再会の後輩②
「……」
イケメンスマイルのまま、
ダビデ像のように完全停止する。
そこで何かを察した水上が、すかさず声を上ずらせた。
「ひどいよねえ、ちえりちゃん!
私たち、始業式の最中に清継先輩に手を振って合図したのに、無視するんだもん」
水上、ナイスアシスト。
だが、非常に惜しい。
俺は学校で、
恋花以外の女子を、下の名前で呼ばない主義だ。
——とはいえ、突如として押し寄せたビッグウェーブ。
自慢の愛想をサーフボードにして、乗り切るしかあるまい。
「いや、ごめんごめん。
水上も……ちえりも、
まさか式の最中にコンタクトを図ってくるとは思ってなくてさ」
「……!
汐森先輩……。
私の名前、いつも名字で呼んでたのに」
「ああ。もう高校生だろ。
そろそろ下の名前で呼んでもいいかなって」
「はい……!
嬉しいです」
——誰だっけ、この子。
名前を聞いても、記憶の引き出しが一切開かない。
とはいえ、距離感の詰め方が完全にバグった人間のムーブをかましたわりに、
場が荒れずに済んだのは幸いだった。
突然悲鳴を上げられ――
ご時世を盾にセクハラだなんだと騒がれたらどうしようかと、
内心では冷や汗ものだったのだ。
水上には、本当に助けられた。
「では、汐森先輩。あ、あと板橋先輩も。
このあと用事がありますので、お先に失礼しますね。
瑞希ちゃんも、ありがとう」
そう言って、ちえりなる女子生徒は、丁寧すぎるほど深く頭を下げ、
渡り廊下の向こうへと去っていった。
背中が角を曲がって見えなくなった、その瞬間。
水上は、さっきまでの愛嬌を跡形もなく消し去り、
人を蔑むような低い声を落とす。
「……告白された子の名前、忘れるとか。
最低ですね」
「え。
俺、ちえりに告白されたの?」
「馴れ馴れしく呼ばないでくださいよ……。
振られた女子たち全員に、呪い殺されればいいのに」
後輩のくせに、
刃物みたいな言葉を平然と投げてくる。
どこに需要があって、
俺はマルチエンディングのバッドエンドを踏まねばならんのだ。
もし、そんな女子たちによる怪しい呪術団体が存在するなら、
先に市役所が動くべきだと思う。
……いや。
今回に限っては、俺が悪い。
反省、反省。
暴言を浴びせられている俺をよそに、
圭吾は感心したように何度か頷いた。
「でもよー。
振られた相手に挨拶しに来るのは、すげえよな。
ありゃ鋼のメンタルだぜ」
「そうなんです。
ちえりちゃん、ああ見えて結構気が強いんですよ」
水上はそう前置きしてから、少しだけ声を落とす。
「だから私、まだ清継先輩に——
彼女がいるって、伝えられてないんです」
その一言で、空気がきしんだ。
圭吾は一瞬だけ目を見開き、
次の瞬間には「藪をつついたな」と言いたげな――
いや、「むしろ待ってました」が正しい。
その異様な気配を感じ取ったのだろう。
水上は、不安そうに俺と圭吾の顔を、何度も見比べる。
「え、な、何です?」
「水上よー、実は清継なー?」
「いい。
俺が話す」
面白おかしく消費されるのは、どうにも耐えられなかった。
これは人生で初めて味わった失恋だ。
他人の酒の肴にしていい話じゃない。
圭吾の額を掌で押し返し、強引に言葉を止める。
「恋花とは……別れたよ」
「は?」
鳩が豆鉄砲を食らったよう、とはこのことだろう。
水上は目を丸くしたまま、
理解を追いつかせようとするかのように、こめかみを指で叩き始めた。
しばらく、渡り廊下に沈黙が落ちる。
——と思った次の瞬間。
「何やってるんですか、清継先輩!」
今度は、水上が爆発した。
「あんなに良い人、他にいませんよ!?」
「ああ……
それは、俺もそう思ってる」
「浮気ですか?」
「違う違う。
そういう器用な真似は出来ない」
「じゃあ、喧嘩ですか?」
「いや……ほとんど一方的というか」
「最低ですね」
言葉が、胸に突き刺さる。
「飽きたら捨てるんですか」
——待て。
どうやら、話が致命的に噛み合っていない。
圭吾と顔を見合わせる。
だが彼もまた、頭の上に大きな疑問符を浮かべたまま、
状況を飲み込めずにいる。
俺たち三人のあいだで、
同じ言葉だけが、まったく別の意味を帯びて転がっていた。
「水上……お前、何か勘違いしてないか」
「何がです?
清継先輩が、恋花先輩を一方的に振ったんでしょ」
「冗談言うな。
俺が、恋花に振られたんだよ。はっきりとな」
強がって――
勉強に専念したくて、俺から別れを切り出した。
そう言えば、
もう少し“格好のつく話”になったかもしれない。
だが、俺は何ひとつ脚色せず、事実だけを口にした。
それなのに、
水上は先ほどよりも強く混乱した表情を浮かべ、言葉を失っている。
どうやら俺が振られる可能性そのものを、
想定していなかったらしい。
——理想の先輩、というやつだろうか。
迷惑な話だ。
「う、嘘ですよ……そんなの。
別れたのって、いつですか?」
「一ヶ月くらい前だ」
返答に、水上の目がわずかに揺れた。
信頼されているのはありがたい。
だが、ここまで否定されると、さすがに気分は良くない。
「……いい加減にしてくれ。
俺だって、こんな結末になるなんて思ってなかった」
「恋花先輩に、今年の明け頃、会ったんです」
「それが、何だよ」
時期を考えれば、俺と別れる二ヶ月ほど前。
胸の内で、何かが小さく引っ掛かる。
「恋花先輩、清継先輩にゾッコンだったんです」
その言葉が、あまりに自然に放たれたせいで、
意味を理解するまで一拍遅れた。
「年末はずっと電話してた、とか。
初詣を一緒に行けた、とか。
それはもう……後輩の私が引くくらいに!」
頭の中で、音が止まる。
理解が追いつかず、俺は思わずこめかみに指を当てた。
恋花が、他人に惚気話をする。
そんな光景は、どう想像しても現実味がない。
——今の恋花から見れば、俺など、
道端に転がる石よりも価値のない存在だろうに。
別れる二ヶ月前。
もし本当に、俺にそこまで惚れ込んでいたのだとしたら。
その後の、たった一ヶ月で。
彼女の心には、どんな変化が起きたのだろう。
俺は、自分の知らなかった恋花の一面を突きつけられ、
言葉を失ったまま、ただ立ち尽くしていた。




