悪夢は幸運のサインと言うが、もう苦しんでるので±0
眠っていても踊り出したくなるような、
テンションの弾け飛んだBGMが部屋中に響く。
「ねむー……い」
喉の奥から、溶け切らない声が零れた。
とてつもなく、
嫌な夢を見ていた気がする。
掛け布団は床へずり落ち、
身に着けていたTシャツは、汗で重たく肌に貼り付いていた。
心臓の鼓動だけが、
なぜかまだ現実に追いついていない。
ひとまず、濡れているのがズボンでなくて良かった。
この歳でやらかしていたなら、
そのズボンと思い出は、誰にも見せず墓場まで持って行く覚悟が必要になる。
――一体、どんな悪夢だったのか。
眠気に負けそうな瞼を擦りながら、
俺は、散らばった記憶の欠片を拾い集める。
そうだ。
夢の内容は、こうだった。
舞台は学校。
昼休みに入ったばかりの教室で、俺は隣の席の元カノ、
向崎恋花を誘う。
一緒に、昼飯でもどうか、と。
『恋花、今日は中庭で一緒にメシでも食べないか?』
『清継君と二人で食べるくらいなら、
トイレで孤独に食べた方がマシ』
便所飯の方がマシ。
あまりに重篤な精神状態である。
――いや、きっとこの時の恋花は、
既に尿意が限界を迎えていたのだろう。
二人で食事どころではなかったに違いない。
それなら無理に誘うわけにはいかない。
俺は潔く諦め、
友人の圭吾と五里と三人で昼を過ごす。
放課後。
週に一度の委員会活動を終え、
戸締まりを確認した、まさにその瞬間。
恋花の所属する陸上部も、練習を終えたようだった。
俺は自分でも驚くほど軽やかな足取りで近づき、
声をかける。
『恋花、今上がりだろ。
途中まで一緒に帰らないか?』
『うわ……』
苦虫を噛み潰した、どころではない。
ゴキブリを奥歯で粉砕したような顔。
それでも、家の方向は途中まで同じだ。
返事はないが、どうにか肩を並べて歩き出すことには成功した。
『それで水上の奴がな、
から揚げには塩でもレモンでもなく、
シーザードレッシングが合うって言うんだよ』
委員会で交わした、どうでもいい話題を振る。
反応はない。
退屈だったかと思い、話題を変える。
さらに変える。
言葉が途切れないよう、必死に繋ぐ。
だが結果は、すべて同じだった。
しばらくして、
互いの帰路が分かれる道に差し掛かった、その時。
ようやく恋花が、こちらを向いた。
茶色がかった長い髪を耳にかき上げ、
耳元のイヤホンを外す。
かなりの音量で曲を聴いていたらしく、
微かに音漏れがあった。
恋花は、小首を傾げる。
『あれ、清継君。
なんか話してた?』
――なんて、恐ろしい悪夢だろうか。
本当に恐ろしいのは、
これだけの時間、応答がないにも関わらず、
一人で喋り続けていた俺自身である。
Tシャツが汗でびしょ濡れになるのも、納得だった。
夢なら良かったのに。
これは、間違いなく昨日の俺の体験談だ。
眠っていても思わず踊り出したくなるような、
テンションの弾け飛んだBGMが、再び部屋を満たす。
スマホのアラームが、
スヌーズ機能で俺の背中を叩いた。
「やべ」
さすがに、慌てるべき時刻だった。
ベッドから跳ね起き、部屋を飛び出す。
古い木造の階段に悲鳴を上げさせながら、
一階の台所へ駆け下りる。
冷凍庫から、あらかじめ凍らせておいた
茶碗一杯分の白飯を取り出し、レンジへ。
解凍を待つ間に、
今度は冷蔵庫から大容量袋の
『ボイルで簡単! ソーセージ』を引っ張り出す。
賞味期限は、一週間ほど過ぎていた。
消費期限でなければ、たぶん大丈夫だ。
四本ほど皿に出し、
白飯とコートチェンジ。
レンジに突っ込む。
その間に顔を洗い、制服に着替える。
「リモコン……リモコン……」
テレビを付けようとしたが、
時間が無いので諦めた。
「いただきます」
今日も変わらぬ献立。
我が家は、ソーセージ定食専門店である。
もう少し早く起きられていれば、
インスタント味噌汁くらいは付けられただろう。
すべては、あの謎の悪夢のせいだ。
歯を磨き、髪を整え、
鞄を持ち、靴を履く。
「行って来ます」
誰もいない家に向かって挨拶をし、
玄関を開ける。
――小走りしなくては。




