番外編1-⑨.脳ある悪魔は、優しく微笑む
「残念だったね……
清継君」
「いえ……それを言うなら、
来栖先輩も同じでしょう。
まさか、すでに回収された廃品が業者に引き取られていたなんて」
写真部を訪れ、今回の盗難事件――
いや。
正確には“盗難と誤解されていた一件”の真相に辿り着いたあと。
俺は来栖先輩を電話で呼び出した。
先輩は生徒会の活動中だったらしいが、
俺の事情を聞くと快く時間を作ってくれた。
それどころか。
同じ被害者である木村と村田まで、
生徒会準備室に集めてくれる手配の良さだ。
こういう人間が環境委員会に一人でもいれば、
今回のような行き違いは起きなかったのかもしれない――
そんな詮無いことを、心のどこかで考えてしまう。
俺が一連の顛末を説明すると、
来栖先輩はすぐに教員へ掛け合ってくれた。
回収された廃品がどこに集められ、どう処理されるのか――
その確認は驚くほど迅速だった。
そして、結果だけが残った。
タイミングが悪かったのだ。
昨日までに回収された廃品は、
すでに業者によって引き取られ、校内には残っていないという。
俺にとっては、
これ以上ない結末だろう。
……いや。
被害者の気持ちは、きっと皆、同じだ。
「来栖先輩、鍵……
見つけられなくて、すみません」
「どうして清継君が謝るんだい。
今回の件、解決してくれて本当に感謝しているよ」
無理に笑みを作ってから、
わずかに肩をすくめる
「そもそも鍵をなくしたのは俺だ。
きっと誰かが拾って、落とし物ボックスに入れてくれていたんだろうね。
そして、それが誤って回収されてしまった……
お互い、不運な事故に巻き込まれただけさ」
「……だとしても、
先輩は、責任問題に問われてしまうんじゃないんですか?」
来栖先輩がなくした鍵は、
父親の持つ会社にとっても重要なものだったはずだ。
犯人を特定することより。
論理を積み上げることより。
俺はただ――
その鍵を、先輩の手に戻してやりたかった。
来栖先輩は、少し困ったように笑った。
「多少のお叱りは受けるだろうね。
でも、それで済む話だよ。
物は戻らなかったけれど、原因ははっきりした。
……誰かを疑い続ける必要もない。それだけでも、十分だ」
その声は軽く、どこか覚悟を含んでいた。
「それに――」
来栖先輩は俺を見て、穏やかに言う。
「君がここまで真剣に動いてくれたことは、ちゃんと残る。
鍵よりもね」
「……」
何も返せなかった。
胸の奥に、
言葉にならないものが、ゆっくりと沈んでいく。
「……先輩は、良い人ですね。
俺はどうにも、そこまで前向きには考えられそうにありません」
「君の失くした物は、キーホルダー……だったかな?
清継君にとって、特別な物だったのかい」
「はい。
特別、なんて言葉じゃ足りません」
言葉にした瞬間、少しだけ喉が詰まる。
「俺が何のために生きているのか、忘れないでいられる――
そんな御守りでした」
「……」
一拍の沈黙が落ちる。
気が滅入っていたとはいえ、
もう少し別の言い方があったのかもしれない。
同情が欲しかったわけじゃない。
ただ、事実を並べただけなのに、
ひどく重たい音になってしまった。
「すみません。
俺も、来栖先輩を見習って切り替えられるようにしないと」
「いや。
無理に強がることもないだろう。
それだけ大切な物だったんだ……何だか、体調まで悪そうに見える」
責めるでも、慰めるでもない声だった。
「気持ちが落ち着くまで、生徒会準備室は使ってくれて構わないよ。
俺はこの後、引き続き先生と話をしてくる。
今回の件で、何か補償があるかもしれないしね。
……文句を言いに行った星川や木村たちも、少し心配だ」
来栖先輩は重々しい様子で立ち上がる。
それから。
この部屋に静かに残っていた恋花へと、視線を向けた。
「清継君のこと、気に掛けてやってくれ」
「は、はい……」
そう言い残して、
来栖先輩はどこか満足そうに微笑んだ。
少なからず、この件が“窃盗事件ではなかった”事実に、
安堵しているのだろう。
それから先輩は、
今回の失態を詰めに行くのだと息巻いていた、
他の被害生徒たちを追い教室を後にした。
一件落着――
そう言うには、あまりにも無様な幕引きだ。
俺はパイプ椅子を引き寄せ、
そのまま崩れ落ちるように腰を下ろす。
「はあ……」
「清継君、大丈夫?」
「ああ。少しすれば良くなるよ」
自分に言い聞かせるように続ける。
「来栖先輩みたいに、俺も現実を受け入れるべきなんだ。
失くなってしまった事実は、もう変えられない」
「でも……」
恋花は、少し言葉を探してから言った。
「まだ、“失くなった”って決まったわけじゃないと思うの。
星川先輩のカメラは、もう回収されちゃったかもしれないけど。
清継君のが、同じだとは限らないでしょ」
「ありがとう。お前も優しいな。
でも、きっと良いタイミングだったんだよ」
「え?」
俺は天井を見上げる。
蛍光灯の白い光が滲んで、視界がぼやけた。
それから、
そっと目を閉じた。
「……いつまでも、
御守りにすがってちゃ駄目なんだよ」
少しずつ、息を吐く。
「どこかの神頼みに逃げるんじゃなくてさ。
――どこかの神様、これからの俺を見ていてくれ、って言えるようにならないと」
この時の俺は、
どれほど強がっていただろう。
本心とは程遠い言葉を、
どれだけ上手に並べていたつもりだったのだろう。
たぶん、思っていた以上に。
それは、はっきりと表に出ていた。
「……清継君は、それで良いの?」
「そう割り切るしかないだろ」
わざと軽く言う。
「明日からまた、“前を向いて清継は頑張ります”って顔して生きてくんだから。
別に良いだろ、それで」
「良くない!」
瞬間。
乾いた音が、生徒会準備室に響いた。
机が叩かれたのだと理解するまで、ほんの一拍遅れた。
「……ど、どしたの急に」
怒ってるのか――?
こんな恋花、初めて見た。
「……前から思ってたけどさ」
恋花は一度息を吸い、
言葉を選ぶ素振りすら見せずに吐き出した。
「清継君、大人ぶって気丈に振る舞うの、良くないと思うよ。
本当は今、めちゃくちゃ落ち込んでて――
どうにかしてでもキーホルダー取り戻したいって思ってるんでしょ?」
「……」
「我慢して自分の気持ち押し殺してるだけでしょ。
それで達観したつもりになってるの、すごくムカつく」
「ム、ムカつくって言ったって……!」
思わず声が跳ね上がる。
「もうどうしようもないだろ!
恋花、お前には分からないかもしれないけどな――我慢しなきゃ駄目なんだよ!
気持ち押し殺して、気丈に振る舞いでもしなきゃ、
俺は……大人になれねえんだよ!」
準備室に、荒げた声が反響した。
こんな大声を出すつもりはなかった。
本当はもっと、喚き散らしたかった。
こんな現実受け止められるかって床に転がって、
地団駄を踏みたかった。
俺が失ったものは、あまりにも特別だった。
弟を、家族を――
確かにそこにあった温度を感じられるものは。
俺の手元にはもう、
あれしか残っていなかったのだから。
平静を装うには、
もう自分の感情を、押し殺すしかない。
恋花は視線を逸らさないままに続ける。
「諦め慣れることが、
大人になることだなんて思わないでよ……」
一拍、恋花は言い直す。
「ううん、違う。
なんなら清継君は、諦めてすらいない。
考えることを放棄してるの」
「……」
「だから“現実を受け止めよう”だなんて、
まるで本心でもないことをそんな顔で言えるのよ」
逃げ場のない正論だった。
「私、言ったよね。
清継君がそれ、大切にしてるの、知ってるって」
「じゃあ……諦めなければ、この現実は変えられるのか?」
「少なくとも、これで終わりにはならない。
考えることを、やめないで」
恋花は俺の正面の椅子を引いた。
きし、と小さな音がして、距離が一気に詰まる。
顔を近づけ、声を落とす。
「いい?
これは、あくまで私の考えね」
囁きに近い声だった。
「清継君のキーホルダー……
廃品回収ボックスにも、落とし物ボックスにも、入れられてないと思う」
「じゃあ迷子センターにでも行けばいいのか?
“五センチサイズの俺、来てませんか”って」
「……私、真面目な話してるの」
「はいはい。
じゃあ次はオカルト研究会だな。
俺を呪物にしたような人形、拾ってませんかって。
あんなボロボロのキーホルダーだ、拾われても捨てられてそうだけど」
自嘲が、勝手に口を滑った。
その瞬間――
恋花は、小さく人差し指を立てた。
遮る、というより。
これ以上逃げるなと言うみたいに。
「今、自分で言ってて気付かない?」
「お前は生まれつきの呪物だろってか」
「なわけないでしょ。もう」
呆れたように息をついてから、
声音を正す。
「“拾われても捨てられてそう”って、言ったでしょ」
「……!」
「普通の人があのキーホルダーを拾ったら、どう思う?」
胸の奥で、何かがひっくり返る。
見る人によっては、
呪いの道具にすら見えるかもしれない。
それくらい、あれはボロボロだった。
俺と恋花だから、かろうじて“キーホルダー”だと分かるだけで、
通りすがりの誰かが拾ったなら――
落とし物?
部活の廃品?
……違う。
「ゴミだ」
「でしょ?」
「自分で言ってて、結構キツいな」
「あなた、周りから見たら、
そういう物大切にしてる変人だって気付いた?」
「……気付いた」
もしかして俺、客観的に見たら相当やばいのでは?
ボロ人形を肌身離さず持ち歩いてる高校生。
オカルト研究会は俺の存在そのものだ。
思考が勝手に悪い方向へ転がっていく。
そんな様子を見て、
恋花は小さく笑った。
「だからね。
昨日の帰り、教室のゴミ箱とゴミ捨て場、両方見に行ったの。
私たちのクラスのゴミ袋、見つけて漁ったんだから」
「まじで?
昨日は俺と一緒に帰るのが嫌で、
忘れ物したって嘘ついたんじゃなかったのか」
「まあ、それもあるかな。
九割くらい」
……ほぼ全部じゃねえか。
一緒に帰るのが嫌で時間を潰した、
くらいの動機じゃないか。
いや。
さすがに冗談だろう。
ゴミを漁るだなんて、
暇つぶしで出来ることじゃない。
恋花は俺の失くした物が、
俺にとってどれほど大切か分かっていて――
考え得る限りの可能性を、
先回りして潰してくれていたのだ。
「それならそうと言ってくれれば、俺も手伝ったのに」
「だからその後、一緒に帰るのが嫌って言ってるでしょ。
……って、そうじゃなくて」
恋花は一度言葉を切る。
「結果的に、ゴミ箱にも清継君のキーホルダーはなかったの。
だからね……」
誰かに聞かれるのを警戒したのか。
恋花はさらに声を落とし、
耳打ちしてきた。
「多分、清継君のキーホルダーは今――
誰かが持ってる」
「……!」
盗難事件は、
本当に起きているというのか。
では俺の導き出した犯人は、最初から間違っていたのか。
いや。
環境委員の一年生が、
落とし物ボックスの中身を誤って回収していた事実は揺るがない。
俺のスマホを箱に入れ、目の前で実証した。
ならば、誰が。
何の目的で、
あんなボロボロのキーホルダーを。
――いや、俺だけじゃない。
擦り切れたバッシュ。
使い込まれた筆。
カメラ。
鍵の入ったホルダー。
もし、これらすべてが「盗まれていた」と仮定するなら。
共通点は何だ。
思考が絡まり始めた、その時。
「「――!」」
準備室の扉が勢いよく開いた。
俺と恋花は同時に肩を跳ねさせ、
何事もなかったかのように距離を取る。
「聞いてよー、汐森君、向崎さん……って、あれ?
なんか密会中でお邪魔だった?
出直して来た方が良い?」
「星川先輩……
別に何でもないですよ。
俺たち、そういう関係じゃないので」
――今はな!
そう言いたげに口を噤む俺をよそに、
丸眼鏡を曇らせた星川先輩は、肩で息をしながら言った。
「じゃあ聞いてよー!
さっき環境委員会担当の先生と話してたんだけどさ。
やっぱり委員の間違いはあったみた。
でも、学校としては何の補償もしてやれないってー!」
「それは、その……残念ですね。
まあ、さすがにボロボロのカメラだと、
相場がいくらか分からないからじゃないですか?」
軽口のつもりはなかった。
前提として、置いた言葉だった。
星川先輩は、一瞬、目を丸める。
「え……?
私、いつカメラがボロボロって言ったの?」
「ん、いや……
中古ショップで買ったって」
「中古ショップで買ったとは言ったけど、一度箱が開けられただけの中身は新品!
新古品だよ! 十万円したんだからねえ!?」
「――!」
じゅ、十万だって……?
最近、朝は中古リユースショップの看板だの、
学校では廃品回収だの、ボロボロの物が盗難だのと――
古いものばかり話に聞いていたせいか。
てっきり、
カメラもボロボロの物だとばかり思い込んでいた。
……話が変わってくるぞ。
今回の件で失くなった物のうち、
星川先輩のカメラだけが、新品かつ高額な物――。
———この時の俺はまだ気付いていなかった。
これは、ある人物のある行いが裏で隠されていた、
単なる盗難事件では終わらない話だということを。




