乂阿戦記7 第三章 沈黙の賢者シュリは母の記録を探す-3 シュリの決断
風牙麓は深く息を吐いた。
「それで、ルドラ」
「何だ」
「シュリを迎えに来た理由を聞かせてもらおう」
その言葉を境に、病室の空気が再び真剣なものへ変わった。
ルドラは一度だけ頷く。
「三聖塔が動き始めた」
神羅の表情が引き締まる。
「やっぱり……」
「アレが地球へ完全に顕現する前に止めなければならん」
オームが眉を寄せた。
「父上は、そこまで掴んでいるのですか?」
「はい、王子」
ルドラは丁寧に答える。
「ゴーム王陛下は、バベル社とレコキスタがヘルヘイムで何かを仕掛けていることを、すでに把握されています」
「三聖塔の目的も?」
「完全には」
ルドラは首を横へ振った。
「ですが、三聖塔の顕現が単なる世界災害では済まないことだけは確かです」
全員の視線が集まる。
「三聖塔が地球へ顕現すれば、アカシックレコードを巡って全宇宙規模の争奪戦が起こる」
ルドラの声が低くなる。
「そしてその戦いで地球が消滅すれば、エクリプスの呪いによって他の世界にも崩壊が連鎖する」
病室の空気が重くなった。
「今回、特に危険なのは――死者の魂とユグドラシルエネルギーの混線だ」
神羅が小さく呟く。
「魂の流れそのものが乱れる……」
「そうだ」
ルドラは神羅を見る。
「そして、女神ユキルの魂を受け継ぐお前も、この件に深く関わることになる」
神羅の肩が僅かに震えた。
「私が……」
「だが、今ここで重要なのは神羅だけではない」
ルドラの視線が、シュリへ移る。
「シュリ」
「はい」
「お前の母――シェラは、生前、三聖塔と魂の循環について調べていた」
シュリの目が大きくなる。
「お母さんが……?」
「ああ」
ルドラは静かに頷いた。
「家系に伝わる知識と、自身の研究を使ってな」
風牙麓の表情が変わる。
「まさか……」
「ああ」
ルドラは彼の言葉を待たずに続けた。
「シェラは、バエル教徒がなぜ魔女狩りを行ったのか、その本当の理由へ近づいていた」
ドルガが低く唸る。
「三聖塔。バベル教徒。魔女狩り……」
拳を握る。
「全部、繋がっておったか」
「そう考えるのが自然だ」
ルドラはシュリへ歩み寄った。
そして懐から、小さな首飾りを取り出す。
古びてはいるが、中央には淡い緑色の宝石が嵌め込まれていた。
「これは?」
シュリが息を呑む。
「シェラの遺品だ」
「……お母さんの?」
「ああ」
ルドラは、そっと彼女の手へ乗せた。
シュリが震える指で首飾りを包み込む。
すると――。
淡い緑色の光が、宝石の奥からゆっくりと灯った。
「光った……」
「その中には、シェラが遺した記録が封じられている」
シュリが顔を上げる。
「読めるのですか?」
「条件付きでな」
ルドラの目が細くなる。
「封印を開けられるのは、シェラの血を引く者だけだ」
風牙麓の顔が険しくなった。
「だから、シュリを迎えに来たのですか」
「そうだ」
ルドラは迷わず答える。
「シェラの遺した真実を開くには、この子が必要になる」
「ふざけるな」
風牙麓の声に怒りが宿った。
「娘を危険へ連れて行くつもりですか」
ルドラの目も鋭くなる。
「貴様にだけは言われたくない」
「何ですって」
再び空気に火花が散りかける。
だが。
「行きます」
二人の声を遮ったのはシュリだった。
「……シュリ?」
風牙麓が振り返る。
シュリは首飾りを胸へ抱き締めた。
「怖いです」
正直に言う。
「でも……お母さんが何を遺したのか、私は知りたい」
「それでも危険だ」
「分かっています」
シュリは父を真っ直ぐ見つめた。
「でも、雷音さんたちも、神羅さんたちも、みんな戦っています」
一歩、前へ出る。
「私だけが、何も知らないまま守られているのは嫌です」
「シュリ……」
「お母さんの娘だから」
首飾りの光が、僅かに強くなる。
「私は、自分で確かめたいです」
風牙麓は何も言えなかった。
ルドラは静かに目を閉じる。
ドルガは、そんな孫を見て誇らしげに頷いた。
「……シェラに似たな」
「くっ……!」
シドラが突然、目元を拭った。
「妹が立派すぎる……! 兄ちゃん一生守る!!」
「だから重いねん」
エドナが小さくツッコむ。
オームは神羅へ視線を向けた。
「どうしますか?」
神羅はシュリを見る。
そして、静かに頷いた。
「行こう」
「神羅さん……」
「三聖塔のことも、シェラさんの記録も、きっと全部繋がってる」
その時だった。
病室の窓の向こう。
冥界の空に浮かんでいた黒い塔の影が、さらに濃くなった。
カチ。
カチ。
カチ。
どこからともなく、時計の音が響く。
ルドラが窓の外を睨む。
「……滅びの秒針が進んでいる」
風牙麓は黙ってベッド脇へ手を伸ばした。
そこに立て掛けられていた剣を取る。
「私も行きます」
「病み上がりが何を言っている」
ルドラが即座に返した。
「娘が行くのに、父親だけ寝てはいられません」
「足手まといになるなよ、風牙麓」
「貴方こそ」
風牙麓は剣を腰へ差す。
「昔のように、私の背中を追いかけることにならないでください」
ルドラの眉が跳ねた。
「言ったな」
「言いましたが?」
「お父さん、ルドラ叔父様!」
シュリが慌てて割って入る。
「喧嘩は駄目です!」
ドルガが豪快に笑った。
「放っておけ、シュリ」
「おじいちゃん?」
「あの二人は昔からこうじゃ。少しくらい張り合っておる方が、むしろ調子がいい」
「そういうものなのですか……?」
「男なんぞ、だいたいそんなものじゃ」
「雑やな……」
エドナがぼそっと呟いた。
シドラも拳を鳴らす。
「よし! シュリ、兄ちゃんが露払いしてやる!」
「ありがとうございます、シドラ兄様」
「ぐはっ! 素直な妹が可愛い!!」
「もう放っとこ」
エドナが肩をすくめた。
オームは眼鏡を押し上げる。
「ですが、これで必要な戦力は揃いました」
神羅は窓の外に浮かぶ黒い塔を見つめた。
胸の奥では、女神ユキルとして生きた記憶がざわめいている。
三聖塔。
アカシックレコード。
シェラが遺した記録。
バベル教徒による魔女狩りの真相。
それらすべてが、冥界の霧の向こうで一本の線へ繋がろうとしていた。
「行こう」
神羅が静かに告げる。
今度は誰も迷わなかった。
病室を出るため、全員が動き始める。
その中心で。
シュリは母の首飾りを胸へ抱き締めた。
淡い緑色の光が、窓の向こうに浮かぶ三聖塔の影へ呼応するように脈打っている。
まるで。
八年前に失った母が――。
今も娘を、どこか遠い場所から導いているかのように。




