」


「さあ、どうだろ」


 少し、どころではなかった。


 初めて教室で彼女を見たとき。


 制服の上に羽織ったフード付きのパーカーがなければ、

 俺は彼女を笹本だと認識できなかったかもしれない。


 布の中に、別人が立っているようだった。


 頬は削がれ、

 目の下には青い影が落ちている。


 もともと刃物のようだった視線は、

 今では砥石にかけ直されたみたいに、静かに、冷たく光っていた。


 ――何があった。


 問いは喉元まで上がるが、

 言葉にした瞬間、壊れそうな気がして、飲み込む。


 予鈴が、乾いた金属音のように響いた。


「授業、出ないのか?」


「それを言うなら、あんたこそ」


 隣の教室から、

 椅子を引く音が一斉に立ち上がる。


 それを耳にして、

 俺は鼻先で小さく息を鳴らした。


「お前と一緒に行こうと思ってたけど、もう始まったみたいだからいいや。

 知ってるか? 体育教師、キレたら本気で手が出るタイプなんだ。

 遅刻してヘラヘラ顔出したら、殴られるかもしれない。

 痛いのは嫌だ」


「……去年、どっかのクラスの男子がひっぱたかれたって噂、聞いたことある」


「それ、多分俺だ」


 笹本の眉が、ほんの少しだけ動く。


「水泳の授業で、女子更衣室を覗こうと画策する圭吾けいごたちを止めようとしたんだが、騒ぎになってな。

 その場にいた男子、全員まとめて平等にビンタ。

 ――青春の一ページだ」


「何やってんの」


 もちろん俺は、

 そのあと圭吾を殴った。


 正義感というより、腹が立っただけだ。


 俺は軽く肩をすくめる。

 

「なあ、笹本。少し話さないか?」


 沈黙。


 拒絶ではない。

 だが、許可もない。


「警戒しなくていい。

 誰かに頼まれて、ご機嫌取りに来たわけじゃない」


 一拍置いて、言葉を重ねる。


「お前なら、分かるだろ。

 ――見抜いてみろよ」


 俺は片手を差し出し、軽く皿の形を作る。


 武器は持っていない、という子供じみた合図。


 笹本は、その手ではなく、

 俺の目を見る。


 覗き込む、というより――


 測る。


 温度。

 嘘の比率。

 演技の厚み。


 彼女には、そういう目があった。


 中学の頃。

 規則に厳しく、正義と平等を声高に語る教員を、

 笹本は一言でこう評した。

 

 ――吐き気がする。

 

 理由は言わなかった。


 だが一ヶ月後、

 その教師は同僚の金を横領していたことが発覚し、懲戒解雇になった。


 偶然かもしれない。


 だが、笹本の直感は、何度も偶然を当ててきた。


 上辺だけの善意や、薄く塗った正義感は、彼女の前では透ける。


 水に落とした紙みたいに。


「何か見えたか?」


「鼻毛が出てる」


「嘘でしょお!?」


 思わず鼻先を押さえる。


「はは、冗談さ。

 何の進歩もない、私のよく知る汐森がいるだけだね」


「親しみやすい友人のまま、って意味で合ってる?」


「そうとも言えるね」 


 曖昧な肯定。

 含みを持たせるのが、こいつの癖だ。


 久しぶりに再会した相手なら、

 「綺麗になったね」とか「大人になったね」とか――


 そういう無難な賛辞を並べるのが普通だろう。


 だが彼女は、俺を更新しない。


 “変わらない”というラベルを貼って、

 その場に固定する。


 ……まあ、俺の方も。

 気の利いた言葉が即座に出るほど、成熟しているわけではないのだが。


 静まり返った渡り廊下。

 窓の外を風が抜ける。


 俺は無意味に前後を見渡した。 


「中庭、行かないか。

 ここだといつか教師と鉢合わせそうだ」


「いいよ。

 途中で見つかったら、

 私が『保健室に行くのに付き添ってもらった』って言うから」

 

「飲み込みの早い奴だな。

 まるでブラックホールみたいだ」


「それは吸い込みでしょ。

 てか、中庭で見つかったらどうするの」


 俺は少し考えるふりをしてから言う。 


「その時は……心中だな」


「はは、そりゃ良いね」


 笑い声が、誰もいない廊下に軽く跳ね返る。


 物騒な言葉が、

 冗談として成立してしまう距離。


 それが、少しだけ懐かしかった。

 

 俺たちは並んで歩き出す。


 校舎一階、下足口とは反対方向。

 人の流れから外れた先にある、中庭へ。


 逃避というより、選択的孤立だ。

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