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74話

 腹を切って胎児を取り出すことを、ミルキブルーナが決意した。

 そのことに対して、夫のシンザーレが翻意を促そうと声をかけてきた。


「待って。そんな急いで決めなくても良いじゃないですか。腹を切るんですよ!?」

「いいえ、子のためをかんがえたら、待ったなしです。皆、対処を」


 ミルキブルーナが指示を出すと、周りに侍っていた使用人たちが動きだし、シンザーレを部屋の外へと追い出し始めた。


「何をするんだ! ミルキブルーナ!」

「退室なさってください。この行いに対する不満を聞くのは後にお聞きいたします」


 こうして、シンザーレは部屋から追い出された。廊下側からシンザーレの声が聞こえるが、ミルキブルーナ付きの執事に邪魔されて部屋の中に入って来れないようだ。

 その後で、ミルキブルーナは医者へと顔を向ける。


「先生はどうなさいます? 宮廷魔法師筆頭様のお手伝いをなさるのか。それとも夫と同じで、今回の処置に反対なさるのか」

「……大人しく外に出ていましょう。ですが、何か問題があれば、それは貴女様とそちらの魔法使いの咎となること、心にお留め置きください」


 医者も部屋の外に出ていったのを見送ってから、ミルキブルーナはブリルーノに頭を下げてきた。


「それでは、子を腹から取り出す処置をお願いいたします」

「承った――だが思い切ったことをしたな。とても驚いた」

「ふふっ。話を正確に理解すれば、宮廷魔法師筆頭様のご提案こそが最上だとわかります。夫は心配するあまりに、いま目が曇り耳が塞がっている状態なのです。通常の状態であれば、同じ判断を下したはずです」

「なにはともあれ、全力を尽くさせてもらう」


 ブリルーノは宣言してすぐに、部屋の中を浄化の魔法で清らかな状態にした。

 その後に、置換の魔法をミルキブルーナに使って、痛みを別の感情に置き換えるおいた。


(最初は額に手を当てなければ胎児に影響が出かねなかったが、経験を積んだいまなら離れた状態でも妊婦自身にだけかけられるようになった)


 ブリルーノは、密かに自分の魔法技術が向上していることに満足しつつ、部屋の中に残っている侍女に顔を向ける。


「今から腹を切るが、服装を変えた方が良い。変えなくても問題ないが、腹の部分の布は切られて、さらには血濡れになるぞ」

「そういうことでしたら、お待ちを。別の衣服に着替えさせますので」


 侍女は部屋の戸棚に走ると、中から服を一つ取り出して、ミルキブルーナの元へと移動した。

 その後で、ベッドの天蓋にあるカーテンが下され、ブリルーノはその外で待機することになった。

 少し時間を置いてカーテンが巻き上げられると、ミルキブルーナの衣服は別のものになっていた。

 切る腹周りに布のない格好にするために、ミルキブルーナは胸元から上と腰から下に布がある――ぱっと見は場末酒場の踊り子のような格好になっていた。


「格好は問題なくなったな。それでは、開腹による胎児の取り出しをしていく」


 ブリルーノが宣言しながら、ミルキブルーナが横たわるベッドの脇へと再度移動した。

 ブリルーノは、ミルキブルーナに痛みを置換する魔法をかけつつ、自分の目に魔力視の魔法をかけなおした。

 魔力の動きを見極める目で、ミルキブルーナの腹のどこに胎児が存在するかを、確りと確認する。


「ここだな。切断」


 ブリルーノは自身の右人差し指を、ミルキブルーナの膨らんだ腹部に振れさせた。そして撫でるようにして、指を滑らせた。

 すると、まるで指が良く研がれたナイフであったかのように、すっぱりとミルキブルーナの腹が切り拓かれた。あまりに滑らかに切られているからか、傷口からの出血は湿り出てくるかのようにじんわりとしたもので、体を切ったにしては出血の量が乏しい。

 ここで更にブリルーノが指を一振りすると、切られた皮膚と腹筋が傷口に沿って大きく開き、腹の内が外気に晒された。

 魔力視で確認した通りの場所を切り開いたこともあり、内側に胎児を内包しながら脈動する子宮が現れていた。


「――うげっ」


 と吐き気を堪える声を上げたのは、ブリルーノの後ろで様子を見ていた侍女の一人。

 生きている内臓特有の生々しさを目にしたことで、一気に気分が悪くなって、声を出すのを耐えきれなかったようだ。

 ブリルーノは、そんな侍女のことなど構うことなく、次の手術の段階に入った。

 今度は露出した子宮の壁に指をつけて、押す。

 これは子宮の厚さを触覚で把握するためだ。

 子宮の壁のすぐ裏には、育った胎児が存在する。

 子宮の壁を的確な厚さよりも手前で切ってしまえば再び切る必要がでてくるし、厚みよりも深く切ってしまうと胎児に傷を負わせることになる。

 ブリルーノは神経を集中させて、子宮の壁の厚みを正確に把握した。


「切断」


 ブリルーノが魔法の呪文を呟くと、子宮の壁がすっぱりと切れ、羊膜に包まれた胎児の頭が傷口から出てきた。


「幕も切ってから、水流操作」


 羊膜に切れ目が入り、そこから羊水が吹きだそうとする。しかしそれより先に、ブリルーノが魔法を使用し、出てきた羊水を空中に一塊にして浮かした。

 羊膜の内にある羊水は全て魔法によって空中へと吸い上げられ、そして浮かんだ羊水は開けさせた窓の外へと投射されて捨てられた。


(ここまでくれば、後は神経を使う作業はない)


 まずは胎児を子宮の外へと出し、へその緒を縛ってから切断し、胎児と母親を完全に分離させる。

 そしてブリルーノは魔法で温水を作りだすと、その中に赤子を浸して膜と汚れを洗い清めた。

 この段階で赤子が、母親の胎内の外に出たことを気付いたようで、大きな泣き声を上げた。

 ブリルーノは、侍女が待ち構えて広げていた真新しいタオルに新生児を置くと、次にミルキブルーナの産後処置に入った。

 子宮の切れ目を魔法で治し、腹筋と皮膚も同様に治す。

 その後で、ミルキブルーナを対象に、大怪我も治せてしまう治癒の魔法をかけた。

 この魔法によって、ミルキブルーナの膨らんでいた腹は、すっかりと妊娠する前の状態に戻った。

 ミルキブルーナは、タオルにくるまれた状態で泣く赤子と、内臓を晒していたのが嘘だったかのように治った腹部に目を向けてから、首を傾げた。


「あのう。これで出産は終わりということでよいのでしょうか?」

「胎児がいなくなったことで後産が始まるはずだが、まあ終わりだな。どうだ、痛みもなく終わっただろ?」

「それは、はい。全く痛くありませんでした」


 ミルキブルーナは、腹から子供が居なくなったことは理解できたようだが、腑に落ちない顔だ。

 その表情の理由を、ブリルーノは予想することができた。


「あまりに痛くなさ過ぎて、子供を産んだという実感が湧かないってところか?」

「その通りです。むしろ重たいものが腹からなくなって済々したという気持ちが……」


 ミルキブルーナが発言の途中で言葉を濁したのは、子供を邪魔に感じていたと受け取られかねない発言だと察したからだろう。

 ブリルーノはその言葉の真意に気づかない振りをしながら、赤子を抱く侍女を手招きして近づかせた。


「子を抱けば、少しは気分も変わる。少し早く子を腹から出すことになったが、乳は出るか?」

「はい。少し前から、母乳が出るようになっていました」


 ミルキブルーナは、上半身の衣服をずらして乳房を露出させてから、赤子を侍女から受け取った。

 すると赤子が、まるで自分が行うべきことを理解しているかのように、自分からミルキブルーナの乳首に吸い付いた。

 ちうちうと音を立てて乳を飲み始める、赤子。 

 その様子を見たことで、どうやらミルキブルーナの母性が遅まきながらに生じたようで、その表情は一気に我が子を愛しむ母親のものへと変化した。

 ブリルーノがこれで一安心だと感じていると、侍女が『これ以上は奥様の乳房を見せません』とばかりにベッド脇から押し退かされてしまった。

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― 新着の感想 ―
政治的に混沌としてる家の中で無力な医者としては当主候補に寄りたいんだろうし何が出来るかとはいえ最後まで居てくれ
他の方の感想にもあるように、医者は手を出さなくとも万一の為に立会うのが仕事ではないかな。 一部始終を見届け、出てきた赤児の母子関係の証明をして、産後の健康状態の確認。 ルイ16世時代のフランス王家では…
医者はお産の為に居たんじゃないんかい。 最初の公爵家は、本当に当たりの家だったんだなぁ。
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