乂阿戦記7 第三章 沈黙の賢者シュリは母の記録を探す-5 シェラ・コード
「我々バベル社とバエル教徒は――死を超越する」
黒衣のネクロマンサーが、芝居がかった仕草で両腕を広げた。
「魂は資源。記憶は燃料。そして悲しみは、扉を開く鍵となる」
その言葉を聞いたシュリの瞳が、冷たく細められた。
「……お母さまの研究を、そんなことに使ったのですか」
「沈黙の賢者イ・シェラか」
ネクロマンサーは愉快そうに笑う。
「惜しい女性でしたよ。魂の循環機構、アセンション・タワー、そして三聖塔との共鳴理論。彼女は真実へ近づきすぎた」
「おい」
シドラの表情から笑みが消えた。
「今、俺の叔母さんを侮辱したな?」
銀髪が炎のように逆立つ。
「ぶっ飛ばす」
次の瞬間、シドラが地面を蹴った。
爆音。
拳がネクロマンサーの顔面を真正面から撃ち抜く。
だが、その身体は黒い霧となって散り、別の亡者の背後で再び形を作った。
「無駄です。我々は死者を媒介として存在する。この冥界では、そう簡単には殺せません」
「だったら話は簡単だ!」
シドラが拳を構え直す。
「成仏できるように浄化の加護を乗せて、全部まとめて殴る!」
「発想が力技すぎるで!」
エドナが叫ぶ。
神羅はすでに杖を掲げていた。
「シドラさん、合わせます!」
桃色の光がシドラの両拳を包む。
「おっしゃあああ!!」
浄化の力を纏った拳が次々と亡者兵を吹き飛ばしていく。
オームも剣を抜いた。
「神羅、後衛を頼む!」
「うん!」
神羅の杖から柔らかな光が広がり、浄化結界が戦場を覆った。
亡者たちの動きが鈍る。
それでも敵は止まらない。
黒い霧の奥から、さらに無数の死者が姿を現した。
「数が多すぎるで……!」
エドナが結界を支えながら叫ぶ。
その時。
シュリの手の中で、母の首飾りが強く脈打った。
淡い緑色の光。
――そして。
『シュリ』
「……!」
聞こえた。
遠くから、自分を呼ぶ声が。
優しく。
懐かしく。
忘れたくても忘れられない声。
「……お母さま?」
首飾りが眩い光を放った。
次の瞬間、シュリの視界が変わる。
崩壊した廃都ゴルドニクの景色に、もう一つの光景が重なった。
机に向かう、一人の女性。
艶やかな黒髪。
赤い衣。
美男とも美女とも取れる、中性的で整った顔立ち。
イ・シェラ。
幼い娘へ向けて残された、母の記録だった。
『シュリ』
シェラが静かに語りかける。
『この記録を見ているということは、お前はきっと、私が守れなかった真実へ辿り着こうとしているのでしょう』
シュリの頬を涙が伝った。
「お母さま……」
『三聖塔は、単なる神の塔ではありません』
シェラの背後に、三本の巨大な塔の図面が浮かび上がる。
『世界の記録を保存する巨大な器――アカシックレコードへ接続するための装置です』
シュリが息を呑む。
『けれど、バベル教徒はそれを世界選別装置として使おうとしている』
「世界選別……?」
『一度世界を沈め、選ばれた者だけを新世界――〈ヘブン〉へ移す』
シェラの表情が悲しげに曇る。
『そのためには、膨大な魂のエネルギーが必要になる』
一拍。
『そして――女神ユキルの魂も』
「……え?」
シュリが振り返る。
神羅も、その言葉を聞いていた。
「私……?」
ネクロマンサーが笑う。
「その通り」
全員の視線が集まる。
「女神ユキルの魂は、三聖塔を完全制御するための中枢核とも呼ぶべき存在です」
オームの顔色が変わった。
「バベル教徒は神羅を狙っているのか」
「狙う?」
ネクロマンサーは心外そうに両腕を広げた。
「違いますよ」
薄く笑う。
「我々は女神を、お迎えに上がるのです」
その瞬間。
冥界の空が裂けた。
黒い塔の影が、さらに濃く浮かび上がる。
塔から伸びた無数の黒い鎖が、周囲の亡者たちへ突き刺さった。
『アアアアアアアッ!!』
死者たちの絶叫が響く。
魂が次々と塔へ吸い上げられていく。
「やめて!」
神羅が叫んだ。
だが、ネクロマンサーは笑ったままだった。
「死者に救いなど不要。彼らは燃料となり、選ばれし民の未来を開くのです」
「違います」
静かな声だった。
それでも、その場にいた全員が振り返った。
シュリだった。
涙を拭い、杖を両手で構えている。
「魂は、燃料ではありません」
首飾りから溢れる翡翠色の光が、シュリの身体を包み込む。
「記憶は、誰かが生きた証です」
足元に巨大な魔法陣が広がった。
母シェラの記録。
魂の循環術式。
そして、母が最後まで守ろうとしたもの。
そのすべてが、シュリの中で一つに繋がっていく。
「私は――沈黙の賢者、イ・シュリ」
その声が廃都へ響く。
「母イ・シェラの記録を継ぐ者」
翡翠色の光が爆発した。
「あなたたちに、死者の魂を好き勝手にはさせません!」
シュリが杖を振り下ろす。
「魂環解放――《シェラ・コード》!」
次の瞬間。
廃都ゴルドニク全域へ、翡翠色の光が走った。
バキィィィン!!
亡者たちを縛っていた黒い鎖が、次々と砕け散る。
「なっ……!?」
ネクロマンサーたちの身体が大きく揺らいだ。
「馬鹿な! 拘束術式が解除されていく!?」
シュリは静かに告げる。
「これは破壊する魔法ではありません」
亡者たちの表情から、苦痛が消えていく。
「還すための魔法です」
一人。
また一人。
死者たちが淡い光となり、冥界の空へ昇っていった。
『……ありがとう……』
誰かの声が聞こえた。
シュリは涙を流しながら微笑む。
「どうか……安らかに」
やがて、戦場に静けさが戻った。
その時だった。
パチ。
パチ。
パチ。
塔の奥から、重い拍手が響く。
「素晴らしい」
一人だけ消えずに残った黒衣の男が、ゆっくりと歩み出てきた。
顔を隠していたフードを外す。
薄い笑み。
芝居がかった仕草。
そして胸元には、十一人委員会を示す紋章。
オームが剣を構えた。
「……出たな」
神羅も杖を向ける。
男は気にする様子もなく、優雅に一礼した。
「実に素晴らしい才能です、イ・シュリ」
シュリの表情が強張る。
「亡きシェラ君も、君がこれほど立派に育って、さぞ鼻が高いでしょう」
「……お母さまを知っているのですか」
「ええ」
男は楽しげに微笑んだ。
「君のお母上とは、旧知の仲でしてね」
その瞬間。
シュリの手が強く杖を握った。
この男が。
死者を弄び。
舜烈を蘇らせ。
三聖塔の顕現へ手を貸している者。
男は胸へ手を添えた。
「改めてご挨拶を」
そして、恭しく頭を下げる。
「十一人委員会第七席」
顔を上げる。
「魔界七大魔王――“淫欲”を司る者」
薄い笑みが、さらに深くなる。
「サンジェルマンです」
シュリは母の首飾りを強く握った。
母の過去を知る男が――。
ついに、目の前へ現れた。




