96話
スヴェツシ男爵夫人から陣痛がないという話を聞いてから、半日が経過した。
その半日の間でブリルーノは、スヴェツシ男爵がブリルーノを排除しようとしてきたところを逆襲して黙らせ、二度と愚かな真似をしないよう悪夢を見せる魔法で心を折ったりしたが、それは些末事である。
(半日経っても、一向にスヴェツシ男爵夫人に陣痛が始まる様子がない)
そもそもスヴェツシ男爵夫人が破水したのは、スヴェツシ男爵が夫人の腹部に攻撃した結果であって、出産を始めるための自然な破水ではない。
そしてスヴェツシ男爵夫人の胎児は、あからさまに生まれるには早い成長具合だ。
その二つの事実から考えるに、スヴェツシ男爵夫人の身体は出産を始めるには早いと認識し、陣痛を起こしていないのではないか。そうブリルーノは予想する。
(だが羊水は赤子を守るためのもの。破水でそれを失っては、胎児に悪影響がでてくるはず)
何時までも陣痛が始まらないのなら、スヴェツシ男爵夫人の腹を切り拓いて胎児を取り出すべきだろう。
しかしスヴェツシ男爵夫人は痩せ型の身体で、胎児も未成熟だ。
自然に陣痛が起こり、そして出産が始まる方が、両者の身体に余計な負担をかけずに済むのは間違いない。
ブリルーノは、どうするべきか迷う。
(ここは医者の意見を聞く必要がある場面だな)
魔法使いの経験で判断を下させないのなら、専門家に任せるべきと、ブリルーノは判断を下した。
スヴェツシ男爵夫人の容体が安定していることと、胎児には直ちに問題が起きなさそうなことを診断で確認した後で、ブリルーノはスヴェツシ男爵夫人に言葉をかける。
「少し、この屋敷から離れる。あの男爵が、この部屋に入れないよう魔法をかけておく。食料と水と生理用品は部屋の中に運ばせておくから心配はいらないぞ」
「貴方様が離れてしまうことに心配はありますが、必要なことなのでしょうね」
スヴェツシ男爵夫人の許しを得て、ブリルーノはスヴェツシ男爵屋敷の外へと出た。
ブリルーノは飛行魔法を用い、アミーコジ永代公爵家の屋敷へと移動した。目的は、この国で最も医者を輩出してきた家の医師である、アイスペクタ・クラシストとの面会だ。
日が暮れた時間の唐突な訪問だというのに、アミーコジ永代公爵家はブリルーノに世話になったからと、すぐにアイスペクタ医師との面会を許してくれた。
眠気眼のアイスペクタ医師に、ブリルーノはスヴェツシ男爵夫人とその胎児の容体を伝えた。
「腹部強打からの破水で、半日経っても母体に陣痛が起きず、そして胎児は生まれるのが危険なほどに未成熟。これは、とんだ重大事案ですよ」
アイスペクタ医師は、自身の眠気を覚ますように深呼吸してから、真剣な顔つきになる。
「この事態を終結させる方法は、二つあります。一つは、胎児の生命を諦めること。現段階で生まれても、自発呼吸できずに死ぬ可能性が高いです。遅かれ死ぬのですから、いっそ母体の保全を第一優先にするべきという方法です」
「胎児の方は、俺様が魔法でなんとかするから、救う方向で考えてくれ」
「でしたら、もう一つの方法ですね。母体の健康状態が痩せ気味とのことなので、出血が伴う腹部開口術式ではなく、堕胎薬を使っての出産が望ましいでしょう」
堕胎薬という剣呑な薬物の登場に、ブリルーノは眉を寄せる。
「その薬では、胎児は死ぬんじゃないか?」
「いえ。僕が言う堕胎薬とは、妊婦に摂取させると、陣痛および出産が始まる、そんな薬なのですよ。出産間近の妊婦に使えばスムーズに出産に入れますし、妊娠初期の妊婦に使用すれば母体にとっては安全に胎児を下すことができるんです」
「つまり、始まらない陣痛を、薬で起こすってことか」
「その認識で合っています。貴族の妊婦に飲ませる際には、お茶と共に淹れる煎じ薬にするのが一般的ですね」
アイスペクタ医師は、自室の薬棚に近寄ると、陶器瓶と茶色いガラス瓶を一つずつ取り出す。
陶器瓶から茶葉を取り出し、茶色い紙製の小さい袋に適量分け入れる。
ガラス瓶から薬さじで茶色い粉を掬い取ると、秤の皿にのせて規定量を計ってから、それを先ほどの茶色い袋の中へ入れる。
その後で、アイスペクタ医師は茶葉と薬が入った紙の袋を四回上下に軽く振ってから、それをブリルーノに渡した。
「これで用法はカップ一杯分。多く淹れたりしないでください」
「これを茶にして飲ませれば、陣痛が始まるんだな」
「摂取すれば、劇的に出産が始まること請け合いです」
アイスペクタ医師が確約してくれた薬を受け取り、ブリルーノはスヴェツシ男爵家へと急いで戻ることにした。




