番外編1-⑩.脳ある悪魔は、優しく微笑む
明くる日の昼休み。
俺と恋花は、珍しく教室で肩を並べて座っていた。
今日は金曜。
サラリーマンであれば、
終業後の解放感に胸を膨らませる時間帯だろう。
だが、俺たちにそんな余裕はなかった。
むしろ、
刻一刻と過ぎていく時間が焦りを煽る。
このまま土日という空白を挟めば、
今回の件はきっと有耶無耶になる。
真相は誰にも触れられないまま、
都合よく闇に沈められてしまうだろう。
それだけは、避けなければならなかった。
「一度、状況を整理しよう」
俺は声を潜めて切り出す。
「俺たちは最初、自分達の物は盗まれたと思っていた。
でも、実際は違った。
――落とし物として箱に届けられ、
それを環境委員会が誤って回収していた」
確かめるように続ける。
「つまり今回の件は。
委員会内の伝達ミスが引き起こした“事故”で、
窃盗犯なんて最初から存在しなかった――そう結論付けた」
「うん」
恋花が静かに頷く。
「……ところが、だ」
一拍置く。
「その結論が成立するのは、
“廃品として回収されてもおかしくない物”だけが被害に遭っていた場合だ。
新品で、高額な物は――そもそも回収対象にならない」
「先生も、そう言ってたね」
昨日の帰り。
環境委員会担当の教員の元に立ち寄って、話を聞いた。
回収された物は、
必ずすべて中身を確認するという。
そしてその際、
規定に満たない物は一時的に取り除かれるとのことだった。
具体的には。
いたずらで入れられたゴミ、
一見して高額だと分かる物、機械類などだ。
当然、星川先輩のカメラは、
一度箱が開けられただけの新古品だ。
本来であれば、
真っ先に取り除かれていなければならない。
しかし――誰一人として、
カメラらしき物を確認した覚えはないらしい。
「……まだ、解決してないんだろうな」
「でも、ひとまず清継君のキーホルダーが捨てられてなさそうで良かったね。
取り除かれる条件としては、いたずらで入れられたゴミだもん」
「ゴミだから捨てられずに済んだとは、これ如何に」
リサイクルの可能性すらない物を、
後生大事に持ち歩いている。
そりゃ、元カノへの気持ちだって簡単には捨てられないわけだ。
俺の心のアルバムは、不用品で積み重なった広辞苑。
将来の墓石は、
ゴミステーションの中心にでも建てておくといい。
同居人のボロボロのバッシュ、筆、鍵入りのホルダー。
全て愛してみせるぞ。
――なんて、ふざけたことを考えていて。
ひとつ、引っかかる。
「なあ恋花。
ゴミって……回収されないんだよな」
「そりゃ、ゴミはゴミ箱へ、が普通だからね」
「ボロボロの『筆』って、ゴミじゃないか?」
「あー……そうかも?
もしかしたら、ちょっと良い筆だったり」
「いや。ビレッジ兄弟はあの時、
“ごく一般的な筆”だって言ったんだ。
覚えてる」
なぜそんなことまで覚えているのかと言えば。
この発言に、当初から違和感を抱いていたからだ。
その場で触れなかったのは、
バスケ部を辞めたと聞いたから。
何か事情があるのだろうと、
無遠慮に踏み込まない方がいい――そう察した気持ちの方が強かった。
恋花が小首を傾げる。
「ビレッジ兄弟……?
誰それ。お笑い芸人?」
「木村と村田の、眼帯してない方。
……そもそもな話だ。
なんであいつは《《盗まれた》》なんて言った?」
一拍。
「たかだか、筆だろ。
普通は“落とした”で終わりじゃないか?」
「……確かに。
わざわざ生徒会準備室まで来るのは、変かも。
紛失届を出すにしても、ボロボロなら手間の方が勝るわね」
――紛失届。
その言葉を聞いた瞬間。
点と点が、音もなく繋がった気がした。
いや、正確には――
あの日。
胸の奥に引っかかったまま放置していた違和感が、
今になって、はっきりと輪郭を持って浮かび上がってきたのだ。
「あの日、『盗まれた』と言ったのは誰だ……」
「え?」
「考えてみろよ。
カメラを失くした星川先輩は、
最初から“紛失届を出そう”って相談に来たんだ」
慎重に、事実を並べる。
「治安の悪いスラム街ならまだしも。
校内で物がなくなったら、普通はまず『失くした』と思うだろ。
いきなり“盗まれた”と判断するのは、大袈裟じゃないか」
「……そう、かも。
私は最初から盗難事件だって聞かされてたから、何も疑わなかった。
議題にするなら“紛失事件”の方が自然よね。
盗難に発展するのは、その後だと思う」
盗難事件が相次いでいる――と、
最初に俺に持ち掛けてきたのは、来栖先輩だった。
次に「盗まれた」と言ったのは木村。
そして、村田。
まるで最初から。
この件を“盗難事件”に仕立て上げたいかのように、
三人とも同じ言葉を使っていた。
三人は同じバスケ部。
いや――厳密には、美術部に転部した村田は違うのか。
俺はポケットから、
村田から渡された、三人分の電話番号が書かれたメモ用紙を取り出す。
番号だけでなく、
意味不明な落書きまで施されたその紙を見て、恋花が言った。
「……何それ。
その変なイラスト。清継君が描いたの?」
「違うよ。村田が渡してくれたんだ。
『盗難事件、必ず解決してくれ』ってさ」
俺はメモ用紙を指でつまみ、軽く振る。
「あいつが盗まれたのって、ボロボロの筆だろ。
それを“盗まれた”なんて言うの、どうにも引っ掛かってさ。
もしかしたら、何かのメッセージなんじゃないかって思った」
「うーん……考え過ぎな気もするけど。
村田君、頭良かったからなあ」
「あの日、みんなの前では言えないことがあったのかもしれない。
言葉に出来ないことに気付いてほしい人って、
たいてい何かしらサインを送るもんだ」
「清継君って、
中学の頃からそういうサインに気付くアンテナあったもんね」
「そうか?
じゃあ、そのアンテナがまだへし折れてないことを祈るよ」
メモを広げる。
「恋花、このメモ見て、何か気付くことないか」
俺は自分の机をそっと引き寄せ、恋花の机にぴたりとくっつける。
普段なら、この距離まで詰めた瞬間。
机ごと窓から放り投げられてもおかしくない。
だが恋花は、
文句ひとつ言わず、ただメモ用紙に視線を落とした。
左上の端。
赤ペンで書かれた、漢字一文字――『米』。
中央には三人分の電話番号。
来栖先輩。
木村。
村田。
そのうち、来栖先輩の番号の上を、
ナマズのような大きな魚が悠々と泳いでいる。
そして右下。
同じ赤ペンで描かれた、四つ並んだ星。
「村田の奴、腹減ってたのかな……
だから米と魚が食いたくて、こんな物を」
「いや、清継君どんなメッセージ。
監獄の囚人と看守のやり取りじゃないんだから」
恋花は呆れたように言いながらも、
なお紙から目を離さない。
さらに目を細め、顔をぐっと近付けた。
……なるほど。
マイクロサイズの文字が仕込まれているのかもしれない。
あるいは、
火で炙ると浮かび上がる暗号――。
「虫眼鏡と蝋燭を持ってくるよ。
ブラックライトも必要か」
「いらないから」
即座に切り捨てられた。
「ねえ清継君。
この『米』って漢字、アメリカの意味じゃないかしら」
「国名を漢字一字で置き換えるやつか。
仏はフランス、独は独身貴族、露は……露出狂?」
「あなたの世界地図は愉快で良いわね。
ドイツとロシアに、本気で殴られたら良いと思うの」
さすがに冗談だ。
だが、国名を漢字一字で表す文化自体、
ほとんど当て字遊びの延長だとも思う。
愛澄乱怒――
なんて書かれていたら、
もう暴走族のチーム名である。
しかし、それでも。
村田がわざわざ赤ペンで、この一文字を書いた意味が、
単なる悪ふざけだとはどうしても思えなかった。
「それで、米がアメリカだとして……この魚は何だ。
“うおww”って、来栖先輩を馬鹿にしたいだけなのか」
「馬鹿は清継君だけよ。
せめて英語にしたらどうなの」
睨まれる。
「多分この魚……普通の魚じゃなくて、ヒゲが生えてるでしょう?
ナマズだと思うんだけど。
……英語で何だっけ——“Cat fish”?」
「どこかで聞いたな。
水上だったか。
スラングで“ネカマ”とか、“なりすまし”って意味だって教えてくれた」
「……普段、瑞希ちゃんと、どういう会話をしてるのよ」
他愛もない話だ。
いや、正確には、
しょうもないと言うべきか。
精神年齢で言えば、
たぶん水上の方が上だと思う。
「豆知識を披露し合ってるんだよ。
日々、賢くなろうと思ってな。
つまりこのメモによると、来栖先輩はネカマが趣味ってことか。意外だ」
「……それを暴露したくて、
わざわざメッセージにするかしら。
ナマズって、何か他の意味があったっけ」
俺たちが再び考え込んだ、その時。
「――何を難しい顔で悩んでいるんだい?」
そう声を掛けてきたのは。
歩き方ひとつで空気を変えるような、
麗しい所作の女生徒だった。
「やあ、清継君、恋花ちゃん。
席までぴったりくっつけて――相変わらず仲が良いね」
「王子か。
“今日は”じゃなく“相変わらず”とは何だ。
普段の俺は、恋花から廃品回収寸前のゴミみたいな扱いを受けているんだ。
表現には、細心の注意を払って頂きたい」
俺と、そして恋花の不満気な表情を見て。
王子こと、皇美姫は、
切り揃えた前髪をふわりと揺らして笑った。
「いつも通りの光景を、そのまま言葉にしたつもりだけどな。
それより……随分楽しそうじゃないか。
二人して、ニュージーランドにでも行きたいのかい」
「ニュージー……」
恋花が呆れたように頬杖をつく。
「美姫ちゃん、色々ツッコミたいところはあるんだけど。
まず、ニュージーランドはどこから出てきたの。
“米”はどう考えてもアメリカでしょ。――清継君でも分かるわ」
「ああ、これは漢字で“米”と読むのか。
僕はてっきり、ユニオンジャックだと思っていたよ」
「「……!」」
俺と恋花は、ほとんど同時に顔を見合わせた。
確かに、一見すれば漢字一字の『米』だ。
だが、赤ペンで塗りつぶされるように書かれていることを考えれば。
それは国旗――
ユニオンジャックとも見えなくはない。
俺は思わず、身を乗り出して尋ねた
「お、王子!
これがユニオンジャックだとしても、
イギリス国旗のマークになるだけじゃないのか。
どうしてニュージーランドになる」
「どうしてって……右下に星が四つあるじゃないか」
机に置かれたメモを指先で軽く叩く。
「星は五つじゃなく、四つの南十字星。
イギリスでも、よく似たオーストラリアでもない。
――ニュージーランドだろうね。間違いないよ」
「……!」
息を呑んだ。
もっと広い範囲で見るべきだった。
目先の記号ばかりを追い、
全体を一つの“絵”として見ていなかった。
このメモは、情報を一つ一つ分解して読むものじゃない。
一枚そのものを、
俯瞰して読むべきものだったのだ。
では――今回の盗難事件も。
同じように、
視野を広げて見たらどうなる。
「王子……さすがだな。
心の余裕っていうか、物の捉え方が根本から違う」
「どうしたんだい、急に」
王子は肩をすくめる。
「僕と清継くんの考え方が違うのは当たり前だろう。
君は君なんだから。
それで……これは何のクイズなんだい?」
俺は、心からの賞賛を送ったつもりだった。
だが王子はそんなものには頓着せず、
ただ純粋にこの一枚の“謎”に惹かれている。
その瞳は、
宝物を見つけた子供みたいに輝いていた。
恋花が顎に手を当て、小さく呟く。
「でも……ニュージーランドの公用語も、
アメリカと同じで、英語じゃなかったかしら」
「恋花ちゃん。
確かに、一番使われているのは英語だけどね」
どこか得意げに笑みを作る。
「他にもあるんだよ。
マオリ語と、ニュージーランド手話が」
マオリ語?
何だそれ。
「王子、随分詳しいんだな」
「まあね。
最近、色んな国や民族の儀式を調べていてさ。
その流れでマオリ文化にも触れたんだ。
……彼らの言語は、一度衰退しかけたけど、
今は国の文化遺産として復興していて――」
「……」
――こいつはいったい、
何を目指し、どこへ向かっているのだろう。
普段から図書室に通い詰め、
聞いたこともない本を借り漁っているとは思っていたが、今は民族の儀式とは。
小脇に抱えた一冊の本が目に入る。
タイトルは――
『世界の始まり』。
こいつ、
神になろうとしてやがる。
「熱弁してるところ悪いけど、王子。
じゃあ、そのマオリ語でナマズは何て言うか分かるか?」
「……ナマズ?
確か、ニュージーランドには、在来のナマズはいなかったはずだね」
王子は少し考え込むように、視線を宙に泳がせる。
「だから、厳密には違うけど……
“大きな淡水魚”という括りなら、“Giant bully”かな」
その瞬間、
恋花が小さく息を呑んだ。
「……え」
その反応の意味が分からず、俺は思わず尋ねる。
「それは日本語で訳すと、どうなる」
王子は、
いつも通りの穏やかな笑顔で答えた。
「直訳すれば、それは――
“巨大ないじめっ子”、だね」
「――!」
背筋を、冷たいものが滑り落ちた。
なぜ、村田はこれを俺に伝えた。
なぜ、あいつはバスケを辞めた。
なぜ、残った木村も、
来栖先輩と同じように“盗まれた”と強調した。
そして――木村の、あの眼帯は。
体育館裏。
写真部の部室。
フラッシュ機能を試した撮影。
失くなったカメラ。
“巨大ないじめっ子”。
点が、嫌な音を立てて繋がっていく。
――俺は、あの男。
来栖 理央に、
最初から、騙されていたのかもしれない。




