番外編1-⑭.脳ある悪魔は、優しく微笑む
◇ ◇ ◇
「君、向崎さんと言ったか。
清継君の元彼女の」
「はい」
「俺を助けに来てくれたのかな?
危うく、彼に腕を折られるところだった」
「誤解しないでください。
私はあなたを助けに来たんじゃありません」
「ほう?」
清継君は、もう帰っただろうか。
このまま、大人しく帰ってくれればいいのだが。
部活が終わり、
私も帰ろうと思っていたその時。
バスケ部の木村君が、慌てた様子でやって来た。
普段ほとんど交流がない人物なので、
何事かと身構えると、彼は早口でこう言った。
「汐森がヤバいかも知れない」
私は「かも知れないじゃなくて、清継君は元々ヤバい人よ。
毎日自撮りして、今日のヘアスタイルを自己評価してるんだから」と、
普段の清継君の行動を教えてあげた。
木村君はそれを聞き、絶句した。
「それはマジでヤバいな……」
木村君が共感したのも束の間、
すぐに頭を振った。
それから。
清継君が今回の盗難事件に決着をつけに行ったことを聞いた。
“巨大ないじめっ子”。
昼休みに解読したメモ用紙の内容から――
今回の事件で一体何が行われていたか、
頭の回転に自信のない私でも、理解できた。
清継君は正義と自分の容姿を愛する人だから、
来栖先輩と直接対峙しに行ったのだろう。
相手は上級生で、いじめ行為を行うような人物だが、心配はいらない。
清継君はああ見えて落ち着いていて、
理屈で正しく話せる人だから。
普段の私なら、そう思う。
ただ一つだけ、懸念点があった。
清継君の大切な物が盗まれていることだ。
それが特別な物であることは知っている。
けれど、彼にとってどんな意味を持ち、
何を象徴しているのかは分からない。
なんとなく気付いてはいたけれど、
彼は家族や中学時代以前の話題になると、別人のようになってしまうのだ。
楽しそうなようでも、遠い目をしていて――
寂しそうで、苦しそうで。
それでもどこか未来に希望を持っているようで、
でもやっぱり絶望していて。
わけのわからない顔をする。
私はその理由を知ることを、ずっと避けてきた。
理由は色々あるけれど、やっぱり怖さもあるのだと思う。
繰り返しになるが――
清継君は、家族や中学時代以前の話題が絡むと、人が変わるのだ。
だから。
私は心配になって、
体育館裏で話す清継君の様子を、ひっそりと見に行くことにした。
そして案の定、
最終的に清継君は、来栖先輩へ報復しかけていた訳で。
――様子を見に来て正解だった。
私は一度、深呼吸する。
上級生を相手にするのは、やっぱり少し怖いから。
「私がここに来たのは、
清継君が、あなたにわざわざ手を出す必要はないと思ったからです」
「なるほど。
君も今回の事件の全てを知った、というわけか」
来栖先輩は、
わずかに口角を上げた。
「喋って回ったのは木村だな。
……アイツめ。
今度は口を縫った方が良さそうだ」
冗談めかした言い方なのに、笑えなかった。
「清継君は、来栖先輩にお願いしたはずです。
今後の在り方を見つめ直して下さいって。
もう、そんな横暴は終わりにしてください」
「ははっ。
俺が、彼の要求を全部飲むとでも思ったのかい?
あいつは俺の腕を折ろうとしたんだ。
君も見ていただろう?」
視線が、私を射抜く。
「あれが清継君の本性だよ。
暴力的で、自分の感情を一番に優先して行動する自己中心的な人間だ」
言葉は淡々としているのに、
どこか楽しそうだった。
「彼は知恵だけはあるからね。
その本性を、優しい微笑みで上手く隠す。
そして、人を騙す。
……俺と同じだ」
そう言って、
来栖先輩は一歩、距離を詰めた。
「紛れもなく、悪魔の類いさ」
「……」
さらに顔を、私に近付ける。
吐息が触れてしまいそうなほどの距離で、
彼は優しく微笑んで言った。
「君も、そんな清継君に嫌気が差して、別れたんだろう……?」
瞬間。
風船が弾けたみたいな軽快な音が、
体育館の中まで響いた――。
この距離感と、
来栖先輩の顔がどうしても気持ち悪くて、
私は反射的に、力いっぱい彼の頬をひっぱたいてしまった。
生まれて初めてのビンタだった。
もし、人生で誰かを叩くことがあるとすれば、
それは同意もなくキス顔で迫ってくる、清継君だけだと思っていたのに。
突然の出来事に、
来栖先輩は身体を仰け反らせ、目を白黒させている。
もしかしたら――
ひっぱたいた私自身も、同じ顔をしていたかもしれない。
でも、やってしまったものは仕方ない。
下手に謝って立場を失うくらいなら、
開き直った方がまだマシだ。
精一杯、声を振り絞る。
「清継君が、あなたみたいな人と同じ……?
冗談言わないでよ」
喉奥が震える。
「清継君は、ナルシストで、馬鹿で、変態で、幼稚で――
それでも優しくて、気遣いが出来て、他人の痛みに敏感で……
ちゃんと寄り添ってくれる人なの」
それでも、言葉の輪郭は整える。
「笑わせてくれて、
その人自身が自分を嫌いにならないように、
優しく微笑んで手を差し出してくれる。
——悪魔なんかじゃない」
いま、躊躇する必要はない。
「生まれた時から与えられた家柄に甘んじて、
人気者になったつもりのあなたなんかと、比べものにならない。
清継君の方が、何千倍も慕われてて、ずっとかっこいいんだから!」
息継ぎするのも忘れていた。
こんなこと、
清継君が側にいたら、絶対に言えなかっただろう。
私は、奥歯を噛みしめる。
「もう、木村君にも清継君にも、関わらないで下さい。
あなたは、人としてもう少しまともになった方が良いと思います」
言いたいことは、言った。
声は裏返っていたかもしれない。
それでも、
引き下がる気はなかった。
当然、ここまで好き放題言われて、来栖先輩が黙っているはずもない。
頬をさすりながら、
眉間に深い皺を刻む。
「図に乗るな……汐森や木村だけじゃない。
向崎、こんなことをして、お前もタダで済むと思うなよ?
陸上部顧問の斎藤と俺は、個人的な交流があるんだ。
お前に活躍の機会なんて、二度と訪れないようにしてやる」
口角がわずかに引き上がる。
「いいか。
これからまともな学校生活を送りたければ、俺の言いなりになれ。
そうすれば――」
「私は、清継君と違って」
言葉を遮るように、静かに言った。
「人は話せば分かり合える、なんて思っていません」
「あ?」
「あの人は良い人だから。
誰とでも話せば理解し合えるとか、認め合えるとか――
そういう理想を信じて対話を試みるかもしれない。
でも、私は違う」
胸の奥が冷えていくのを感じながら、続ける。
「世の中には、どれだけ歩み寄っても、絶対に分かり合えない人はいる。
私は、そう思っています」
だから、と。
「私は――
言葉では、たたかわない」
ポケットからスマホを取り出し、来栖先輩に見せた。
「全部、録音していました。
最初から」
刃物を突きつけるように告げる。
「来栖先輩が何をしてきたか、先輩自身の言葉で証拠が残っています。
私は臆病だから、
清継君のように堂々と立ち向かい、対話することは出来ません。
でも、だからこそ違うやり方でたたかえる」
「お前……!」
「負けを認めて、清継君の要求に全て応えて下さい。
これは脅しです。
応じて頂けなければ、この録音データをあらゆる場所で公開します」
私の言葉を、
来栖先輩は冗談とは受け取らなかったらしい。
ぎりぎりと歯を軋ませ、
私を睨むその目つきは正直恐ろしく、足の震えが止まらない。
今にも地面に膝を崩してしまいそうだ。
――それでも。
自分に適した戦い方を選んだのは、
我ながら英断だったと思う。
話し合いや殴り合い、
別の土俵で争っていたら、
私はとっくに、来栖先輩の言いなりになっていたはずだ。
やけに長く感じられた時間が過ぎ。
やがて、来栖先輩は全身の力を抜き、虚空を見上げる。
暫くの間、雨音だけが体育館に響いていた。
「……分かったよ。
今度こそ本当に俺の負けだ」
だらりと、両腕が下がる。
「……清継君の要求にも応じよう。
盗んだカメラも星川に返すし、俺の身の振り方も見つめ直す。
……これで良いのか?」
「はい。
ありがとうございます」
「ははっ、礼を言うなんて律儀だな。
間違ったことをしているのは、俺の方なのに」
来栖先輩は、青白い顔色で苦笑した。
「頭では分かっているんだ。
こんな振る舞い方は間違っているって。
ただ……理想通りに生きるのは、難しいね」
「……」
この人の人生には、私には想像もつかないような、
苦労やストレスがあったのかもしれない。
……とはいえ。
そんな事情まで、考慮してやろうとは思わない。
私はそこまで、
寛大な心を持ち合わせていないのだ。
――もう行こう。
これ以上、話すことはない。
「そうですね。
では、私はもう行きます。
約束、必ず守って下さいね」
「ああ、もちろんだとも」
私は振り返り、傘を広げる。
辺りはぼんやり薄暗く、
ダラダラと降る小雨が鬱陶しい。
長靴を履いてくれば良かった、と少し思う。
歩き出そうとしたその時――
「向崎さん、
君は清継君をどう思ってるんだ」
「え」
「別れたと聞いた割には随分協力的だし、
俺が内心驚いた彼の豹変ぶりも、君はとっくに受け入れていたように見える。
その割には一線を引いているみたいで――
今後どう接するか迷っているようにも見える……」
突然の問いに、言葉を失った。
清継君をどう思っているか、と。
ただの元カレとして、
あるいは過去の関係を思い返して尋ねているのではないだろう。
返答を探すも、すぐには見つからず、立ち尽くしてしまう。
妙な空気に、
来栖先輩は少しばつが悪そうに言った。
「あ、いやすまない。
俺自身、破局した相手と仲良くできた試しなんてないから、
少し気になったんだ。
忘れてくれ」
私は傘を少し上げる。
「隣の席の隣人です。
始業式の日、清継君に問われました。
『男女の友情は成立すると思うか』って」
「永遠の議題だね」
「はい。
私は成立しないと思っています」
断言する。
「今は、清継君と曖昧な隣人関係を築いていますけど、
もしも……もしも、私が清継君に一歩踏み出す勇気を持てたら、
男女の友情なんて成立しないことを、彼に証明してやろうと思ってます」
一歩踏み出す勇気――
どう思われるだろうか。
未練がましく、
清継君に熱を持ったままだと思われるのか。
それとも。
一切の関係を断ち切った、絶縁宣言だと受け取られるのか。
どっちでもいい。
来栖先輩とはもう今後関わらないだろうし、
私が清継君に、何か行動を起こす気も、今は全くないのだから。
どう捉えられたかは分からない。
けれど来栖先輩は、
優しく微笑んで言った。
「そうか。
応援するよ」と——。
* * *
新学期が始まってすぐの、この盗難事件。
厳密には何事件と呼べばいいのだろう。
来栖先輩はっちゃけ事件?
名探偵清継、奔走事件?
いずれにせよ、
この事件は無事に終幕を迎えた。
後日談だが――
紛失が相次ぐ中、唯一の盗難品となったカメラは――
約束通り、ひっそりと部室に返却され、持ち主の星川先輩は大喜び。
普通なら「どうしてカメラが返ってきたのか」と気になるところだろうが、
本人はそんなことに全く興味はなく、どうでも良いらしい。
そして、バスケ部の木村君。
話によると、
来栖先輩による暴力は、あれからぴたっと収まったそうだ。
少し横暴なところは相変わらずらしいが、
それは人間としての『らしさ』の範囲だと、木村君は笑っていた。
心に余裕が生まれただけでも、一安心である。
友達の村田君は、もうバスケ部に戻るつもりはないらしい。
バスケを離れたきっかけは暗い話だったが、
今は、新しく始めた美術を案外気に入っているのだとか。
部活は変わっても、
二人がこれからも仲良しでいられたら良いなと思う。
そういえば。
私のケア用品も来栖先輩と話した後、
次の登校日には下足箱に戻されていた。
落としたものだと思っていたが――
きっと清継君を利用するために、
隣の席の私の物まで物色していたのだろうと考えると、少し複雑な気持ちになる。
そんなことを考えていると、教室に明るい声が響く。
クラスの女子生徒たちが群がり、
一人の生徒に挨拶しているのだ。
きっと、彼が登校してきたのだろう。
私も、いつも通りにしないと。
さて、
今日はなんて名前で呼ぼうかな。
「おはよう恋花。
今日も可愛いな」
「あー、おはよう。
平平平平くん。今日早いね」
「誰だよ。
漢字で書いて眺めたら、ゲシュタルト崩壊起こしそうな名前だな。
てか、お前、絶対ちょっと面白い名字ネットで調べただろ」
「し、調べてないし!」
――ちょっと調べた。
清継君は席に着くと、
机の上に置かれていた一枚のプリントに気付く。
「なんこれ。
ラブレター?」
「朝からそんなの机に置くわけないでしょ」
「そっか。
今日、もう二通貰ってるから、その類かと思って」
「……」
うっざ。
私も書いて、
清継君の喉奥に突っ込んでやろうかな。
朝から、イライラする……
私はそっぽを向いたまま、答えた。
「廃品回収で、誤って落とし物まで回収してましたって話の報告みたいよ。
心あたりのある生徒は来てくれって」
「あー、じゃあ圭吾が行きそうだな。
あいつ多分スパイク持ってかれてるし」
そこで声を上げる。
「……そうだ恋花!
お前、金曜に圭吾と水上が校門で待ってるって言うから走って行ったのに、
誰もいなかったぞ! 騙したのか。
俺、もうなんか悲しくなって、そのまま帰ったんだからな」
「あ」
――そういえば。
清継君と来栖先輩が一悶着起こしてた時、
引き離すために、出任せの嘘を言ったんだった。
すっかり忘れてた。
……でも、もういいや。
今日の私は、朝から機嫌が悪いのだ。
「ああ、金曜日かー。
だって私、来栖先輩とお話がしたかったのに、なんか清継君いたんだもん」
「は。
え、あれ?」
視線が慌ただしく揺れる。
「と、ということはつまりあれか?
き、貴殿はおれ、おれれが邪魔で帰らせるために、
わざとあんな事を言ったと仰るのでごわすか?」
「さあー?
どうでしょうー?」
「どうでしょうじゃねえええ!」
「あ、そういえば清継君。
知ってる? 転校生の話。
五里くんが、そろそろ来るとか来ないとか」
「いや、そんな
“転校生なのに、まだ転校してない不登校の奴”なんてどうでも良いんだよ!
それより来栖先輩と何話したんだよ!
なあ、恋花ーー!」
番外編1.脳ある悪魔は、優しく微笑む 完
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——着信音が止まった。
『……なに、あんたが私に電話掛けて来るなんて。
明日は雪でも降るのかい。
むしろ降らせてくれ、補習で登校なんだ行きたくない』
「いや、夏なんだから雪はあり得ないでしょ。
ごめんね、急に電話して」
『雪が無理なら槍でも構わないんだけどな。
夏休みとは学生の義務じゃないのか。
私はせっかく、与えられた仕事に真面目に取り組もうと思っていたのに』
「ま、まあ。
笹本さん、今まで真面目に授業受けてなかったから」
「真面目にどころか、まともに出席してなかったや。
……それで向崎、私に用があるんだろう」
八月。
夏休みに入って早いタイミング。
私は笹本 悠里ちゃんに初めて電話を掛けたので、
やや緊張気味に言った。
「明日、補習終わったらさ、暇?」




