明るい未来を望むなら、他人よりも自分に期待した方が気持ち楽
人が恋に落ちる瞬間とは、いつなのだろう。
一目見たとき。
ふとした気遣いに触れたとき。
その人の活躍に胸を打たれたとき。
自分の些細な変化に気づいてもらえたとき。
そして――
その人からは想像もできなかった、意外な一面を知ったとき。
だいたい、このあたりだろうか。
では、反対に。
恋が冷める瞬間とは、いつなのだろう。
浮気をされたとき。
生活習慣が合わないと知ったとき。
金銭感覚や物の考え方の違いが露わになったとき。
関係が、いつの間にか対等ではなくなっていたとき。
あるいは、理由もなく、なんとなく。
恋に落ちる瞬間よりも、こちらの方がよほど多彩だ。
だが不思議なことに、
恋が冷める瞬間というのもまた――
多くは自分が相手に勝手な期待を抱いていて、
「その人からは想像もできなかった意外な一面を知ったとき」
に訪れることが多い。
恋に落ちた理由と、恋が冷めた理由が、
まったく同じである場合もあるのだ。
この心の移ろいは、
人間心理の七不思議に加えてもいいと思う。
じゃあ、残り六つは何かって?
――分かりません。
俺はそんなことを考えながら。
隣の席で貧乏揺すりをし――
苛立ちを隠そうともしない恋花の横顔を、
ただ困惑気味に眺めていた。
「ムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくー!
何なのあの女!」
「な、なあ恋花……
お前、笹本と一体、どんな話をしてきたんだよ」
「うっさい、黙れ!」
理不尽、ここに極まれり。
恋花は柄にもなく自ら率先して、
不登校だった、笹本悠里に声をかけに行った。
遠目に見ていた限り、会話は五分も続いていない。
それなのに。
戻ってきた恋花は、まるで別人のようだった。
さて。
話の内容を想像してみよう。
『はじめまして笹本さん、私は向崎恋花です。
ずっと来てなかったから、会えて嬉しい』
『……あんた、臭いよ』
――これだ。
あんな短時間で、恋花をここまで激昂させるには、
もうこれしか思い浮かばない。
いや、断っておくが恋花は決して臭くない。
むしろ隣にいれば、
思わず吸い込みたくなるような、フローラル系少女である。
だが笹本は。
恋花のように社交性の高い人間が、
気を利かせた顔で近づいてくることを、心の底から嫌うタイプだ。
そして、その手の“善意”を、見抜いてしまう。
出会い頭に冷水を浴びせられたような感覚に襲われて、
恋花は、今まさにこうして爆発しているのだろう。
確かにこれは、
恋花からは想像もできなかった意外な一面だ。
だが、この程度で俺の恋が冷めることはない。
――ただ、戸惑う。
「笹本は、恋花みたいなタイプを特別に警戒するんだよ。
あいつの言ったことなんて、気にしなくていい。
大丈夫だ、お前は決して臭くない」
「ねえ、今ほんとにイライラしてるから。
意味わかんないこと言わないでくれる?
殴っちゃいそう」
「ごめんなさい」
「清継君、あんなのが好きだったの?
女の趣味、悪すぎるんだけど」
「ちょっと待て。
怒りの矛先が少しずつ俺に向かってきてないか?
それに趣味が悪いって認めたら、お前の否定にもなるだろ」
「は? 私が“アレ”と同列に見られてたってこと?
何なの、もう。
初めて登校してきたと思ったら、あの子……。
校長先生にお金積んだら、クラス替えしてもらえないのかしら」
「お前は悪役令嬢かよ」
恋花がここまで言うとは、本当に意外だ。
どうにも怒っているというより――
悔しがっているように見える。
きっと、彼女にとっての急所を、
狙い澄ましたような言葉で突かれたのだろう。
恋花は頬杖をついていた手で、こめかみを掴む。
「何が、何が『なんにも知らない』よ。
あの女……。
清継君がどれだけ外面だけ重視する人間か、私はよく知ってるのに」
「何? 俺の悪口を言い合って競ってたの?
嘘だろ。どんな発言が高得点なんだよ。
傷ついちゃうよ」
「うっさい黙れ」
――君には一万点あげちゃう。
もし俺の知らないところで。
“清継罵倒トークバトル”なる競技が流行っているのだとしたら、
ぜひとも審判に俺を加えてほしい。
みんな平等に一等賞にしてあげる。
「俺もう、お前の精神状態が怖いよ。
今日の美術の授業がさ、命懸けの時間から、
ただ今生最期の遺作を作るだけの時間に変わっちゃってるもん」
「どういうこと?」
「今日は予告されてたろ。
お互いの姿をデッサンする日。
俺の作品を見たら、腰抜かすぞ」
「清継君の絵?
……ああ」
恋花の視線が左上を向く。
何か考えているようだが、
俺は恋花に自分の描いた絵を見せたことなど、一度もないはずだ。
どんな平凡な想像をしたところで、
俺はその遥か上を行く稀代のエンターテイナーである。
キャッチフレーズはこれにしよう。
――お前も、クリーチャーにしてやろうか!?
さっきまであれほど不機嫌だった恋花が、
何を思ったのか、ふいに頬を綻ばせた。
「ふふ……それはちょっと、楽しみね」
「え、過度な期待は……しないでね?」
「どうしようかな」
「勘弁してくれ」
どのあたりを楽しみにしているのか見当もつかないが、
俺はたぶん、今のうちに遺書でも書き残しておいた方がいいのだろう。
そんなことを考えていると、予鈴が鳴った。
間もなく、
担任ヒロインの近島先生が教室に入ってくる。
これが見納めになるかもしれない。
来世でも思い返せるよう、しっかり目に焼き付けておかねば。
「みんな、おはよー!
……あれ、今日は記念日だね」
今日も近島先生は可愛い。
先生がいれば毎日が記念日だ。
愛してる。
……記念日?
先生は、笹本の突然の登校を当たり前のことのように受け入れている。
それからクラス全体を見渡し、
いつにも増して柔らかな笑みを浮かべて言った。
「二年一組。
全員集合だね」
始業式から約二カ月。
ようやく出揃ったクラスメイト達。
その光景に感慨を覚えているらしい近島先生の心情に、
俺もそっと寄り添ってみる。
――笹本の、睨みつけるような視線から目を逸らしながら。




