番外編1-⑫.脳ある悪魔は、優しく微笑む
「そうだよ。
村田がバスケを辞めたのは来栖先輩の暴力が原因だ」
あっさりと認める。
「あの人、機嫌が悪くなると、良く物や後輩に当たるんだ。
その中でも俺と村田は舎弟みたいなもんで、特別強くいびられた。
……村田はそれに耐えられず、ってね」
「お前はどうして辞めないんだ。
来栖先輩に何か脅されているのか」
「いや、そういう訳じゃないんだ。
何か、逃げたら負けかなって」
「は——」
逃げる、とは何だ。
村田は先に辞めた――
それを暴力に屈して逃げた腑抜けと決めつけるのか。
いや、待て。
決めつけるな。
木村もまだ痛みの渦中にある。
きっと、何か思うことがあるはずだ。
「木村。
じゃあお前は、これから来栖先輩と闘うつもりなのか?」
木村は目を瞬きさせ、少し間を置いた。
「闘うだって……まさか! よく言うだろう。
争いは同じもの同士でしか発生しないって。
やり返しちゃだめなんだって俺、よく教えられてるから」
「それは誰の言葉だ」
「え……」
どうして村田が、俺にあのメッセージを残したのか。
今なら、なんとなく分かる気がした。
木村を来栖先輩の暴力から救うには、
耳触りの良い言葉では足りないと考えたのだろう。
ここに来る前、村田に聞いた。
何故俺にあんなメッセージを残したのかと。
すると村田のやつはこう答えた。
――汐森は不幸が続いた人に対して、『次はその分良いことあるよ』なんて、
お決まりの言葉を言わなそうだから、と。
その言葉の意味を理解できないでいたが、
今になってわかる。
俺は唇を舐める。
今、目の前の現実と向き合う覚悟が、
自然と身体に表れたのだ。
「つらいことから逃げちゃいけません。
やり返しちゃいけません。
謝られたら許しましょう。
……後はなんだ?
……努力は必ず報われるか?」
声を低く、並べる。
「良く言われたよな。
教育者にとっては、これほど都合のいい言葉もない」
一拍。
「逃げるなと言えば、問題から目を背けさせられる。
やり返すなと言えば、さらなる面倒から目をそらせる。
許しを強要すれば、禍根は生まれない。
努力が必ず報われると言えるのは、報われた者だけの特権だ。
報われなかった者には、発言の機会すら与えられない」
「……なんだよ、
何が言いたいんだよ」
「お前、自分ならいつでも来栖先輩と戦えると思ってるだろう。
でも、実際にはそうしないだけだ——って」
俺は、本当に嫌な奴だ。
木村が、来栖先輩から暴力を振るわれているのは、事実だ。
寄り添ってやるのが、
人として正しいだろう。
大丈夫か、お前の味方は沢山いるぞ、と。
でもそれこそ。
俺ではない誰かの言葉だ。
根本的に何か手助けをしてやりたいと願うなら、
隣に居てやる真似事をするのではないだろう。
寄り添ってやるのは、
今回の俺の役目ではない。
「……」
木村は眉をひそめた。
肩の力を抜き、机に手をついたまま息を吐く。
小さく震える唇。
その視線は俺を避け、しかしどこかで反応を待っている。
だが明らかに、機嫌を損ねていた。
「……そうだよ。俺はいつでも来栖先輩に仕返しできる。
俺は強いんだ。
――だから、村田みたいに逃げたりはしない」
「刀を腰に携えても、
抜き方が分からなきゃ持ってないのと同じだぞ。臆病者」
「何……?」
奥歯を噛む。
「じゃあお前は、
来栖先輩と同じように暴力で解決しろって言うのか!?
同じ力でやり返せっていうのか!」
「それも一つの選択だろうな」
即答する。
「……でも、俺が言いたいのはそうじゃない。
俺たちはルールの中で生きてる。社会的な枠組みの中でだ。
でも、それを一方的に犯してくる奴に対して、
『平和的な解決を望みます』と耐えて殴られ続けるのか?
お前、本当は苦しいんだろう?」
一拍。
「歯を食いしばって、
ただ耐えることだけが正義だと思うなよ。
何もしないでいることは、容認しているのと、同じだぞ……」
酷な理論を述べているのは、自覚している。
耐え続けることによってやり過ごすのもまた、
一つの選択だろうから。
でも、今の木村はそれを手段として選んでいない。
生まれて背負わされた運命のように、
受け入れているだけだ。
最近、冗談で考えたことがある。
恋花にいつも通り、
可愛い愛のある暴言を吐かれながら。
世界平和の第一歩は、
『自分がサンドバッグになることを容認すればいいだけだ』、なんて。
だがそれは。
一時的に争いを“保留”にするだけの選択に過ぎない。
不利益は、受け入れてはいけない。
立ち向かえとか、争えとか、
そういう話ではない。
だが、容認して「仕方がない」と思考を止めてはいけないのだ。
……これは、元カノの受け売りだ。
俺は息を整え、
恋花に言われた言葉を噛み締めるように、木村に言う。
「考えることを辞めるなよ」
一拍。
「誰かが用意した借り物の言葉で、身動き取れなくなってるんだろ。
だから暴力を受ける被害者の身でありながら、
来栖先輩の隠蔽計画にも加担した。――違うか?」
「……俺だって、本当はどうにかしたいよ。
でも、俺が何かしたら、別の奴が被害に遭うかも知れない。
これが一番、穏便に済むんだ!」
「声を上げてくれよ。
簡単じゃないかも知れないけど……
少なくともお前がお前の言葉で助けを求めたなら、
俺も、俺の友達も、きっと助ける」
木村は歯を食いしばる。
こんなことを言われて、悔しいと思う。
ムカつくと思う。
俺はあくまで当事者でなく、傍観者だ。
でも、理不尽な暴力なら、
俺だって、全くの未経験じゃない。
だからこそ。
木村には、それを容認して欲しくないと思った。
出過ぎた事は承知。
そんなこと充分に理解しているけど――
この事態をメモで知らせた村田の気持ちにも報いたいと思った。
やはり、良い顔ばかりするのではない。
期待されて、引き受けて、
それでいて上手く出来たか勝手に反省する。
沈黙が長く続く。
呼吸が微かに震え、指先が机を押す。
そして、木村が、
震える声でぽつりと呟いた。
「俺に何が出来るか分かんないけど、考えてみるよ……」
「ああ。
……村田に、感謝してやってくれ。
あいつはいつでも、お前を想ってる」
「……うん。
それから汐森、お前にも」
「いいよ、別に」
再び沈黙が降りる。
男二人きりの密室。
どうにも気まずい空気が漂っていた。
――もう行こう。
最後に、
やらなければならないことがある。
そう思った、その時だった。
「汐森、俺は謝らなくちゃいけない」
「さっきの話か?
もういいって。
俺も好き勝手言ったし、お互い様だ」
「違うんだ」
その声はどこか重い。
「汐森、キーホルダー失くしただろ?
あれ盗ったの、実は俺なんだ。
それから、向崎のポーチも。来栖先輩に言われて……」
「……!」
恋花の考え通りだった。
やはり、誰かが持っていたのだ。
捨てられていなかったという安堵と同時に、
言葉にできない怒りが胸に湧き上がる。
思わず、拳を強く握っていた。
「どうして、そんなことをした……」
「最初に、犯人探しを引き受けてくれそうなお人好しを探せって、
先輩に言われたんだ。
それで汐森の名前を挙げた。
汐森は、よく他人の相談にも乗るだろ。良い奴だからさ」
開き直るというより、
罪の告白のような声音だった。
「だから、まず隣の席の向崎の私物を盗った。
それから、汐森が昼休みに来栖先輩と廊下で話している隙に……。
どうしても、協力を得たかったんだ! 本当に、ごめん!」
「そんなことはどうでもいい!
それで、俺から盗った物は今、お前が持ってるのか」
「いや、来栖先輩だよ。
きっと、まだ捨てたりはしてないはずだ。
あの人は、用心深いから……」
「来栖……!」
暴力はいけません。
やり返してはいけません。
傷付けてはいけません。
殺してはいけません。
――当たり前だ。
社会のルールなのだから。
俺はついさっき、木村にも言った。
――声を上げてくれ、と。
しかし、まだ助けを求める声がない以上。
ここから先は、俺のやり方で進むしかない。
硝子窓に映る、自分の顔に気付く。
こんな顔をしてはいけない。
俺は皆に頼られる、
望まれる、
理想的な「良い人」でなければならないのだから。
だから俺は、
精一杯、
優しく微笑むことにした。




