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心の――


 昼時をとうに過ぎたというのに、

 フードコートは活気を失う気配を見せなかった。


 ざわめきと人いきれが、

 油の匂いと一緒になって天井の低い空間を満たしている。


 その混雑の只中で。


 四人掛けの席をすんなり確保できたのは、ほとんど奇跡に近い。


 喧騒の波間に、

 たまたま静かな小島が浮かんでいた――


 そんな具合だ。


 男二人が向かい合い、

 正面の空席だけが、ぽっかりと取り残されている。


 そこだけ時間の流れが一拍遅れているような、

 不自然な静けさがあった。


「で、どうだったよ。

 ちえりとしばらく一緒にいて、人生の絶頂は味わえたか?」


「可愛すぎて生きた心地がしねぇ……

 清継(きよつぐ)さん。俺さ、多分だけど、

 美少女より地味めな子の隣のほうが、安心できる性質なのかも知れない……」


「まあ、高級レストランよりファストフードのほうが、

 妙に落ち着く時ってあるからな」


「その例え、人間に当てはめるのは、

 さすがにないんじゃないですかい?」


「だろうな。

 恋花れんか達の前じゃ、口が裂けても言えないさ」


 一拍。


「――だが、五里(ごり)よ。

 一つ、お前の間違いを正しておいてやろう」


「何ですかい」


「美少女の隣だから生きた心地がしないんじゃない。

 好きになった子の隣だから、生きた心地がしないんだよ」


「……」


「たとえ“地味”と呼ばれる子でも、お前が恋に落ちりゃ――

 その瞬間、そいつはお前の目の中で美少女になる。

 つまりだ。お前の悩みが解決される日は、永遠に来ない」


「まじか……

 清継さんが言うなら、そうなのかも知れねぇな……

 恋ってのは……もう、心の病気ですねぇ」


 五里は、胸の奥を丸ごと吐き出すみたいな、深いため息をついた。


 恋愛は病だ、と言う者は多い。

 俺も、おおむね同意している。


 意中の相手のそばにいるだけで鼓動が跳ね、

 視線は勝手に追いかける――


 考え事のすべてが、

 いつの間にか一人の人間に占領される。


 ついさっきまで、

 何の感情も抱いていなかった相手が――


 気付けば世界で一番、魅力的に見えている。


 まるで、知らぬ間に特殊なフィルターでも装着させられたみたいに。


 地味な存在が、

 美少女にも、王子様にも化けてしまう。


 この“現象”を言葉で説明しきれないから。


 人はそれを病気と呼び、

 深く考えることをやめて、思考を保留にするのだろう。


 けれど――

 そうしてしまうのは、どこか、少しだけ寂しい。


 恋愛など縁のなさそうな五里が、本気で悩んでいる。


 その様子がどこか幼く、同時に切実で。


 俺は気づかれないよう、わずかに口元を緩めた。


「五里。

 お前は今まで、どれくらい“好きな子”ができた?」


「な、何ですかい急に!

 そういう話は勘弁してくだせぇ……」


 五里は言葉に詰まり、視線を泳がせる。


 答えを探しているというより、

 “数える”という行為そのものに戸惑っているようだった。


「俺はな」


 構わず、続ける。


「今まで好きになった子のこと、全員覚えてる」


「……は?」


 怪訝そうな顔をされるのも想定済みだ。

 それでも、言葉は止めなかった。


「普段は他人の顔なんて、全然覚えられないのにさ。

 不思議なもんで、好きになった相手だけは、誰一人忘れてない」


 記憶の引き出しを、ゆっくりと開ける。


「最初は幼稚園。

 かなえちゃんって子で、

 朝に『おはよう、清継くん』って言われただけで落ちた」


「……単純すぎません?」


「だろ。

 次は小学一年。三つ上の、なつみちゃん。

 廊下ですれ違っただけの、一目惚れだ。

 結局、卒業するまでずっと好きだった」


「清継さん……

 反応に困っちまいますよ」


 半ば呆れたように言い、

 手元のグラスを持ち上げた。


 氷だけが残ったそれを口に含み、

 がりり、と噛み砕く音で間を埋める。


 居心地の悪さを、音で誤魔化している。


 俺は気にせず、話を続けた。


「中学の頃は、美依子(みいこ)って年上の人が気になった。

 誰にでも優しくて、頭も良くて、みんなに慕われてた。

 将来は医者を目指してる、なんて言うくらい、芯のある夢を持った真面目な人でさ」


「はあ……」


「でも途中で気づいた。

 あれは恋じゃなかった」


 一瞬、言葉を選ぶ。


「尊敬だ。

 ――憧れに近い感情だったんだと思う」


 少し間を置いて、続ける。


「二年になってからは、笹本(ささもと)

 可愛くて、クールで、クラスのアイドル。

 名前は知ってたけど、まさか同じクラスになるとは思わなかった」


 天井を仰ぐ。

 そこには当然、何もない。


「面白そうなことをする子でさ。

 すぐ仲良くなろうとした。

 ……でも、どうしてか、自然と冷め」


 そこで言葉を切り、

 俺は小さく息を吐いた。


「中三の、終わりかけだったかな。

 向崎(こうざき)って子を好きになった」


 視線を落とす。


「こいつも、いわゆる“みんなのアイドル”だった。

 でも、話してみると違った。

 俺の中のイメージが、少しずつ、静かに書き換えられていく」


 ゆっくりと、言葉を選ぶ。


「人当たりはいいくせに人付き合いは苦手で、

 気遣いは上手いのに不器用で、

 乗り物酔いをすると、信じられないくらいひどい顔になる。

 人前では猫を被ってるくせに、

 二人きりだと平気でキツい言葉を使う」


 それでも、と続ける。


「……その魅力は、今も更新中だ」


「清継さん」


 困惑。


「結局、何が言いたいんですかい」


「俺はな——

 少しずつなんだ。

 好きになってから、“好きになった理由”を見つけてる」


 騒がしいフードコートの音が、

 一瞬だけ遠のいた気がした。


「それに、どんなに好きだった相手も、時間と一緒に変わる。

 それを全部まとめて“病気”って呼ぶのは、

 少し乱暴じゃないかと思ってさ」


 一拍。


「確信はないけど――

 これは“心のアップデート”なんじゃないかって、思ってる」


 五里の呼吸が、わずかに変わる。


「五里。

 教えてくれなくてもいい。

 ちえりの、好きなところ……もう、見つけられてるか?」


 沈黙。


 フードコートは相変わらず騒がしい。


 笑い声、

 泣き声、

 忙しなく行き交う足音。


 食器の触れ合う乾いた音と、呼び出しベルの電子音。


 それらすべてがノイズとなり、

 それでも確かに、

 俺たちの沈黙だけを、浮き彫りにしていた。


 五里は、不意を突かれたような顔をしていたが――


 やがて、

 照れ隠しのような乾いた笑いを零した。


「はは……そうだなあ。

 考えてみりゃ、古谷の気に入ったところ、もう幾つも見つかってたな」


 指を折るように、ぽつり、ぽつりと。


「絶叫系が好きだとは思わなかったし、

 少しわがままなところもある。

 飲み物だって、途中で買わされたしさ。

 ……それに」


 一瞬、言葉を探す間があった。


「いや、確かに。

 心のアップデート、かもな。

 清継さん、そりゃ良いや」


「だろ?」


 俺たちは、示し合わせたわけでもないのに、同時に笑った。

 肩の力が抜けた、乾いた笑いだ。


 ――もっとも。

 周囲から見れば、状況は最悪である。


 テーブル席だというのに向かい合いもせず、

 わざわざ隣同士に腰掛け、

 男二人で楽しそうに笑っているのだ。


 どう見ても、ガチホモカップル。


 絶対にクラスメイトだけには見られたくない。


 この光景が誰かの視界に入っていたら……


 明日の学校では

 「説明のしようがない、とんでもない噂」が

 学年中を駆け巡っている可能性がある。


 不登校を決意しかねないレベルだ。


 とはいえ、

 こんな状況に至ったのには、きちんと理由がある。


 俺と恋花が水族館を一通り見終えた頃。


 五里とちえりから、

 『合流して昼食にしよう』というメッセージが届いた。


 それでフードコートに来た。


 会計は、俺と五里の二人で持った。


 遠慮する女性陣を半ば強引に納得させ、

 俺たちは無事、自己満足を達成する。


 初デートの会計は男が持つべきだ、とか、

 そういう性別意識の話ではない。


 割り勘でもいいし、

 どちらが払っても構わない。


 そんな議論自体、正直どうでもいい。


 もっと単純な話だ。


 ――見栄を張りたい奴が払えばいい。


 そうして、喜んで財布を差し出した浪費家の俺と五里は、

 見事なまでに見栄を張り切り、

 現在、非常に満足している。


 きっと将来。


 部下を何人も抱える会社員にでもなったら、

 光の速さで身を滅ぼすだろう。


 食事を終えた俺たちは、

 一般人が一時的に紳士の皮を被れる精神系大魔法――


『お手洗いとか、大丈夫?』


 を発動した。


 その一言で女性二人を自然に席から外した結果が、

 この“男二人並び事件”である。


 なんだかんだで、

 五里とじっくり話せた有意義な時間だった、と言えるだろう。


「ごめん、二人とも。遅くなった」


 恋花とちえりが、やや駆け足気味に戻ってくる。


 思ったより時間がかかったらしい。


「……下してたのか」


「スマートな清継君だと思ってた私が馬鹿だった。

 死んだら?」


 どうやら俺には、

 この大魔術を使いこなす経験値が足りていないようだ。


 どこかで人生経験を積み、レベル上げをしなければ。

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