でも誰が一番大切なのか考えてみて下さいって事です。②
「じゃあ、今度一緒に臨海パーク行くか」
「……はい?」
水上は、一瞬、完全に思考が停止したように固まった。
それから。
視線をくるりと一周させ、
何か一人で納得したような顔になってから。
「ああ。
圭吾先輩も一緒に、三人でってことですね。
びっくりしたなあ」
……俺が、いつ圭吾の名前を出した。
二人で一つの存在だとでも思っているのだろうか。
とはいえ。
普段から行動を共にしているのだから、
そう解釈されるのも無理はない。
無理は、ない……はずだ。
「まあ、水上が圭吾もいた方がいいって言うなら、声は掛けるけど」
「……ちょっと待って下さい。
『声を掛けるけど』って、清継先輩。
まさか私と二人で行くつもりだったんですか?」
「え、うん」
相槌を打てば。
水上の顔が、内側から火が噴き出したみたいに赤くなる。
口を開けては閉じ、
言葉を探しているのか、空気を噛んでいるのか分からない。
そして次の瞬間。
――カウンターを叩く、鈍く乾いた音。
「れれれれれ恋花先輩という者がありながら、何抜かしてんですか!?
やっぱり、頭おかしいんじゃないですかああ!?」
「頭おかしいとは何だ!
お前が一回行ってみたいって言うから誘っただけだろうがああ!」
「だから、それがおかしいって言ってるんですよ!
この、ナチュラル女たらし!」
言葉が勢いのまま、なだれ込む。
「きっと恋花先輩が『良い人過ぎてつまんない』って理由で振ったのは建前で、
本音はそのスケコマシな無自覚さに、嫌気が差したんです!
クリスマスまでに復縁したいなら、
とっとと意識改革しないと、一生ミジンコ扱いですよ!」
言葉が鋭すぎて、もはや刃物じゃない。
核弾頭だ。
俺は、人を一途に思うことだけは、誰にも負けない自信があったのに。
とはいえ、
水上に彼氏がいないことが確認できたのは、不幸中の幸いだった。
もし無自覚に、他人の恋人を誘っていたとしたら、取り返しがつかない。
今後の人間関係が音を立てて崩れるところだった。
……一安心。
そう言いたいところだが、それどころじゃない。
心の複雑骨折が、ひどい。
完全に、思考が止まっていた。
そんな俺を見下ろして、水上は頬を膨らませたまま言う。
「ほんと、しっかりして下さいよ。
私に気を遣ってくれるのは嬉しいですけど、
せっかく先輩、自分の手でチャンスを掴んだんでしょう?」
一拍。
「私にとっての“良い人”にならないで下さい。
恋花先輩にとっての“好い人”でいて下さい」
「……良い人でいることは、良いことだろ。
水上も恋花みたいに、束縛と浮気癖のあるDVヒモ男がタイプなのか」
「恋花先輩に殺されますよ」
小さくため息をついてから、続ける。
「……そうじゃなくて。誰にでも手を差し伸べられる先輩は凄いです。
間違いなく先輩の長所と言えるでしょう。
でも、誰が一番大切なのか考えてみて下さいって事です」
一瞬、視線が外れる。
「恋花先輩に向ける手と、私に向ける手。
それ、本当に同じでいいんですか?」
「……!」
胸を殴られたみたいな衝撃だった。
恋人に差し向ける手。
友人に差し伸べる手。
俺にとっては、どちらも大切だ。
けれど、水上の言う通りだ。
それを等しく扱われて、違和感を覚える人も、きっといる。
――恋花にとって、俺はどちらの“いい人”だったのだろう。
俺のモットーは、
「良い人でいること」。
そうしていれば誰からも好かれる。
人気者の言葉には――
不思議と魔法みたいな力が宿って、
誰かの不安や悩みを救える。
ずっと、そう信じてきた。
けれど。
みんなの“良い人”でいようとすることは、
大切な誰かにとって、“特別じゃなくなる”ということなのかもしれない。
ふと、いつかの言葉が蘇る。
『あなたが、もっといい子でいたら、
こんなことしなくて済んだのに!』
頭の奥が、じわりと痛み始めた。
もし。
もしもだ。
俺の「みんなの良い人でいたい」という生き方そのものが、
間違っているのだとしたら。
俺は――それを変えられるのだろうか。
……いや。
多分、変えられない。
「先輩?」
「ああ、すまん。
水上の言うことにも一理あるな、って思っただけだ。
……お前、ずっと俺のこと応援してくれてたんだよな。ありがとな。
さっきの話は忘れてくれ」
いつもの調子に戻ったと分かり、水上はほっと表情を緩めた。
「はい。では、綺麗さっぱり忘れました。
帰りのラーメンと餃子が楽しみです」
「待て水上。
それは記憶の消去じゃなくて捏造だろ」
「あれ、そうでしたっけ?
まあ細かいことはいいじゃないですか。
先輩のデート決定祝いですよ」
「それなら、俺が奢る側なの、おかしくないか?」
「ていうか先輩こそ、今日遅刻して来たの忘れてません?」
「あれ、そうだったっけ?」
「うわー、この人最低だあ」
そんな他愛もないやり取りのうちに、
委員会の時間は、ゆるやかに流れ去っていった。
図書室に着いてから、結局ひとりの利用者も現れなかった。
静まり返った書架の隙間に、ふと――
この憩いの場所も、いつか「不要」だと判断される日が来るのではないか、
そんな薄い不安がよぎる。
まあ、図書室は学校の生活インフラみたいなものだ。
考えすぎだろう。
戸締まりをして、鍵を返し、下足口を並んで出る。
夕方の廊下には雨上がりの匂いが残っていて、少しだけ肌寒かった。
帰り道、俺は結局、ラーメンだけじゃなく餃子まで奢る羽目になった。
水上の“記憶の捏造”が、そのまま現実になった形だ。
自分でも驚くほど、俺は後輩に甘い。
今日は委員会を丸投げした負い目もあるし……まあ、いい。
店を出る頃には雨もすっかり止んでいて、
歩道に点々と残る水たまりだけが、過ぎ去った雨の名残を映していた。
ドラマの話、最近流行っている動画の話。
くだらない話題をいくつも渡り歩きながら、
帰り道の終わりは、気づけばすぐそこまで来ていた。
別れ際、水上は手にした傘を軽く振って閉じ、小さく拳を握る。
「いよいよデートは明後日ですね。
清継先輩、ちゃんと気合い入れてくださいよ」
「任せとけ。
……と言いたいところだが、恋花と出かけるのは久しぶりだからな。
お前が近くで逐一アドバイスしてくれたら心強いんだが」
「いや、目に見えるナビゲーターがいるデートとか狂気ですよ。
私、どんな顔してればいいんですか」
一拍。
「ていうか、そもそも日曜ですよね。
私、予定ありますし」
「なんだ、そうなのか。
お前もデートか」
「殴ってもいいですか?」
とても可愛らしい笑顔で、物騒なことを言われる。
経験上、
この笑顔を浮かべる人間は、本当に手を出してくる。
注意したい。
「怖いこと言うな。
お前まで恋花みたいになったら、俺の身が持たない。
予定って言うから、ちょっとイジってみただけだ」
「そうですか。
まあ、予定というか……ちょっと気になることがあるんですよね。
ちえりちゃんのことで」
――ちえり?
五里の件が、感づかれたのか?
ダブルデートの話は、
恋花経由でちえりに伝えてもらう段取りになっている。
もしかすると、ちえりが何か引っかかりを感じて、
水上に連絡を入れたのかもしれない。
計画が露見したら、厄介だ。
慌てて話を断ち切る。
「ちえりか。
まあ、高校生活始まったばかりだし、いろいろあるよな。
何かあったら水上が力になってやれよ。
……じゃ、俺こっちだから。気をつけて帰れよー」
「ちょっと、なんですか急に!
もう……ご飯、ごちそうさまでしたー!」
律儀な礼に背を向け、半ば逃げるように足を速める。
騙しているみたいで心が痛むが、
これは五里の恋を後押しするためでもある。
俺にできる範囲で、あいつを支えてやりたい。
それだけだ。
――帰ったら、ちえりが承諾してくれたか、恋花に連絡してみよう。
学校以外で恋花に連絡をする。
それだけのことなのに、どこか心臓が落ち着かない。
俺はそわそわした気持ちを抱えたまま、
駆け足を、さらに早めた。




