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番外編1-⑧.脳ある悪魔は、優しく微笑む


 部室に戻ると、

 恋花が少し不安げに口を開いた。


「でも清継君。

 カメラを持って行ったのが、雨に濡れた人って分かったのはいいけど、

 どうやってその人を特定するの?」


 小首を傾げる。


「そんな人、結構いそうだし、

 声かけて探すのなんて無理じゃない?」


「声なんてかけなくてもいい。

 俺の考えが正しければ、向こうからやって来るはずだ」


「どゆこと?」


 一つ、試してみよう。


 部室を、ゆっくり見回す。


 星川先輩は、カメラをロッカーの箱に置いたと言っていた。


 複数あるロッカーの中から、

 どの箱に入れたかを当てるのは、普通ならほとんど運任せだろう。


 しかし。


 俺の推理が正しければ――

 先輩がカメラを置いた場所は、ここでなければならない。


 ロッカーの上の棚にそっと手を伸ばし、表面を撫でる。


「星川先輩。

 カメラを置いたのはロッカーの中ではなく、

 この棚の上じゃありませんか?」


「え、正解! 

 汐森君、何、エスパー!?」


 間違っていなかったことに、胸の奥で小さな安心が湧く。


 カッコつけて外していたらどうしようかと、

 内心びびり散らかしていたのだ。


 まずは、胸を撫で下ろす。


「清継君、どうして分かったの」


「この箱。

 恋花も分かるよな」


 先輩がカメラを置いたという、

 棚上のすぐそばにあった――


 見慣れた“二つのプラスチック箱”を手に取って見せる。


「廃品回収ボックスと、落とし物ボックスね」


「先輩はこの箱の中にカメラを入れた。

 そうですよね?」


 星川先輩は静かに頷いた。


「うん。でも、汐森君。

 じゃあ君は、廃品回収係の子が犯人だと言いたいのかい? 」


 一拍。


「それならちょっと待って。

 確かに私はその日、部室に一人でいて、

 片付けるのが面倒で、一時的にその箱にカメラを置いた」


 小さく息を吐く。


「でも私が置いたのは、『落とし物ボックス』の方。

 万が一、廃品回収係に持って行かれたら困ると思ってね」


 そうだろう。


 他に部員もおらず、

 盗まれることなど想定もしていなければ――


 たとえ貴重品でも、不用心に置いてしまうのは仕方ない。


 俺だって昼休みに、

 スマホを机の上に放置して教室を出たことがある。


 しかし。


 それでも先輩は、

 可能な限りの用心を尽くしたのだろう。


 『落とし物ボックス』に入れさえすれば、

 それはあくまで、写真部の所有物だから安心……のはずだった。


 だが、その油断が生んだ隙間を、誰かがすかさず突いた。


 ――いや。


 意図せず突いてしまった、か。


 俺は、部室内の時計に視線を落とす。


「先輩。

 文字通りの意味で万が一を思うなら、

 ロッカーの中にしまうべきでしたね」


「え」


 足音が、

 渡り廊下の方から近づいてくる。


 そろそろだ。


 俺はポケットからスマホを取り出し、

 静かに『落とし物ボックス』の中に置いた。


「ねえ、清継君。

 それどうするの?」


「まあ、見とけって」


 少しの間、静寂が流れる。


 息を潜めるように、部室の中に緊張が張り詰めた。


 やがて、

 下級生の女子生徒が一人。


 部室の扉を押して、顔を覗かせる。


「失礼しまーす。

 廃品回収に来ました、環境委員会です」


 俺は待ってましたとばかりに、無言で頷いた。


「お疲れさん」


「え、汐森先輩!? 嘘、写真部だったんですか!? 

 マジヤバい、かっこいい。

 あ、私、一年の西田にしだって言います」


「お、おお。

 写真部ではないけど、汐森 清継だよ。

 よろしく」


「きゃああ」


 星川先輩は、そのやり取りを微笑みながら眺め、恋花に囁く。


「さすがの人気者だね。

 今のうちにサインもらっといたほうが良いかな」


「ゴミになるんで、やめといた方が良いですよ」


 辛辣だ。


 にわか雨どころか、

 ゲリラ豪雨のように浴びせられる痛烈なツッコミに、思わず顔をしかめる。


 それでも、一年生が純粋に喜んでくれる様子は悪くない。


 だが、環境活動家だか何だか知らんが、

 早く役目を果たしてくれ――と、心の中では呟く。


「北田さん」


「西田です」


「……」


 ……ごめんなさい。


「西田さん、

 髪濡れてるけど大丈夫?」


「ああ、すいません。

 こんなびしょ濡れで……ついさっきまで、陸上部とバスケ部の回収箱をチェックしてたんですけど、突然雨に降られちゃって」


 やはり。


 ここは陸上部のグラウンドから、

 体育館裏を通り校舎に繋がるルートだ。


 外から廃品回収を回るなら、自然とこの道を通るだろう。


 濡れた床の正体も、これで納得がいく。


「一人で回ってるのか? 

 他の先輩はどうした」


「はい。

 委員会の先輩でしたら、

 『あおいシールのプラスチック箱』の中身を回収するだけだから、

 一人でも大丈夫でしょって」


 なんだその投げやりな先輩は。


 こうして部下に仕事を押し付けてサボる奴ほど、

 人件費を削りつつ、業務密度だけを上げる上司の典型だったりする。


 その結果どうなるか――見ておけ。


「大変だったな。

 手伝えることがあれば、言ってくれ」


「いえいえ、先輩の手を煩わせるまでもありません。

 では、回収箱をチェックしますね」


 後輩生徒はそう言うと、

 ロッカー上のプラスチック箱を確認した。


 すると、首を傾げる。


「あれ、スマホ。

 すいません、こんなのも回収しちゃって良いんですか」


「「――!」」


 恋花と星川先輩は、

 戦慄したように顔を見合わせた。


 無理もない。


 俺がスマホを入れたのは、

 《《青い丸シールの貼られた廃品回収ボックスではなく》》、

 黄緑色の丸シールが貼られた『落とし物ボックス』の方だからだ。


 つまり。


 星川先輩がカメラを置いたときの状況と、

 まったく同じである。


 思わず、星川先輩が声を上げた。


「ちょちょちょ、ちょっと待って! 

 君、先輩からは『あおいシールのプラスチック箱』の中身を回収するよう言われてるんでしょ?」


「は、はい……

 だからあおいシールの貼られた、この箱から回収しようと……」


「あおって、

 これどう見ても、黄緑色じゃんかあああ!」


 丸眼鏡を曇らせ、

 髪を掻きむしりながら嘆く星川先輩。


 その声に、後輩は肩をびくりとさせた。


 ただでさえ、仕事を押し付けられた不運な立場だ。


 さらに怒鳴られれば、災難も災難。


 ここは、俺が間に入らねばなるまい。


「先輩、そう声を荒げないでください」


 なだめるように言う。


「これは多分、指示を出した側の責任でもあります。

 彼女は環境委員の先輩から、『あおいシールの貼られた箱』の中身を回収して来いと言われているんです。

 ……言葉だけの意味なら、間違ってはいません」


「どういう意味?」


 俺は、部室の壁に貼られた写真を見渡す。


 ――説明するには、

 ちょうど良い資料があった。


 一枚、夏の海を写した風景写真を指差す。


「星川先輩。

 この写真に映る景色を何と言いますか」


「何だい急に……」


 不満げに答える。


「“青い海”だろうね」


「ではこちらは?」


 俺は、隣にあった別の一枚を指差す。


 その瞬間。


 先輩の目が、丸く見開かれた。


「“青リンゴ”だ……」


「黄緑色とは言わないでしょう」


 一呼吸、間を置く。

 

「日本語では『青』は広い意味を持ちます。

 緑でも、碧々《あおあお》とした森。

 果ては『青い春』のように、色のない概念にまで使われる」


 一拍。


「つまり。

 彼女は先輩の言葉通り、

 『青いシール』の箱の中身を回収したんです」


 俺の説明に、

 後輩生徒は不安そうに視線を揺らした。


「す、すみません。

 私、何か間違っていましたか?」


「いや、間違ってないよ。

 少し、勘違いしただけさ。

 入ってきたばかりの一年生なら、知らなくて当然のことだ」


 俺は落とし物ボックスから、

 自分のスマホを取り出し、ポケットにしまう。


「俺たち二年生以上はこの時期になると、

 廃品回収ボックスが各教室に設置される事を知っている。

 ――去年もそうだったから」


 視線を棚へ。


「不親切なのは、落とし物ボックスの方にはシールが貼られただけで、

 その名称が、箱には書かれていないことだ。

 このせいで、廃品回収ボックスの隣に置かれたこの箱が何の箱か、

 初めて見る者にはわからない」


 落とし物か、不用品か。


 その境界は、見ただけでは曖昧だ。


「俺たちにとっては当たり前のルールになってしまっているけど、

 俺も一年生のときは、両方の箱が同じ役割だと思っていたよ。

 ただ、俺の時は先輩が説明してくれたけどね」


 恋花は言葉を反芻するように頷き、

 そして静かに口を開いた。


「そっか。

 じゃあ今回の件は、

 先輩の説明不足で勘違いした子が起こしてたんだ」


「だろうな。

 休み時間に回収を呼びかけていたのが一年生ばかりだったから、

 少し不自然だとは思ってた」


 一拍。


「それで写真部の部室を確認した時。

 陸上部のグラウンドに近いから、

 回収ルート的に、その子たちが回るのが自然だとわかった」


 数分前のことを思い出す。


「恋花が、陸上の回収箱は外にあるって教えてくれて、助かったよ」


 俺たちの話を聞いていた一年生の生徒は、

 頭を深く下げた。


「すみません! よくルールを知らないまま回収してました。

 こっちの黄緑色シールの箱は、触っちゃだめだったんですね?」


「いや、大丈夫だよ。

 ちゃんと側について指導しなかった先輩が悪いんだ」


 苦笑する。


「ただ、この件で少し問題になってしまってることがあってな……

 三日前、この箱に置かれていたカメラを回収していないか?」


「カメラですか……?」


 後輩生徒は一瞬、眉根を寄せた。


「うーん、どうでしょう。

 三日前は私担当していなかったので、

 他の子が間違って回収してしまったのかも。

 この勘違いは、一年生の共通認識になっていると思います」


「……」


 なんということだ。


 上の世代が寄り添わず、きちんと説明を残さなければ、

 新しい世代は、独自のルールを勝手に共有するしかない。


 俺は眉間に手を当て、少し揉みながら考える。


 すると、

 一年生の女子生徒が小さな声で呟いた。


「でも、さすがにカメラは高そうだから、

 廃品として持っていかないと思いますけど……」


「……?」


 俺は、一瞬首を傾げる。


 しかしそんなことよりも。


 この事態を一刻も早く、

 来栖くるす先輩に報告しなければという焦りの方が勝った。


 鞄を漁る。


 どこかにビレッジ兄弟からもらった、

 来栖先輩の電話番号が書かれたメモがあるはずだ。


 出てくれるかどうかは分からないが、呼び出してみるしかない。


 メモを手に取り、ふと思う。


 村田が装飾したこのイラスト……


 やっぱり、

 落書きのセンスは皆無だな……と。


「そうだ、西田さん。

 雨で靴は濡れていないか?」


「え?」


 問いの意味が分からない、という顔。


「濡れてないですよ。

 体育館裏から校舎に入ってすぐ、内履きに履き替えましたので」


「そうか、なら良かった。

 もう少し、俺たちに付き合ってくれないか」


 俺は覚悟を決めて、

 来栖先輩に電話を掛ける。


 犯人は見つかった。


 しかし。


 それはただ真面目に仕事をしていた一年生が、

 勘違いをしていただけのことだった。


 最初から、窃盗犯など存在しなかったのだ。


 我が校の治安が、

 知らぬ間にスラム街のようになっていたのでは――

 と不安に思ったが、胸を撫で下ろす。


 電話を掛けながら、渡り廊下の床に目を落とす。


 薄く残る泥の足跡。


 俺は、それをじっと睨む。


 ここまでの経緯で、

 何か見落としてはいないだろうか――。



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