真の気遣いとは、それを悟られぬままでいること②
女心は山の天気。
そう言った以上、俺自身も、その言葉を信じるしかない。
今日の目的は、五里とちえりの背中を押すこと。
だが同時に、俺だってチャンスを掴みにいくべきなんだ。
恋花の心の天気が、今日一日でほんの少しでも俺に傾くのなら──
その一瞬を、俺は絶対に取り逃がさない。
……それはそれとして。
「でも恋花、特別に頑張ろうとしなくても良いとは思うけど……
五里は、俺たちに頭を下げるくらい真剣なんだ。
出来る限りのアシストはしてやろうな」
「わ、分かってるわよ。
う……清継君って、人に頼まれるとすぐ引き受けるところ、
正直、あんまり良くないと思うよ」
「お前さ、たまに前みたいに“名前呼び”するけど、
統一しないのか?」
「――うぇ!?
私、名前で呼んでた!?
嘘……」
「自覚なかったのかよ」
「……ごめん」
恋花は耳の先まで赤くして、視線を落とした。
本当に無意識だったらしい。
ということは、
普段は意識して「汐森君」に戻しているのだろう。
いったい、どんな距離感で。
どんな温度で。
彼女は俺を見ているのか。
その答えは、彼女の肩越しを流れていく風みたいに、
掴もうとすればするほど、するりと遠ざかっていく。
そんなことを考えているうちに、
遠くからバスの青い車体が近づいてきた。
俺と恋花が先に合流したのは、家が近いから──
それだけが理由じゃない。
今日の“共同作戦”を、
出発前にすり合わせておきたかったのだ。
五里とちえりは家が離れているため、現地集合になっている。
排気を吐きながら、
静かなバスの扉が、ゆっくりと開いた。
「恋花、行こうか」
「うん」
本当なら手を差し出して、段差に気を配ってやりたかった。
だが今の俺は、そういうことをしていい立場じゃない。
ICカードをかざし、俺たちは並んで奥の席に腰を下ろす。
窓側に座った恋花が、きしむ窓をほんの少しだけ開けた。
「どれくらいで着くんだっけ」
「四十分くらいじゃなかったか。ほれ」
斜め掛けのバッグから、事前に買っておいた酔い止めを取り出す。
「水いらずで噛めるやつ。
着いてからフラフラじゃ格好つかないだろ。
早めに飲んどけ」
「あ……ありがとう。
もしかして、覚えてたの?」
「途中で思い出したんだよ。
乗り物酔いしやすいくせに、なんで何も準備しないんだ。
俺の部屋、使いかけの酔い止めまだ何個もあるんだぞ?
そのうちドラッグストアになる」
「私だって、清継君のために買ってたハンドクリーム、
家にまだいっぱいあるんだから。
お互い様でしょ」
「え?
あれ俺のために買ってたの?
趣味で集めてるって言ってなかったか」
「んなっ……!」
恋花は目をまん丸にして、
耳の先まで火がついたように赤くなる。
その反応につられて、
こちらの喉元から顔まで一気に熱が上がった。
俺はバイト先で食器洗いをすることも多く、
手が乾燥してあかぎれをよく作っていた。
そんなとき、恋花はハンドクリームを差し出してくれた。
そして、いつもこう言っていたはずだ。
──「いい匂いのもの見つけると、つい買っちゃうの。
趣味みたいなものだから、清継君が使ってくれればいいよ」
それが、俺に気を遣わせないための嘘だったなんて。
今まで、まるで気づきもしなかった。
恋花は窓の外の流れる光を、睨むように見つめる。
「もう昔のことなんだから、いいでしょ。
清継君の部屋なんか、酔い止め専門店になっちゃえばいいのよ」
「じゃあお前の部屋も、元カレのためのハンドクリ――痛っ、いでででで!」
脇腹を思いきりつねられた。
必死に声を殺したが、車内の数少ない乗客たちの視線が集まる。
前にもどこかで思ったが、この手の目立ち方は、本当に苦手だ。
「恋花、やめろって……
周りから見たら今の俺たち、元恋人じゃなくて、
堂々とじゃれ合うバカップルだぞ」
「……っ!」
その一言で、恋花は湯気でも立ちそうな勢いで固まり、しおらしく手を離した。
この調子だと、
臨海パークに着く前に精神力が尽きかねない。
そうなる前に、本題に入ろう。
「到着まで時間ある。
今のうちに作戦の最終確認しとくぞ」
「……もう、帰りたい……」
「お前が今帰るなら、俺もバイトに切り替えるぞ。
そしたらちえりには“五里を一人押しつけて逃亡した悪魔の先輩二人”って、
卒業まで語り継がれる」
「清継君、今日バイトだったの?」
「まあな。
俺の出勤率、急な代打込みで一二〇%超えてる。
打率ならメジャーリーガーだ。
そのおかげで昨日“明日休みたい”って言ったら、快くOKが出たよ」
「働きすぎじゃない?
なんでそんなに――いや、何でもない」
言いかけて、恋花は小さく首を振った。
本当に、よく分からないやつだ。
「とにかくだ。
ちえりは、五里も含めて遊びに行くのを承諾したんだろ」
「承諾っていうより……
ほぼ“清継君が一緒なら仕方なく”って感じだったけど」
「それ初耳なんだけど」
「昨日の電話で言ったでしょ。
昨日のあなた、ずっとヘラヘラしてて、
話聞いてるのか分からなかったもの。
本当に聞いてなかったのね」
――はい、聞いてませんでした。
昨日の俺は、電話越しの声を聞いただけで
『恋花たん可愛い』くらいの溶けた思考しか働いていなかった。
正直、何を話したかほとんど覚えていない。
これがあれか。
偉い人が責任問題を問われたときに抜く伝家の脇差――
名刀『記憶にございません』。
……ふざけている場合じゃない。
「すまん。
昨日は寝不足で頭が回ってなかった。
最初から話してくれ」
「絶対それだけじゃないでしょ……。
もう、仕方ないなあ」
バスに揺られながら、臨海パークへ向かう。
到着までに、ちえりの事情をきちんと把握しておきたい。
誤ってでもストーカーから守る“偽装彼氏役”が、
俺に回ってしまっては本末転倒だ。
ちえりの悩みを解決し、
五里の恋を後押しし、
そして──俺は、恋花との距離をひとつ縮める。
今日のイベントは、絶対に成功させてみせる。




