二年前の放課後
「汐森はさ、
高校行ったら何かしたいことないのー……?」
「俺か?
そうだなあ」
隣合った二つの人影だけが残された公園。
ブランコに揺られながら、俺たちはいつも通り、
他愛もない会話を交わしていた。
高校で新たに始めたい事なんて、
もう随分前から決めていた。
だというのに、俺はぶりっ子上等、
勿体ぶってわざとらしく唸ってから口を開く。
「バイトかな」
「高校入ってやりたい事がバイトだなんて……
汐森さ、子供の頃『将来の夢は国の歯車です』って、
書き出しで文集残してたんじゃない?」
「なんだそのディストピア世界は。
子供達が期待を胸にそんな事言い出すとか、どんな洗脳施してんだよ滅べよ」
「じゃあ、何?
社会貢献の為とか、人生経験の為とでも言うわけ?」
「中身の無いやつほど使いそうなセリフだな。
俺がそんなこと言う奴に見えるか?」
笹本は前髪をちょこちょこ触りながら唇を尖らせ、
考えを巡らせる。
そして含み笑いをひとつ。
「言いそう」
「何でだよ」
「何か理由を喋らなきゃいけない場面なら、
そんなもの『ネットの言葉をペーストして貼り付けるぐらいが丁度良い。
重要なのは爽やかさだ』みたいに考えてそうだから」
「あー……」
妙に納得してしまった。
確かに、中身のない言葉でも、
場の雰囲気さえ作れれば良しと、押し通しそうだ。
特に面接や自己紹介の場面なら、
そんな当たり障りのない言葉を選ぶかも。
笹本は、俺のことをよく理解している。
彼女とは去年からの――
つまり中学二年生の頃からの付き合いだ。
今ではクラスも別々になってしまっているというのに。
未だにつるんでいるなんて、
何か互いに惹かれ合う部分があるのだろう。
俺からしても、帰る場所の門限さえ厳しくなければ、
毎日だってこうして話していたいと思える。
灰色の空を見上げ、俺はやや投げやりに口を開いた。
「じゃあ、社会貢献して国の歯車になりたいからでいいや」
「ダメでしょ、そんな理由じゃ。
どれだけ働く気なのよ」
「たくさんかな」
「え?」
「たくさんバイトするんだよ。
多くの時間を犠牲にしてでもな。
中学卒業したらすぐ面接受けるつもりだし」
「何それ。
じゃあ新しい学校でのクラス親睦会みたいなことがあったら?
それでもバイト優先するの?」
俺は腕を組み、眉間に皺を寄せる。
まず、そんな会が本当に開かれるか?
と思ったが、心当たりがあった。
――幼馴染の圭吾だ。
あいつなら、初対面の人が参加を渋りそうなカラオケなんて場所を、
わざわざ選んで決行しそうだ。
――親睦会、ね……。
「バイトが入ってたら……
そっちを優先するよ」
「汐森、やっぱり変人だね」
「良いだろ別に。
金が要るんだよ。
……多分だけど、俺はそろそろ養護施設を出る」
「え! マジで……!?」
「最近、母親が施設に顔を見せるようになったんだ。
それで、俺もちょくちょく話すようにはなったけど」
「良いじゃん、良いじゃん。
良かったじゃん。
家族とやり直せそうなんでしょ」
「どうだろうな。
なんで顔を見せに来るようになったのかって聞いたら、
二度目の離婚をしていたことがわかったんだ。
死別した父親とは別でな。
多分、すがる相手がいなくなったから、俺をその代わりにしたくなったのかも」
「ああ、そう……なんだ……」
笹本は目を伏せる。
彼女は、俺が何故、養護施設で過ごすことになったのかを知っている。
父親が死んだのは五歳の時だ。
死因は聞かされていない。
ただ、『お父さんは遠くに行ってしまったんだよ』という母親の言葉を、
幼い俺は理解できなかった。
父は出張か何かだと思い込んでいたが、
再婚相手を紹介された七歳のときに真実を悟る。
涙を流すタイミングさえも、すでに失っていた。
そして、その再婚相手が『悪』だった。
その男は心傷した母親を利用して騙し、多額の金を奪い取った。
母親がおかしくなったのはそれからだ。
結局、それから祖父母の計らいで、
実家に子供たちだけで引っ越すことになった。
が、それに付随して転校するのが嫌だった俺は、
養護施設に入れることになった。
弟だけが、祖父母の実家に引き取られて。
「俺の母親さ、正直バカなんだ。
だから、そろそろ支えてやらなきゃいけないのかなって思ってる」
「そんな簡単に施設を離れていいの?
そこは、汐森を守るための場所だったんでしょ……」
「実を言うとさ、母親と連絡を取り始めてから、
職員の人にこんなことを言われるようになったんだ」
俺は、記憶の中の声色をなぞるようにして続ける。
「清継君。
ここは、本当に居場所のない人のための場所なの。
親子喧嘩から逃げるための避難所じゃないんですよ、ってさ」
「……なにそれ酷い!」
笹本は、思わずというように立ち上がった。
ブランコの鎖が、
錆びた音を立てて揺れる。
いつもは病人みたいに、生気の抜けた喋り方をするのに。
こんなふうに感情を露わにするのを、俺は初めて見た気がした。
「いや、いいんだよ」
慌てて、なだめるように声をかける。
「ごもっともな話だなって、そのときは思った。
他の施設の子の事情を、べらべら吹聴する気はないけどさ。
肉親がいて、しかも俺のことを気にかけてくれてる。
それだけで、俺はもう、養護施設に守られる側の人間じゃないと思ったんだ」
一拍。
「あそこは、本当に救いが必要な子のための場所だよ」
「それで、親を支える為にバイトするって言ってるの?
あんた、自分を二の次にするのもいい加減にしなよ」
「違う。
自分が一番だからだよ」
そう言ってから、少し間を置く。
「俺は結局、みんなに良い顔をしていたいんだろうな。
俺が頑張れば、いつかまた家族揃って暮らせるかもしれない。
俺が必死に生きてる姿を誰かが見たら、
そいつにだって、少しは勇気を渡せるかもしれない。
人気者でいられる限り、俺は――俺のままで生きていられる気がするんだ」
他の誰にも話したことのない胸の内を打ち明けたというのに、
笹本は、たった一言でそれを切り捨てた。
「汐森はさ……病気だね」
「お前もだろ。
人気者でいられなくちゃ、おかしくなるくせに」
「そうだね。
私たち、似た者同士だ。
同じ病気を共有してる憐れな人たち」
「間違いないな」
自嘲気味に笑うと、
笹本は俺の正面に立ち、ブランコに腰掛けたままの俺を見つめた。
そして、いつものようにフードを深く被り、静かに言った。
「私も……
汐森と同じ高校に行きたい」
互いに頬を染めながら、
病人同士は、許されるだけの時間を、
静かに分け合った。
◇ ◇ ◇
「笹本……
なのか……?」
清継君の声には、
冗談めいた響きがまるでなかった。
本当に動揺しているのが伝わってきて、私は思わず訊ねる。
「何。
友達?」
「……好きだった子だよ」
「は」
そんな言葉が返ってくるとは思ってもいなくて、
間の抜けた声が零れた。
気づかないうちに、
動揺していたのかもしれない。
「あら良かったじゃない。
昔の恋が再燃しそうで。
声でも掛けてきたら?」
「いや……」
普段は恥ずかしげもなく人に「可愛い」だの何だの言うくせに。
こういう場面になると急に及び腰になる。
そういうところが清継君らしい。
そして――
そんなところを可愛いと思っていた昔の私も、
今になって思えば、どうかしていた。
転校生だとか、不登校だとか。
そういう“イレギュラー”な存在に、
私は普段、進んで関わろうとしない。
それなのに、このときの私は、
なぜか妙な行動力に突き動かされていた。
「そ。
清継君が行かないなら、先に私が行ってくるわよ?」
「マジで言ってんの?
恋花、お前と笹本って、
あんまり気が合うとは思えないんだけど」
「随分親しかったのね。
その笹本さんと。
別にちょっと話してくるだけよ。
あなたに付きまとわれてたなら、共通の話題だってあるでしょ」
「ええ……」
情けない声を背中で受け止めながら、
私は笹本さんへと歩み寄った。
不思議なことに、彼女を囲んでいたクラスメイトたちは自然と道を空け、
何事もなかったかのように自分の席へ戻っていく。
「はじめまして笹本さん。
私は向崎恋花です。
ずっと来てなかったから、会えて嬉しい」
できる限り、
愛想よく振る舞ったつもりだった。
けれど笹本さんは、切れ長の目でしばらく私を値踏みするように睨みつけ、
やがて、ゆっくりと口を開いた。
「……ああ、向崎か。
向崎 恋花。汐森の“元カノ”の」
――何だろう、この子。
すごく感じ悪い。
「そ、そう……知ってるんだね。
あはは、笹本さんも、前は清継君に付きまとわれたりして、
大変だったんじゃない?」
「大変? 誰が」
「え、えっとほら……
清継君って、誰にでも安っぽく愛想振りまくし、
無意味にバイトばっか優先するし……笹本さんも……」
「あは」
笹本さんは、人を小馬鹿にしたように笑った。
それから、言葉を噛みしめるように頷きながら、
独り言のように言う。
「そっかあ。向崎。
名前は知ってたし、“汐森の元カノ”って聞いて、どんな子なのかと思ったら……」
そして、こちらを真っ直ぐに見据えて、
「向崎さ。
汐森のこと――何にも知らないんだね」
その一言で、言葉を失った。
仲良くするつもりだった。
少なくとも、敵意を向けられる理由はないと思っていた。
それよりも驚いたのが。
胸に湧き上がってきたのは、悲しみでも虚しさでもない。
もっと厄介で、
どうしようもない感情――
嫉妬に似た、怒りであったことだ。




