乂阿戦記7 第三章 沈黙の賢者シュリは母の記録を探す-6 姿を現す黒幕
シドラの拳が、炎を纏って燃え上がった。
「てめぇが……!」
サンジェルマンは、そんな殺気を向けられても笑顔を崩さない。
「怒らないでください。私はただ、死の向こう側にある可能性を研究しているだけですよ」
シュリは母の首飾りを強く握りしめた。
「あなたが……お母さまを……」
「いやいや」
サンジェルマンは肩をすくめる。
「私はシェラ君を殺してはいませんよ」
「では、何をしたのですか」
「彼女が死へ向かっていくことを――止めなかっただけです」
シュリの瞳が揺れた。
「……どういう意味ですか」
「シェラ君は、生まれながらに少々特殊な魂を持っていたのです」
サンジェルマンは楽しそうに続ける。
「ノルンのイ家に流れる血。そして、アカシックレコードの断片とも呼ぶべき特異な魂。彼女は昔から、生きているという実感が極端に薄かった」
「お母さまが……?」
「ええ」
サンジェルマンの笑みが僅かに薄くなる。
「ですが、風牙麓と出会ったことで愛を知った。そして、あなたを産んだことで母性を知った」
シュリは黙って聞いていた。
「それでも彼女の中には、消えない虚無があった。愛する者を失う恐怖と、愛する者を自分自身で傷つけてしまう恐怖。その二つの間で、シェラ君はずっと揺れていたのですよ」
「……」
「だから彼女は、自分から危険な戦場へ向かい続けた」
サンジェルマンは静かに言った。
「自分が誰かを傷つける前に、自分自身が消えてしまえばいい――そんな破滅願望に近いものを、彼女は抱えていたのかもしれませんね」
「黙れ」
シドラの声が低く響いた。
「はい?」
「グダグダ長ぇんだよ」
銀髪が炎のように逆立つ。
「叔母さんの人生を、てめぇが全部分かったように語るんじゃねぇ」
「おや。かなり重要な情報を親切心から――」
「時間稼ぎも見え見えだ」
サンジェルマンの笑みが僅かに止まった。
「十大将軍を舐めんな。てめぇを捕まえてから、ゆっくり吐かせりゃいい」
「ふふ」
サンジェルマンは嬉しそうに笑った。
「さすがは黄衣の使徒十大将軍。それなりに察しがいい」
「シドラさん、待て!」
オームが叫ぶ。
だが、すでに遅い。
「オラァァァ!!」
シドラが地面を蹴った。
炎拳がサンジェルマンの顔面へ迫る。
その瞬間。
パチン。
サンジェルマンが指を鳴らした。
ドゴォォォン!!
彼の背後で、巨大な棺が一斉に立ち上がった。
「なっ!?」
シドラが急停止する。
一つではない。
八つ。
黒い塔の奥に並べられた八つの棺が、低い音を響かせながら開いていく。
白。
緑。
赤。
黄緑。
黄金。
橙。
青。
そして――赤紫。
八色の魔力が、廃都ゴルドニクの空を染め上げた。
「……何、これ」
神羅の胸が激しく脈打つ。
オームも息を呑んだ。
「まさか……」
シュリの手の中で、母の首飾りが震え始める。
そして。
赤い棺から現れた女性を見た瞬間。
シュリの顔から血の気が引いた。
「……お母さま?」
赤い衣。
長い黒髪。
赤い魔力を纏い、虚ろな瞳で立つ女性。
イ・シェラ。
八年前に失ったはずの、シュリの母だった。
「嘘……」
シュリの膝が震える。
「シェラ叔母さん……!?」
シドラも言葉を失った。
だが。
棺から姿を現したのは、シェラだけではない。
白の棺からは、白髪の魔法女神――ミナ・アクター。
緑の棺からは、龍の気配を纏う女神――龍龍月。
黄緑の棺からは、どこか悲しげな美女――シュブニア・グレートヒェン。
黄金の棺からは、圧倒的な母性と神威を放つ女神――エキドナ・ガイア。
橙の棺からは、凛とした戦乙女――乂華音。
青の棺からは、海神の気配を纏う女――鮫島クティーラ。
そして。
最後に残った赤紫の棺。
蓋はすでに開いている。
だが、中に眠るものだけは動かなかった。
「……何なのだ、あれ……」
エドナの声が震える。
巨大な魔女の影。
美しいとも、恐ろしいとも言い切れない。
慈愛と破滅。
救済と終焉。
相反するものすべてが、一つの存在へ押し込められたような異形。
神羅は、その姿を見た瞬間――呼吸を忘れた。
「……ユキル?」
胸の奥から、知らないはずの記憶が溢れ出す。
懐かしい。
怖い。
そして。
自分自身を見ているような感覚。
サンジェルマンが、その場へ恭しく膝をついた。
「おお……」
恍惚とした表情で赤紫の棺を見上げる。
「我が女神」
「神羅!」
オームが彼女の前へ出る。
その時だった。
パチ。
パチ。
パチ。
霧の奥から、ゆっくりと拍手が響いた。
「紹介の仕方が下手だな、サンジェルマン」
「……!」
一同が振り返る。
黒い霧を割って、一人の男が歩いてくる。
黒い礼服。
青黒い肌。
腰まで届く長い黒髪。
美しい顔立ちをしているにもかかわらず、その笑みだけは底知れないほど歪んでいた。
ダークエルフの男。
シュリの首飾りが、激しく明滅する。
サンジェルマンが立ち上がり、男へ一礼した。
「これはこれは。随分と遅いご到着ですね」
「主役は遅れて現れるものだろう?」
男は笑った。
バベル社とバベル教徒を裏から操る存在。
十権者の一人にして、魔法少女を支配する力を持つ怪物。
ダリオス・バベルドール。
彼は棺の前まで歩み出ると、神羅たちをまるで品定めするように眺めた。
「なるほど」
視線がシュリを捉える。
「イ・シェラの娘」
次に神羅を見る。
「そして――女神ユキルの器」
神羅が杖を強く握る。
「あなたが……ダリオス?」
男は優雅に一礼した。
「初めまして」
口元の笑みが深くなる。
「愚かな英雄諸君」
その背後では、八つの棺から解き放たれた女たちが、ゆっくりと目を開き始めていた。




