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形容できない感情は、無理に言葉にしなくて良い。②


「それで、清継きよつぐ先輩。

 会話の内容は?」


「俺のこと、何とも思ってないって言ってたな」


「それ、ある種“嫌い以下の存在”では」


「何を言う。

 今までの恋花は、俺が『すみません』と声を掛けたら、

 拳銃で撃ち殺してくる勢いだったんだぞ」


「どこのスラム街の話してるんですか!」


 軽口を交わしながら、

 水上の隣の椅子に腰を下ろす。


 図書委員が二人に対して、お客様はいらっしゃらない。


 人件費の垂れ流しを、

 静寂という名の布で丁寧に包んだ空間である。


 放課後すぐとはいえ、いつもこんな調子だ。

 だから話相手が欲しかったというのに――


 水上は、いつの間にか文庫本を手に取っていた。


 タイトルが視界に入る。

 『よろこびの罰』。


 ――なんてものを読んでいるんだ、こいつは。


 今まさに俺は、

 開けてはいけない性癖の扉に手を掛けているというのに。


 内容が気にならないと言えば嘘になるが、

 知ってしまったら後戻りできない予感がして、そっと視線を逸らした。


 俺は相変わらず、純度百パーセントの暇人である。


 鞄から一枚の紙を取り出し、

 近くに置かれていた図書委員用の鉛筆を手に取る。


 それから、水上の顔をじっと見つめた。


「……な、何ですか」


 ――視線に気付かれたらしい。


 だが答えず、

 紙の上で鉛筆を滑らせ続ける。


「ちょっと、返事してくださいよ」


 表情を観察しながら、手だけは止めない。


 眉の角度。


 目尻の丸み。


 口元に浮かぶ、警戒とも不満ともつかない歪み。


「……~~~!」


 しばらく描き続けていると、水上は鼻で妙な音を鳴らし、

 みるみるうちに頬を赤くしていった。


 人間、ここまで凝視されれば誰でもこうなる。


 悪いことをした。


 反省はしている。


「先輩、そろそろ怒りますよ!?」


「水上、これを見てくれ」


 言葉を制するように、

 描き上げた一枚を差し出す。


 水上は受け取り、静かに一瞥した。


 そのまなざしが、ほんのわずかに細くなる。


「……何ですか、このクリーチャーは。

 この世に生を受けたことを、心の底から後悔していそうな顔ですね」


「水上、これはお前だ」


「誰の顔がクリーチャーですか!

 生まれたことを後悔させてあげましょうか!」


「落ち着け。

 俺は真剣に、お前の顔をよく観察して描いたんだ」


「先輩は私を、ストレスでハゲさせたいんですか」


 そんなつもりはなかった。


 やはり俺には、

 芸術という分野において致命的な欠陥があるらしい。


「近々、美術の授業であることが行われる」


「……はあ」


「隣の席の人を互いにデッサンし合うというものだ。

 俺は恋花の肖像画を描き、

 恋花は俺の事を描かなければならない」


「地獄のような時間になりそうですね」


「見ての通りだ。

 妥協ゼロで描いた結果がこれだ」


 俺は水上の“肖像画”を指で叩く。


「これを恋花に見せたら、どうなると思う?」


「画板でぶん殴られるんじゃないですか」


「俺もそう思う」


 たとえ手を抜かなくても、

 この哀しきモンスターを「お前だ」と提出したら、誰だって不快になる。


 俺の絵は、悪意のない凶器に等しい。


「水上、俺の絵を描いてみてくれ」


 頼むと、水上は無言で“紙と鉛筆をよこせ”と手振りをする。


 渡すとすぐにクリーチャーの隣へ、俺の絵を描き始めた。


「おお……」


 時折ちらりと俺を見ながらも、迷いなく鉛筆を走らせ――


 あっという間に、

 可愛くデフォルメされた、俺の似顔絵を完成させた。


 水上は、アレだ。


 どのクラスにも一人はいる、

 『なぜか異様に絵が上手い奴』である。


 彼らはいったい、

 どこで研鑽けんさんを積んでいるのだろう。


 生まれつきなのか、趣味の延長なのかは知らないが、

 少なくとも俺の努力とは別次元の場所に立っている。


 素直に称賛を送りたい。


「大したもんだな。

 俺の描いた絵がイナゴの大群が通った跡みたいだ」


「それを言うならミミズの通った跡では?

 何も残ってないですよ」


「頼む水上、俺に絵を教えてくれ!」


「無理ですよ。

 一日二日でどうにかなるものじゃないんですから」


「そこをなんとか!」


 図書室の利用者がいないことを良いことに騒いでいると、

 ふいに女生徒の声がした。


「楽しそうな所悪いね。

 本の返却、良いかな」


 声の方を見ると、そこには美しい……

 いや、麗しい佇まいの女子が一人。


「おお、王子か」


「やあ、清継君。

 今日は君が当番なんだね」


 すめらぎ美姫みき

 同じクラスの女子で、通称――“王子”。


 去年、俺の人気をあっさりと追い抜いていったことから、

 ほんの少しだけ私怨を抱いていた相手でもある。


 もっとも、クラスメイトになってからは話す機会も増えた。


 どんな属性の人間にも分け隔てなく接する、

 驚くほど真っ当で、清廉な人物だ。


 最近では、尊敬の念すら芽生えている。


 ――と、その横で。


 初対面のはずの水上が、

 あからさまに動揺した様子を見せた。


「ちょ、ちょっと先輩……!」


 小声でそう言うなり、

 俺の腕を掴んで、ずいっとカウンターの裏へ引きずり込む。


「だっだだ、誰なんですかあのイケメンはあ」


「名前は王子。

 クラスの王子だ」


「すみません。

 ちょっと何言ってるか分かんないです」


「人気者だよ。俺と同じでな。

 お前、俺と話しててもそんなリアクションしないだろ」


「だって、先輩とまた系統が違うじゃないですか!

 王子様ですよ~!」


 頬を赤らめて夢の世界に旅立つ水上に一言告げ、

 俺は席に戻る。


「あいつ女だぞ」


「え」


「待たせたな王子、返却だったな」


「ああ。

 忙しい所悪いね」


 暇なのはバレているのに、

 むしろ気を遣わせてしまい申し訳ない。


 王子から哲学書めいた本を受け取り、

 返却シートに日付を書いて判を押す。


「何か借りていくか?」


「いや、今日はやめておくよ。

 読書に集中すると課題が手に付かなくてね」


 王子スマイルを返され、俺も乙女になってしまいそうになる。


 この感覚は、可愛い女子に一目惚れするのでなく、

 目の前のイケメンに落とされてメスになる感覚だ。


 ――しっかりしろ。

 かぶりを振る。


「そうだ、王子。

 これを見てくれ」

 

 水上にクリーチャーと評された肖像画を見せてみる。

 すると、王子は興味深そうに顎に手を添えた。


 短く一言。


「個性の光る絵だね」


 水上よ、見たか。


 これが他人を傷付けない王子のオブラートだ。

 シルクより柔らかい。


 それから王子は、さらにクリーチャーへと接近し、

 一人頷きながら鑑賞していく。


「これは怒り……いや哀しみなのか?

 だが、ある角度では喜んでいるようにも見える……

 そうか、これは戦争という悲劇を二度と繰り返さない為の――」


 ――誰がそこまで深読みしろと言った。


 隣で水上が腹を抱えて大笑いしている。


「あっはははは!」


「なんだい、僕は何かおかしな事を言ったかな?」


「王子、お前は無自覚に人を傷付けているぞ」


「そうなのかい。

 それはすまなかった」


「いいよ。

 形容出来ない感情は、無理に言葉にしなくて良いだろ」


 王子は、俺の言葉を反芻はんすうするようにして頷いてみせる。


「深いな」


 こいつはもうだめだ。


 良い奴だが、圭吾と同じ匂いがする。

 “純粋すぎて扱いが難しい”タイプなのだろう。


「もういいよ。

 用が済んだならさっさと帰れ」


「冷たいなあ、君は。

 まあいいさ。

 ……それじゃあね、清継君。

 あと……」


「水上 瑞希です」


「うん。僕は皇 美姫。

 じゃあね、瑞希ちゃん」


 王子は俺たちに爽やかな笑みを送ると、

 片手をふわりと上げて去って行く。


 馬車にでも乗って帰るような後ろ姿だ。


 心なしかこの古い図書室が宮殿のようにも思えてくる。


 姿が見えなくなるや否や、

 水上が熱っぽい声を上げた。


「ヤバいですね、清継先輩。

 “瑞希ちゃん”って……呼ばれちゃいましたあ」


「水上、お前意外とミーハーなんだな」


 後輩の知らない一面を覗いてしまった。


 その後は本を読んだり雑談したり、

 時々利用者の対応をしたり。


 肖像画の件は授業までに、

 何らかの手を打たねばならないだろう。


 委員会の時間を終え、鍵を返しに職員室へ行く。


 職員室はいつもコーヒーの匂いがする。


 担任の近島先生がいたので、少しだけ委員会の話をした。


 先生は俺の話を良く聞いてくれ、終始笑顔でとても可愛い。


 バイトの代わりにかなり時間を潰せただろう。

 ……それでも、まだ足りない気がした。


「水上、お前これからどうするんだ」


「どうするって、帰りますよ。

 当たり前じゃないですか」


「そう、だよな」


 歯切れ悪く答えた直後、背中を強く叩かれる。


「よ、清継! 水上!

 帰りかあ?

 俺も今部活終わったとこ!」


「あ、圭吾先輩。

 お疲れ様です」


 友人の圭吾けいごだ。


 こいつは昔からサッカーをやっていて、

 高校でも当たり前のようにサッカー部に入った。


 汚れたユニフォームのまま、白い歯を光らせている。


「サッカー部、今日は早いんだな」


「まあな、新一年生が入ってミーティングと軽い練習くらいだったし。

 今帰るとこだろ?

  俺も混ぜろよ」


「いや、俺はもう少し……」


 そこまで言って、次の言葉が出なかった。


 下校するには良い時間だろう。


 日も落ちてきている。


 そんな中で、

 俺はまだ帰りたくないとは言い出せなかった。


 しかし圭吾は、何かを察したように声を上げた。


「ってか腹減ったよなあ!

 清継、水上。

 これからなんか食いに行かね?」


「ええ、またですかあ。

 私、今日外食するってお母さんに伝えてないんですけど」


「デザートくらいなら、奢ってやるぞ」


「大至急連絡します!」


 水上は敬礼してスマホを取り出す。


 俺は呆気に取られて、

 言葉が上手く出てこなかった。


 そんな様子を見て、

 圭吾がいつもの調子で声を投げた。


 「清継、勿論お前も行くよな!」


 勢いに押されて、『ああ』と返事をしていた。


 本当は時間潰しの手段を探していたのだから、嬉しかった。


 こうして三人で寄り道する。


 その時間が妙に安心できて、胸の奥がふっと軽くなる。


 ――この時の俺は、

 どうして家に帰りたくないのか。


 それを打ち明けることが出来なかった。



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