見かけは内面より先に知られる要素なので、とりあえず気にして損はない③
恋花は眉尻を下げ、
苦笑しながら視線を逸らす。
「さ、さあ……どうだったかなあ。
いたような、いなかったような……」
苦しい。
あまりに苦しい。
恋花が、ちえりに彼氏がいないことを知らないはずがない。
おそらく“余計な火種に巻き込まれたくない”という――
極めて健全な判断が働いたのだろう。
だが、目が泳ぎすぎだ。
瞳に金魚でも飼っているのか。
「いるのか。
いないのか」
「……た、多分。
いなかった、と思う、よ?」
彼女の内側で、
嘘をつけない天使と、空気を読めと言う悪魔が争った結果――
正直者の天使が、勝ってしまったらしい。
嘘をつかないのは美徳だろう。
だが、嘘をつけないとなると話は別だ。
世の中には、善悪と無関係に「ついた方がいい嘘」も存在する。
――損な性格である。
ちえりに彼氏がいないと知るや、
五里は肩の力を抜くように、大きく息を吐いた。
「そうか……そうかあ。
まだ、チャンスがあるってことか……」
その呟きが落ちきる前に、
俺は恋花へ身を寄せ、声を潜める。
「なんで教えた。
これから苦労するのは、ちえりだぞ」
「だって……彼氏持ちって嘘ついて、あとでバレたら、
その方が絶対揉めるでしょ。
……それは、それで怖いもん」
理屈は通っている。
通ってはいるが――
結果として、爆弾を素手で掴みに行ったようなものだ。
本人にその自覚があるのかは、怪しい。
「そうだ、汐森!」
唐突に名を呼ばれ、俺と恋花は揃って肩を跳ねさせる。
「ど、どうした」
「ここからが本題なんだが……
どうすれば、古谷と付き合える?」
……来たか。
「まず聞きたいんだが。
お前は、ちえりが好きなのか?
それと――転校してきたばかりのお前が、どうしてちえりを知ってる」
順序を誤ると、取り返しがつかない。
まずは接点だ。
五里とちえりが、
この学校に来る以前から面識がある可能性も、ゼロではない。
問いかけに、
五里は顔を赤くし、落ち着きなく体を揺らした。
――目に毒だ。
失せろ。
「古谷を知ったのは……五日くらい前かな。
その頃の俺は、このまま不登校を続けるか迷っていてな。
とりあえず“視察”のつもりで、学校まで来てみたんだ」
「普通に登校しろよ」
「校門の前をうろついてたら、ちょうど部活帰りの生徒が出てきて――
その中に、運命の子がいた」
嫌な言葉を、嫌なテンポで使う男だ。
「この世界に、あれほどタイプの女子が存在するなんて、
思ってもみなかったぜ」
「……それが、ちえりだったと」
「ああ。
もっとも、その時は名前も知らなかったけどな」
五里は、少し誇らしげに続ける。
「声を掛けようとはしたんだ。
でも、タイミングが掴めなくて……
古谷って、帰るとき、やけに足が速いんだよ。
結局、何も言えないまま行かれちまってな。
名前は、あとで他の生徒から聞き出したよ」
「……」
――これは、非常にマズイ。
脳の奥で、第六感だか第七感だかが、
派手に警鐘を鳴らし始める。
ちえりから、相談を受けたのは一昨日だ。
「誰かに、ずっと見られている気がするんです」
そう言われ、いつからかと尋ねると、彼女はこう答えた。
『三日くらい前からです』
そして今、五里は言った。
「古谷に一目惚れしたのは、五日前だ」と。
……日付が、妙に噛み合う。
つまり――
ストーカーの正体は、ほぼ確定で、この男だ。
恋花も同じ結論に至ったらしく、横目で俺に合図を送ってくる。
今すぐ、ちえりから引き離さなければならない。
それは分かっている。
分かっているが――
問題は、どうやってだ。
俺は知らず、喉を鳴らして唾を飲み込んでいた。
「五里、悪いことは言わん。
お前は元居たジャングルに帰れ」
「あ? どういう意味だ」
「ひぃ……」
その一睨みに、俺の心は萎縮した子狸と化す。
……この人、普通に怖い。
恋花が見かねて、
「しっかりしろ」と言わんばかりに、俺の脇腹を抓る。
俺は慌てて、言い訳を吐き出す。
「ちえりは、そう簡単に男に靡く子じゃないんだよ。
中学も一緒だったから分かる。
今は部活に集中したいくて、男に興味はないって――言ってたはずだぞ」
恋花も必死に頷いて援護に入る。
だが。
「そうか……
なら、ますます良い女じゃねえか」
――単細胞ゴリラめ。
この手のタイプは、遠回しな牽制など理解しない。
歴史からではなく、
経験からしか学ばない種類の生物だ。
「汐森、俺に協力してくれ。
あんたは狙った獲物は逃がさない、恋の狩人なんだろ?」
「だからさっきから何なんだ、その肩書の数々は!
どんな噂が流れてんだよ」
「噂じゃねえさ。
あんたが相談に乗って、くっついたカップルが何組かいるって聞いた」
「あー……」
思い当たる節は、確かにある。
頼まれて、ほんの少し背中を押しただけだ。
それがたまたま上手くいっただけで――
気付けば俺は、恋愛界の偉人のように祀り上げられていたらしい。
……それにしても、“狙った獲物は逃がさない”とは。
つい最近、隣にいる女の子に、逃げられたばかりなんですがね。
「汐森、この通りだ。頼む!」
五里は、ためらいという概念を持たないかのように、
深々と頭を下げた。
「……」
俺はしばらく黙って、その頭頂部を眺める。
――不登校だったはずの男が、
ちえりを知りたい一心で登校してきたのだろう。
一ヶ月も休めば、
そのまま学校生活から切り離されても不思議じゃない。
それなのに彼は戻ってきて、
しかも初対面の俺にまで、頭を下げている。
そこには、相応の熱と覚悟がある。
それを知ったうえで、一方的に引き離すのは――
同じ“恋に焦がれる男”として、
どこか違う気もした。
「すぅ……」
俺は一度、深く息を吸い直す。
「……分かった」
「ちょっと待ってよ!」
恋花が慌てて声を上げたが、
俺は片手を上げて制する。
「五里。
協力したいところだが、聞きたいことがある」
「……なんだ」
「お前が転校してきたとき、正直、あまり良くない噂を耳にした。
――でも、噂は噂だ。
お前の口から聞かなきゃ、信じられない」
一拍、間を置く。
「その真偽を確かめてから、協力するかどうかを決めたい。
分かるだろ?
ちえりは、俺と恋花にとって大事な後輩だ。
悪い男なら、近付けたくない」
「清継くん……」
恋花が、ほっと息を落とす。
即決したとでも思ったのだろう。
俺だって、後輩を害獣の檻に放り込む趣味はない。
五里は――
静かに、深く頷いた。
「なるほどな。
……あんた、やっぱ良い男だな」
小さく息を吐く。
「皆に信頼されてるってのも納得だ。
いいぜ。何でも聞けよ」
――よし。
俺は、乾いた唇をゆっくりと湿らせる。
「まず――前の学校で、窓ガラスを割って歩いてたって話。
本当か?」
「ああ、あれか。
教室にでかいスズメバチが入ってな。
クラス全員ビビってたから、俺が退治しようとして……
勢い余って、窓をぶっ壊しちまった」
「……生徒を殴り倒して、拉致したってのは?」
「冗談言えや。
熱中症で倒れたクラスメイトを、保健室まで担いだだけだ。
見られ方の問題だろ」
どれも、拍子抜けするほど真っ当な答えだった。
「じゃあ……転校の理由も、聞いていいか」
「変な噂が一人歩きしてな。
母さんが、夜も眠れねえって言うからさ。
転校した方が心配事が減ると思ったんだよ。
担任も、それを止めようとしない奴だったしな」
俺と恋花は、思わず顔を見合わせる。
「……はは。
なんだよ、それ」
肩透かしだった。
見た目も態度もごついから、言われのない噂が広がる――
それ自体は、想像がつく。
だが、こうして話してみると。
緊張が馬鹿らしくなるほど真っ直ぐで、
むしろ好感すら抱いてしまう。
ちえりから遠ざけるべき“脅威”ではなく、
どうにか恋路を見守ってやりたくなる――
そんな、不器用な猛獣。
俺は、ベンチから立ち上がった。
「色々聞いて悪かったな。
……お前が、悪い奴じゃなさそうで良かった」
「汐森……
じゃあ――」
ここで、頼もしき後輩、水上の名文句を借りるとしよう。
「いいぜ。
俺たちが、お前の恋の応援団になってやる」
「ちょっ、ちょっと清継君!?
“たち”って何よ!」
恋花が、勢いよく立ち上がる。
「え、恋花。
俺に全部任せていいの?
ちえりがどうなるか、分からんぞ」
「何する気よ!」
「出来る限りのことだよ」
一拍、置いてから付け足す。
「……恋花。
お前も一緒にいてくれると、嬉しい」
言ってから気付いたが、
わりと自然に、キザな台詞だったかもしれない。
恋花はぽかんと固まり、
やがて小さく咳払いをして、視線を逸らす。
「……ちえりちゃんの相談もあるし。
少しだけなら、いいけど」
何この子。
ツンデレ?
超可愛いんだけど。
内心でにやけていると、五里が再び、深々と頭を下げる。
「ありがとう、汐森。向崎。
この恩は忘れねえ」
「万事うまくいってから、同じ台詞を聞かせてくれよ。
……まあ、後で作戦会議だ」
こうして。
俺と恋花は、ちえりの不安を解くため――
そして五里の恋を後押しするため、動き出すことになった。
中庭を吹き抜ける風は、
不思議なほど、やけに暖かかった。




