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清継復縁プロジェクト


「年末はずっと電話してた、とか。

 初詣を一緒に行けた、とか。

 それはもう……後輩の私が引くくらいに!」


 水上みなかみは、ほとんど怒声に近い声で叫んだ。


 放課後からだいぶ時間が経ち、

 校舎に残る生徒もまばらになった渡り廊下。


 彼女の声は、乾いた空気を切り裂くように伸び、

 澄んだ風となって奥まで滑っていく。


 残響が壁に吸い込まれて消えるまで、

 俺は何も言えずにいた。


 そしてようやく、疑念の塊のような言葉を吐き出す。


「……あ、あり得ないだろ。

 あの恋花が、“俺にゾッコン”だったなんて。

 今の俺の扱いなんか、せいぜいプランクトンだ。

 視界に入るどころか、存在として認識すらされてない」


「いや、本人に会って直接聞いてるんですから、間違いないですって」


 水上は呆れたように肩をすくめ、

 それでも淡々と続ける。


「清継先輩、初詣の日って雨、降ってましたよね?

 それで先輩、わざわざ傘を二本持って行ったって」


 一拍。


「恋花先輩、その話をするとき、完全に悶絶してましたよ。

 優しさが染み渡りすぎて、聞かされるこっちは胸焼けもいいところです」


 その光景は、あまりに具体的だった。

 作り話にしては輪郭がはっきりしすぎている。


 確かに、あの日は本降りの雨だった。


 誰だって傘を差さなければならないほどで、

 恋花が傘を持ってくるものだと、俺は疑いもしなかった。


 それでも俺は、なぜか二本の傘を抱えて家を出た。


 大統領夫人の随行員か何かのつもりだったのか。

 今思えば、理由のない気遣いだった。


 本当に——


 恋花は、そんな惚気のろけを人に語るほど、

 俺のことを想っていたのか。


 彼氏マウントだと受け取られてもおかしくない話だ。

 にわかには信じがたい。

 

「じゃあ、今の恋花の変わりようは何だって言うんだよ。

 水上、お前、怪談話でもしてるのか?

 夏にはまだ早いぞ」


「それ、こっちのセリフですよ。

 今、脳内で“世にも奇妙”なBGMが流れてますもん。

 何をしたら、そこまで嫌われるって言うんですか」


 俺にとっても、水上にとっても——

 これはもはや、小さなホラーだ。


 まさか中身が別人格だとか、実は生き別れの双子だとか。


 そんな馬鹿げた想像まで、頭の隅に浮かんでは消える。


 恋花の態度が、あそこまで変わるほど、

 俺は何か“決定的なこと”をしただろうか。


 そのとき。


 黙って成り行きを見守っていた圭吾けいごが、

 俺の人格そのものを疑うような声音で、口を開いた。


「清継。

 まさかとは思うが、お前……

 向崎こうざきを家に連れ込んで、同意もなしに――」


 頼む。

 誰かこの馬鹿の口を、溶接で塞いでくれ。


「うわ、先輩……ケダモノですね。

 去勢して、牢に入った方がいいんじゃないですか」


 どうやら溶接工は、一人では足りないらしい。


 裁縫職人でもいいし、強粘着のピーナッツバターでもいい。

 とにかく今すぐ、こいつらを黙らせてくれ。

 

「お前らな……黙って聞いてりゃ、好き放題言いやがって。

 俺にそんな度胸があると思うか?」


「……そうだな、清継。悪かった」

「その通りですね。言い過ぎました、すみません」


 こいつら、息が合いすぎだ。

 謝罪と煽りを、同時に投げてきやがる。


 インフルエンサーの謝罪風言い訳文みたいな、妙に腹立たしい一体感。


 腹は立つ。立つのだが——

 度胸がないのは事実で、反論できない自分が情けなく、少し泣きたくなる。


「で、清継先輩。

 実際の理由は、何だったんですか?」


「……“良い人すぎて、つまらない”。

 そう言われた」


「何ですか、それ」


「分かったら苦労しない。

 俺だって知りたいよ」


 俺は天井を仰いだ。


 “良い人すぎてつまらない”——

 そんな理由で、簡単に納得できるはずがない。


 誰かの役に立てるなら、立ちたい。

 困っている人がいれば、手を差し伸べたい。

 優しい人間でいたい。


 それは信条で、癖で、

 俺にとっては呼吸みたいなものだった。


 恋花に対しても。

 圭吾に対しても。

 水上に対しても。


 そんなことを考えながら、

 天井の薄い染みを、意味もなく数えていると、圭吾が口を開いた。


「じゃあさ。

 良い人が駄目なら、単純にその逆が向崎のタイプだったんじゃね?

 そっち目指して進化しようぜ」


「よし、俺はこれからDVヒモ男を目指す」

「先輩、それは進化じゃなくて、退化です」


 ……間違いないですね。


 じゃあ、何が正解だったんだ。

 今さら何をしたって、遅いことくらい分かっている。


 それでも、腑に落ちない。


 二ヶ月前の恋花は、俺に惚れていた。

 一ヶ月後には、振ってきた。

 理由は、“良い人すぎてつまらない”。


 そんなの、分かるわけがない。


 良い人であることは、俺のモットーで、

 人としての最低限だと思っている。


 それを知った上で、

 恋花は俺と付き合い始めたんじゃなかったのか。

 

 俺は、解決しようのない思考を、頭の中でぐるぐると巡らせた。


 恋花と過ごした、最後の一ヶ月のこと。


 確かに、俺はバイトに出ている時間が多かった。

 だが、それと「良い人すぎてつまらない」が、どうして同義になる。


 別れ際、俺は確かに尋ねたのだ。

 ——俺の何が、良くなかったんだ、と。


 口にできる不満なら、その時に言えばよかったはずだ。


 喧嘩でも、罵倒でも、失望でもいい。

 何か具体的な“理由”が欲しかった。


 俺はしばらく強く目を閉じる。


 思考を一度、暗闇に沈めて——

 ようやく一つの結論に辿り着き、目を開いた。


「……俺、振られた時の言葉を、ちゃんと考えたことなかった」


 二人が黙る。


「ただ、自分に魅力がなかったんだって思い込んでた。

 でもさ……もし、別の理由があったなら。

 それを、俺は知りたい」


「理由がなかったら、どうすんだよ」


 圭吾が肩をすくめる。


「向崎の言う通り、“つまんない男”だったらさ」


「その時は——」


 俺は一拍置いた。


「恋花に見合う、良い男になればいい」


 言葉にした瞬間、不思議と腹が決まった。


「……決めた」


 圭吾と水上は、

 揃って露骨に面倒くさそうな顔をした。


 この男、厄介な方向にスイッチが入ったな、とでも言いたげに。


 だが、もう止まらない。


「俺は、この一年で——

 振られた“本当の理由”を突き止める」


 一歩、踏み出す。


「そして、恋花と復縁する。

 良い人のまま、リベンジする」


 少しだけ胸を張る。


「――清継復縁プロジェクト。

 ここに、開始だ」


 渡り廊下に、俺の声が虚しく反響した。


 思えば、俺の歪んだ一年の始まりは――


 間違いなくこの日だった。


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