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乂阿戦記7 第三章 沈黙の賢者シュリは母の記録を探す-7 八柱の母神


挿絵(By みてみん)


 オームが剣を構えた。


「お前が……バベル教団のボスか」


「ボス?」


 ダリオスは、くすりと笑った。


「違うな。私は支配者だ。会社も、教団も、信仰も、研究も――すべて私の退屈を紛らわせる道具にすぎない」


 神羅が杖を強く握る。


「この人たちを……死者を、何だと思ってるの?」


 ダリオスは不思議そうに首を傾げた。


「資源だが?」


 その一言で、空気が凍りついた。


 シュリの瞳に涙が浮かぶ。


「お母さまを……返してください」


「返す?」


 ダリオスは笑った。


「死者に所有権などない。力ある魂は、力ある者が使う。それが世界の真理だ」


「ふざけるなァァァ!!」


 シドラが飛び出した。


 炎を纏った拳がダリオスへ迫る。


 だが、その前へ黄金の女神が滑り込んだ。


 エキドナ・ガイア。


 彼女は片腕だけでシドラの拳を受け止める。


 ドゴォォォン!!


 凄まじい衝撃波が廃都を薙ぎ払った。


「ぐっ……!」


 シドラの身体が弾き飛ばされる。


 オームの顔が強張った。


「……母上?」


 黄金の女神は答えない。


 ただ虚ろな瞳で、息子を見下ろしている。


 ダリオスは愉快そうに笑った。


「素晴らしいだろう?」


 背後に並ぶ女神たちへ腕を広げる。


「八柱の母。一体一体が主神級に匹敵する魂を持ち、歴史の転換点に立った女たちだ」


 そして、赤紫の棺へ視線を向ける。


「もっとも、最後の一柱――コードネーム《ヘブン》だけはまだ動かない」


 神羅の背筋に冷たいものが走った。


 赤紫の棺。


 その中に眠る、巨大な魔女の影。


 救済と終焉を同時に感じさせる異形の存在。


「ヘブンを完全に起動するには、女神ユキルの魂が必要になる」


 ダリオスの視線が神羅を捉えた。


「つまり――君だよ、神羅」


 オームが即座に神羅の前へ立つ。


「触れさせるか」


 エドナも結界を展開した。


「神羅に手ぇ出したら、ただじゃ済まさんで」


 一方、シュリは震える手で杖を構えていた。


 目の前には母がいる。


 赤い衣。


 見慣れた黒髪。


 だが、その瞳に自我はない。


 母の姿をした、母ではない何か。


「私は……」


 シュリは涙を拭った。


「お母さまを、もう一度失いたくありません」


 その声に反応するように、イ・シェラがゆっくり杖を持ち上げた。


 母と娘。


 二本の杖が向かい合う。


 サンジェルマンが楽しそうに笑った。


「では、始めましょうか」


 ダリオスが両腕を広げる。


「八柱の母よ。愚かな子供たちに教えてやれ」


 八色の魔力が爆発した。


 冥界の空に、三聖塔の影がさらに濃く浮かび上がる。


 カチ。


 カチ。


 カチ。


 滅びの秒針が進んでいく。


 その時。


 神羅は赤紫の棺を見つめた。


「……?」


 眠っているはずの魔女の指が、僅かに動いた。


 そして。


 誰にも聞こえないほど小さな声が漏れる。


『……救って』


「……!」


 神羅の瞳が揺れた。


 次の瞬間。


 八柱の母の魔力が一斉に解放され、廃都ゴルドニクが崩壊を始めた。


 シュリも杖を掲げる。


「お母さま……!」


 翡翠色の光が迸った。


 対するイ・シェラも赤い魔法陣を展開する。


 激突。


 翡翠と赤の光がぶつかり合い、大地を引き裂いた。


「っ……!」


 シュリは歯を食いしばる。


 母の魔法。


 術式の癖。


 杖を動かすタイミング。


 記憶にないはずなのに、なぜか魂の奥では分かってしまう。


 その隣では、オームが黄金の女神へ斬りかかった。


「母上……!」


 エキドナ・ガイアは片手だけで、その剣を受け止める。


「たとえ母上の姿をしていても――今のあなたは、母上じゃない!」


 だが、力が違いすぎた。


 黄金の魔力が爆発し、オームの身体が地面へ叩きつけられる。


「がっ……!」


「オーム!」


 エドナが叫ぶ。


 神羅が回復魔法を飛ばそうとした、その背後。


 白き女神ミナ・アクターが迫っていた。


「神羅さん、後ろ!」


 シュリの叫び。


 神羅は咄嗟に結界を展開するが、白い魔力の刃がそれを一撃で砕いた。


「きゃあっ!」


 神羅の身体が瓦礫へ吹き飛ばされる。


 ダリオスは満足そうに笑っていた。


「実に美しい。子供たちが母を越えようと足掻く姿というものは」


「黙れ……!」


 オームが血を拭いながら立ち上がる。


 シドラも肩を押さえながら、苦笑した。


「……なるほどな」


 サンジェルマンが首を傾げる。


「何がです?」


「よく分かったってことだよ」


 シドラは八柱の母を睨んだ。


「今の俺たちだけじゃ、こいつらには勝てねぇ」


 シュリが息を呑む。


 オームも静かに頷いた。


「撤退する」


「オームくん?」


 神羅が驚いて振り返る。


「ここで全滅する意味はない」


 オームは剣を構えたまま告げた。


「敵の戦力。三聖塔の中枢。そして、神羅を狙う理由。必要な情報は確認できた」


 エドナが結界を張り直す。


「ここから先は斥候の仕事ちゃう。情報を持って帰る方が先や!」


 シュリだけは、動けなかった。


「でも……」


 目の前に母がいる。


「お母さまが……」


 シドラがシュリの肩を掴んだ。


「今は無理だ」


「シドラ兄様……」


「悔しいのは俺も同じだ。でも、ここで全滅したら誰がシェラ叔母さんを助ける?」


 シュリの拳が震える。


 涙が頬を伝った。


 それでも。


 やがて小さく頷いた。


「……分かりました」


「神羅!」


「うん!」


 神羅が杖を掲げる。


「女神結界――《花霞》!」


 桃色の光が廃都へ広がり、一瞬で視界を白く染めた。


 サンジェルマンが目を細める。


「撤退ですか。賢明ですね」


「逃がすと思うか?」


 ダリオスが指を鳴らす。


 八柱の母が一斉に動き出した。


 だが、その瞬間。


 シュリの首飾りが強烈な光を放った。


『シュリ』


「……!」


 聞こえた。


 母の声だった。


『今は逃げなさい』


「お母さま……?」


 イ・シェラの杖が、ほんの僅かに震えた。


 足元の拘束術式が一瞬だけ乱れる。


 オームは、その隙を見逃さなかった。


「今だ!」


「全員、飛ぶで!」


 エドナが転移結界を展開する。


 シドラが神羅を支え、オームがシュリの手を掴んだ。


 転移光が膨れ上がる。


 シュリは最後に振り返った。


 虚ろな瞳の母。


 それでも。


 ほんの一瞬だけ、その唇が動いた。


『――生きて』


「……っ!」


 光が爆ぜる。


 五人の姿が廃都ゴルドニクから消えた。


 残されたダリオスは、イ・シェラを冷たく見つめる。


「今、抵抗したな」


 返事はない。


 サンジェルマンだけが興味深そうに笑った。


「母性というものは厄介ですね。死してなお、術式へ干渉するとは」


「構わん」


 ダリオスは三聖塔を見上げる。


「次はない」


 そして薄く笑った。


「斥候は帰した。ならば次に来るのは本隊だ」


 カチ。


 カチ。


 カチ。


 滅びの秒針が進む。


 ⸻


 ゴルドニク外縁。


 崩れた礼拝堂へ転移した五人は、その場へ倒れ込んだ。


「みんな、大丈夫!?」


 神羅がすぐに回復魔法を展開する。


 シドラは悔しそうに地面を殴った。


「クソッ……! 叔母さんを目の前にして、逃げるしかねぇなんて……!」


 シュリも、母の首飾りを胸へ抱いて泣いていた。


「でも……」


 オームが顔を上げる。


「何だ?」


「聞こえました」


 シュリは涙を拭った。


「お母さまの声が」


 神羅の表情が変わる。


「じゃあ……」


「はい」


 シュリは強く頷いた。


「お母さまは、まだ完全には支配されていません」


 短い沈黙。


 オームが立ち上がった。


「それだけ分かれば十分だ」


 全員が彼を見る。


「敵の目的も戦力も分かった。シェラさんを助けられる可能性もある」


 シドラも立ち上がる。


「本隊を呼ぶか」


「ああ」


 神羅が静かに頷いた。


「雷音くんたちに伝えよう」


 シュリも立ち上がった。


 そして遠くに浮かぶ三聖塔を見つめる。


「必ず戻ります」


 母の首飾りを、強く握る。


「今度こそ――お母さまを取り戻します」


 撤退は、敗北ではない。


 反撃するための一手だった。


 沈黙の賢者シュリは母の声を胸に刻み、次なる戦いへ向けて歩き出した。




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