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いつか来る放課後


 人気者の言葉には、魔法が宿る――

 そう信じて、生きてきた。


 疲れ切った心を、たった一言で救い上げることもある。

 誰かの背を、ほんの少し押すだけで、立ち上がらせることもある。


 ありふれた愛の囁きでさえ、

 口にする人間が違えば、それは“特別な言葉”になるのだと。


 誰からも好かれ、

 誰からも認められ、

 羨望の視線を一身に浴びる存在になれたなら――


 その言葉には、きっと“救い”が宿る。


 そう、疑いもしなかった。


 ――もし、それが真実なら。


 どうして、俺はこんな結末に辿り着いてしまったのだろう。


「頼む、そこから絶対に動くな。

 俺が今から手を伸ばす。

 お前は何も考えず、その手を取るだけでいい」


 月光が差し込む教室。


 開け放たれた窓際に、

 ひとりの少女が身を預けている。


 普段はフードを深くかぶり、

 刺すような視線で世界を拒絶してきた彼女が。


 今夜は違った。


 冷たさの奥に、壊れそうな柔らかさを滲ませ、

 諦観にも似た微笑を静かに浮かべている。


「何も考えず、ね。

 ――それが出来なかったから、ここにいるんでしょ?」


「お前の苦しみは、一生続くものじゃない。

 今は、この瞬間が人生の全てみたいに思えるかもしれない。

 でも――必ず、救いはある」


 薄氷の上を踏むような思いで、俺は一歩、また一歩と彼女に近づく。


 足が震えていることを、彼女は見逃さなかったのだろう。

 まるで滑稽なものを見つけたかのように、彼女は小さく笑った。


「あっははは……必ず救いはある、か。

 あんたが言うと、ほんと笑えるね」


 彼女は、俺を真っ直ぐに見つめる。


「ねえ、汐森。

 あんたは――正しく救われたの?」


 問いではない。

 確認だった。


「誰かに手を差し伸べてばかりでさ。

 自分は、誰にも助けられてないくせに」


「俺は……」


 言葉が詰まる。


「救ってやりたいから、手を伸ばすだけだ。

 見返りなんて、求めてない」


「嘘だね」


 吐き捨てるように、彼女は言った。


「――あんたはさ。

 自分の苦しみを誤魔化すために、誰かを助けてるだけ。

 “良い人”でいることで、

 苦しみしか持たない自分に、意味を与えてる」


 微かに唇が歪む。


「そうやって……

 自分が救われた“つもり”に、なってるんでしょ」


「違う! 笹本(ささもと)……!

 俺は、本当に……

 お前のことが好きだったんだぜ……?」


 一拍、息を呑む。


「お前のことばかり考えてた日もあった。

 どうやって話しかけようか、どうすれば笑ってくれるか――

 そんなことばかりだ」


 自嘲気味に、続ける。


「でもさ……

 あの頃の俺は、それだけで

 お前が抱えている苦しみのことなんて、

 何一つ、分かっちゃいなかった」


 一拍。


 ようやく、言い切る。


「……でも今なら、分かる」


 声が、沈む。


 熱ではなく、重さを帯びて。


「だから救いたいんだ。

 お前は――

 俺と、一緒なんだから」


 生暖かい夜風が、窓から吹き込み、

 笹本の前髪を揺らす。


 額が露わになるのを嫌う彼女は、

 小さな手でそれを押さえ、ゆっくりと首を振った


「私もね……最初は、あんたと一緒だと思ってた。

 同じ()()を抱えた仲間が出来たって。

 だから、理解し合えるんだって。

 ……でも、違ったの」


 視線が、俺から逸れる。


「私は……あんたみたいに、

 支えられなきゃ生きていけないような、

 どうしようもない親を持ってない」


 言葉を選んでいるようで、容赦はなかった。


「生きるために必要なものは、与えられてきた。

 居場所も、逃げ場も、選択肢も」


 そこで、彼女は小さく笑う。


「だからさ。

 壊れたものを必死に繋ぎ止めようと生きてきたあんたとは……

 前提が、違ったんだよ」


 笹本は背後の満月を一瞥する。


 あまりにも完成された光。

 あまりにも、満ち足りている世界。


 それが、ひどく不快だと言わんばかりに、

 そっと目を閉じる。


「私はね。壊れたんじゃない」


 一拍。


「壊したんだ。自分で」


 静かな断言。


「同じ場所に立ってると思ってたけど……

 私とあんたは、同じ方向を向いてただけだった」


 目を開ける。


 もう迷いはない。


「本当の人気者の汐森(しおもり)からすれば、

 私の悩みなんて、取るに足らないものかもしれないね」


「だったら――!」


 言葉を荒げかけた、その瞬間。


 遮るように、叫びが叩きつけられる。


「それでもつらいの!

 苦しいの!

 何でも持ってても、何でも与えられてても、

 あんたには理解出来ないくらい――毎日が、息苦しい!」


 喉の奥から、無理やり引きずり出すように。


「私はね――

『誰からにでも愛されなきゃ、生きていけない病気』なんだよ!?」


 言い切ったあとも、呼吸は整わない。


 肩で息をしながら、それでも言葉を重ねる。


「私達は、似ているようで違う……あんたのは病気じゃない。

『誰にとっても良い人で居続けなきゃ、自分でいられなくなる呪い』よ」


「な……」


「中学の汐森は、ここまでその生き方に執着してなかった」


 遠くを見るような目。


「どうしてかな」


 ――答えられない。


 反論も、否定も、弁明も。


 何一つ、浮かばない。


 ただ、唇だけが情けなく震える。


 笹本は、そんな俺を見つめた。


 憐れむように。


 けれど、どこかで羨むように。


「ねえ汐森」


 静かに、問いを落とす。


「その()()――誰に掛けられたの?」


「そんな事はどうでも良い!

 笹本、この通りだ!

 お前が望むなら、どんな事だってする!

 どんな言う事だって聞く!」


 一歩、踏み出す。


「だから……俺の側に来てくれ!」


 無様でもいい。

 みっともなくてもいい。


 もう、それ以外に残っていなかった。


 ――だって。


 今の笹本の表情は。


 あまりにも。


 あまりにも、綺麗すぎた。


 この世の未練をすべてどこかへ置き去りにしたような、

 澄み切った空気を帯びている。


 ここで引き止めなければ。


 もう二度と、

 彼女と交わす言葉は戻ってこない。


 そんな確信があった。


 笹本は窓際に座ったまま。


 まるでブランコにでも乗るように、

 ゆっくりと身体を前後に揺らし始める。


 ――四階。


 下は、冷たいコンクリート。


 落ちれば。


 その先は、考えるまでもない。


 分かっているのに。


 叫びを押し殺すことも出来ず、


 息を詰めたまま。


 俺は――ただ、見ていることしか出来なかった。


「笹本……!」


「汐森はさ、本当に良い人だよね。

 じゃあ最後に、こんなお願いをされたら……あんたはどうする?」


 その声音は、奇妙なほど穏やかだった。

 答えを求めているのではない。

 既に決まっている結末を、なぞるだけの確認。


「私ね、汐森の為なら何でもするよ。

 どんな願い事だって聞く。本当に、どんな事でもだよ?」


 一拍。

 沈黙が、空気の温度を奪っていく。


 心臓が、嫌な音を立てた。


「だからさ……」


 次の言葉は、

 刃ではなく、指で潰すように――


「私と一緒に、死んでくれない?」


「……は?」


 俺が何も答えられないと悟ると、

 笹本は満足げに笑い——


 そのまま、教室の窓から身体を投げ出した。



 第二章、言葉の魔法


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