犯罪組織「K」 ⑤
「清継君、途中経過見せてよ」
不意の言葉に、俺は身体を一瞬ぴくりと跳ねさせた。
動揺してはならない。
何か不審な動きを気取られたなら、
今回の“人物デッサン替え玉作戦”が崩壊しかねない。
裏でそんな幼稚なことをしていたことがバレれば、
白い目で見られるだろう。
かといって。
俺が自力で描いたクリーチャーのような人物画を見せれば、
不快罪で恋花に殴り殺されかねない。
渡る橋はBADかDEAD。
ならば、そもそも橋を渡らないようにすればいい。
まずは落ち着き、現状の問題を処理するんだ。
「お互い、完成形を見せたくないか」
「いや別に」
「お互い、完成形を見せたくないか」
――マズイ。
会話の引き出しがなさすぎて、
間違って同じ言葉の引き出しを開けちゃった。
これではまるで、壊れたお喋り人形だ。
「……」
滝のように冷や汗を流す俺を見て、
恋花は訝しげに目を細めた。
「なーんかさっきから、手が動いてないなって思ってたのよね」
「恋花に見惚れてたんだよ……
言わせるな……」
「清継君は嘘つくとね、
おでこに皺を寄せるんだよ?」
「えっ嘘。
マジで!?」
慌てて額を手で覆った瞬間だった。
恋花はニヤリと口角を上げ、俺の画用紙を奪い取る。
「嘘だよ、隙あり!」
「おまっ!?」
せめて片手で画用紙を押さえておくんだった。
一瞬の隙を突かれて、
俺の作品は乱暴に恋花の元へと渡ってしまう。
途中までは、万が一に備えて自力で描いていたとはいえ。
この後、輸送役の五里から渡されるであろう、
完成度の高い絵との差異が大きくては困るのだ。
恋花は、途中まで描かれた俺の絵を、しばらく無言で見つめ。
やがて、わずかに口を尖らせた。
「ふうん……結構上手いじゃない。
清継君って、こんな絵描けたっけ」
「な、なんだよ。替え玉疑ってるのか?
それ、少なくともそこまではちゃんと自力で描いたんだぞ」
「“そこまで”って何よ……。
いや、その……想像してたのと違ったというか。
普通に上手で、ちょっと驚いたというか」
視線を紙に落としたまま続ける。
「あなた、自信ないって言ってたわりに、ずいぶん謙遜してたのね。
でも、どうしてまだ“顔”を描いてないの?
身体から描く方が難しくない?」
奪い取った画用紙を、見せつけるように差し出してくる。
そこには――椅子に腰掛け、
こちらを向いてデッサンする恋花の姿が、首から下まで描かれている。
俺は、炭で黒く汚れた右手の側面を軽く払う。
「だから、途中経過だって言ってるだろ。
不意打ちで奪ったのはお前じゃないか。
ほら、俺のを見たんだから、恋花のも見せろよ」
「やだ」
「子供かよ。
話が違うだろ」
「私は“途中経過を見せて”とは言ったけど、
“見せ合おう”とは言ってないもの」
「なんだそれ、ずりぃ!」
「ふふ。人の話はちゃんと聞いておくことね。
はい、返す」
画用紙が手元へ戻ってくる。
――おかえり。
怖かったね。
紙の表面をそっと撫でる。
「ひったくりにでも遭った気分だよ、まったく」
「いや……本当は見せ合うつもりだったんだけどね。
でも、あんなの先に見ちゃったら、なんだか見せづらくなったっていうか……」
「今なら降参も受け付けるぞ」
「まさか。
清継君なら、最後はちゃんと、“期待通り”に仕上げてくれるって信じてるから」
「……どういう意味だよ」
「そのまんま。
はい、続き描こ?」
そう言われ、
俺たちは再び課題へと向き直る。
だが、俺にとっては、もはや誤魔化し続けるにも限界だった。
これ以上、この絵を描き進めることはできない。
俺は離れた席の上野へ視線を投げる。
すると彼は、無言で親指を立てた。
――任務完了。
順調だ。
あとは五里に運ばせるだけ。
俺は机の脚を鉛筆で三度、短く叩いた。
乾いた金属音が鳴る。
「清継君、どうしたの?」
「いや、ラストスパート前の気合い入れだ。
気にしないでくれ」
「……?」
恋花が怪訝そうに首を傾げる。
だが、ここまで計画通りなら、多少の強引さも許されるだろう。
合図に気づいた五里が、
上野から“例のブツ”を受け取り、こちらへ向かってくる。
ここまで手下を自在に動かせたのは、
この授業の空気を緩めてくれた王子のおかげだ。
後で缶ジュースの一本でもくれてやろう。
――善き隣人からの、ささやかな礼として。
そんな下世話なことを考えていると、背中に何かを隠した五里が到着した。
「清継さん、聞いてくれやい。
俺の隣の奴がな、描き終わったって言うから見せてもらったんだが……
ただのリアルゴリラ描いてやがった」
――何それ、めちゃくちゃ気になるんだけど。
いや、まずはブツだ。
俺は五里から、
上野に描いてもらった絵を背後で受け取る。
――ミッションコンプリート。
「五里の隣ってあれだろ、お前と同じ金髪でギャルの」
「ああ階堂だ。
あいつすげえお喋りだから、疲れちまったぜ」
「お疲れさん。
後で、階堂に絵を見せて貰いにいくよ。
気になり過ぎる」
「あいつには俺が一体、どう見えてるってんだ……」
愚痴を溢しながら、五里は自分の席へと戻っていった。
随分と自然な演技をする奴だ。
いつかサーカスに放り込まれても、
立派な名物ゴリラとして喝采を浴びるに違いない。
俺は受け取った絵を、手早く自分のものとすり替える。
上野に写真を送信してから、
さほど時間は経っていないというのに――
大した出来栄えだ。
そこには、写真の中から抜け出してきたかのような恋花が、
寸分違わぬ姿で描き写されていた。
これで文句のつけようもない。
授業終了を告げる予鈴が鳴る頃。
担当教師の菅原が教室へ戻ってきた。
彼はいつも、授業が始まると姿を消し、
終わり際になってふらりと現れる。
いったい、その間をどこで、何に使っているのだろうか。
俺よりも幾年も人生を重ねた先輩だ。
きっと、俺にはまだ想像も及ばないような、
有意義な時間の過ごし方を知っているのだろう。
デッサンを回収される前に、俺たちは互いの作品を見せ合うことにした。
恋花は、少しだけ弾んだ声で言う。
「じゃあ清継君、せーのでいくよ?」
「はいよ」
「「せーの」」
俺達は画板をひっくり返し、
今回の課題『私を描く隣人』を堂々と広げた。
「おお……」
互いの絵を広げた瞬間、俺は思わず息を呑んだ。
恋花の描いた俺は、
特徴を的確に捉えた、陰影の美しい人物画だった。
……心なしか、いやらしい目付きをしている。
俺が恋花を見つめる目は、他者から見てこう映っているのか。
気を付けねば。
一方、俺の絵も完成度は申し分ない。
腕の立つ人間に描かせたのだから当然だ。
にもかかわらず、それを見た恋花は眉をひそめ、
しばらく黙り込んだ末、心底つまらなさそうに言った。
「……なんか、思ってたのと違う。
つまんない」
「なっ、なんだよ!
負け惜しみか?」
「違う違う。確かに凄いんだけどね。
清継君って、人のこと、すごくよく観察して描く人なんだなって思って」
……この言い方。
俺は――
どこかで、
恋花に人物画を描いて見せたことがあっただろうか。
俺は、人の顔が描けない。




