心の――②
* * *
それから俺たち四人は、美術館を訪れた。
芸術に特別な関心があるわけじゃない。
そこにあったから、来てみただけだ。
展示室に足を踏み入れた瞬間。
静けさと空調の効いた空気が、
さっきまでの喧騒をきれいに切り離してくれる。
そういえば近々、美術の授業で
例の課題があることを思い出した。
――隣の席の人をデッサンする。
これをどう乗り切るか。
今後の学生生活を左右すると言っても、
あながち大袈裟ではない。
親しい後輩の水上には、
俺の絵を「クリーチャー」だの何だのと、好き放題言われたものだ。
しかし館内を回っていると――
俺の作品と大差ないようなものが、
さも当然の顔で展示されているではないか。
もしかすると――
俺の絵も、案外悪くないのかもしれない。
もっとも、それらしい題名さえ付けてしまえば、
鑑賞者は勝手に意図を深読みしてくれるだろう。
芸術とは、そういうものだ。
説明を拒むことで、
意味を増殖させる分野。
少しだけ、自信が湧いてきた。
そんなことを考えていた、その時だ。
「お母さーーん!」
美術館にはあまりにも似つかわしくない、
甲高い泣き声。
現代社会では、
こういう場面こそ一度静観するのが賢明だ。
誤解を避けるためにも。
――だが。
そんな理屈を挟む間もなく、
俺はその小さな女の子のもとへ駆け寄っていた。
ひざまずき、声を落とす。
「どうした。
母親とはぐれたのか?」
「お母さーーん!」
なるほど。
言葉が通じない。
これでは、まるで俺が不審者だ。
善意で声を掛けただけなのに、
次の瞬間には犯罪者扱いされかねない。
現代社会とは、優しさの地雷原である。
相手が不快に思った瞬間、
それは容赦なく爆発する。
怖くなってきた。
俺も叫んでいいだろうか。
お母さーーん!
「れ、れれ恋花、助けてくれ!」
「え、何。
清継君、泣かせたの?」
「泣かされそうなんだ」
「勘弁してよ……」
そこから先は恋花に任せた。
子供の扱いには慣れた様子で、
女の子の目線に合わせ、
静かで柔らかな声で話を聞いている。
結果として。
母親がお手洗いに行っていただけだった。
ちゃんと説明もされていたらしい。
それでも、どうして幼い子供というのは、
ああも積極的に迷子になりたがるのだろうか。
……いや。
俺にも覚えがある気がする。
「助かったよ、恋花。ありがとう」
「なんか、お母さんにいっぱい感謝されちゃったね。
ただ側にいただけなのに」
「俺にはそれすら出来なかった。
立派な功績だろ」
そう言うと、恋花は口元に手を当て、
小さく、くすりと笑った。
「なんか……
前にも、こんなことあったよね」
「前?」
「あの時も清継君、子供に泣かれて……」
そこまで言ったところで、
背後から五里たちの声が飛んできた。
「お、清継さんたち、
こんなとこにいたのか。探したぜ」
「ごめんね、
清継君が子供を泣かしてて」
「どういうことだよ」
結局、その話の続きは聞けずじまいだった。
覚えのない話だっただけに、
妙に胸の奥に引っかかる。
だが、聞き返すタイミングは完全に失われていた。
まあいい。
今度、学校で聞けばいいだろう。
館内の時計が、鈍い鐘の音を鳴らす。
――そろそろ、帰る頃合いだ。




