乂阿戦記7 第二章 灰燼の覇王と不滅の将軍-9 羅漢の葛藤
「す、すまん……」
舜烈が気まずそうに頬を掻いた。
「なんかパッパ、息子にひどいこと言っちゃったみたいじゃな」
「めっちゃ傷つきましたぞ、父者ぁぁぁ!!」
阿烈が本気で泣きそうな顔になる。
その横で阿門が即座に突っ込んだ。
「いや親父、人相が極悪人なのは事実じゃん」
「阿門まで言うなぁぁぁ!!」
再び笑いが起きる。
だが。
その中で一人だけ、羅漢は笑っていなかった。
その場から動かず、阿烈を見つめたまま静かに口を開く。
「……なぜです?」
阿烈の表情が変わった。
「何がだ、羅漢」
「なぜ――」
羅漢の声は静かだった。
だが、その奥には明確な怒りがある。
「なぜ周囲すべてを欺き、乂舜烈と楚項烈が敵同士として戦争をする必要があったのですか?」
笑い声が消えた。
阿烈はしばらく羅漢を見つめた後、低く答えた。
「アシュレイ族の内乱を終わらせるためだ」
「アシュレイ族……」
その言葉に反応したのは舜烈だった。
「……トグリル」
額を押さえる。
「ゴブディ……リーン……」
「舜烈さん?」
鳳月が心配そうに顔を覗き込む。
舜烈は目を閉じたまま、途切れていた記憶を拾うように呟いた。
「そうじゃ……思い出してきた」
燃える戦場。
ダークエルフたちの軍旗。
互いに刃を向け合う同族。
「表向きは、アシュレイ族内部の族長争いじゃった」
「ああ」
阿烈が頷く。
「だが、本当は違った」
羅漢が眉を寄せる。
「どう違ったのです?」
「ゴブディ・アシュレイ殿は、トグリル王と本気で争うつもりなどなかった」
阿烈は淡々と答える。
「問題は、その周囲にいた純潔至上主義派とバベル教徒たちだった」
「純潔至上主義派?」
雷音が首を傾げる。
「何だそれ?」
「ダークエルフこそが最も優れた種族であり、その血統は純粋であるべきだと考えていた一派だ」
阿烈の声が低くなる。
「彼らは、アルビノのダークエルフであるリーン・アシュレイを受け入れられなかった」
「肌が白いから?」
「ああ」
雷音が信じられないという顔をする。
「そんな理由で?」
ミリルが横から補足した。
「今では考えられないけど、昔の一部ダークエルフ社会では、肌が黒くない子供は一族の異端として間引かれることさえあったのだ」
「マジかよ……」
「リーンお兄ちゃんが生まれてから、その価値観は大きく変わったのだ」
阿烈は少しだけ目を伏せた。
「だが、リーン・アシュレイは単に珍しいだけの子供ではなかった」
「……神子だったから?」
雷華が尋ねる。
「ああ」
阿烈はそれ以上詳しく語らず、舜烈が続きを引き取った。
「ゴブディ殿も気づいておった。リーンという子は、いずれアシュレイ族どころか世界の均衡そのものへ影響を与えかねぬ存在だとな」
「だから戦争を?」
獅鳳が問う。
「違う」
阿烈が首を横へ振った。
「戦争を起こしたのは純潔派だ」
一呼吸置く。
「奴らはダークエルフ以外のスラル種族を下等と見なし、最終的にはスラル全体を自分たちが支配する世界へ作り替えようとしていた」
「それをバベル教徒が裏から煽っていた?」
羅漢の問いに、阿烈が頷く。
「そうだ。特に奴らは異常なほどリーン・アシュレイを排除したがっていた」
冥界の空気が重くなる。
「そこでトグリル王、ゴブディ殿、舜烈父上、黄衣の使徒を束ねるゴーム王、そしてワシの五人で示し合わせた」
「何を?」
「戦争そのものを利用する」
雷音たちの表情が変わる。
「ワシは楚項烈としてゴブディ側へ入り、反トグリル派の勢力を一ヶ所へ集めた」
「……囮ですか」
羅漢が気づく。
「ああ」
「敵味方を一度、明確に分けるために」
「そうだ」
阿烈は頷いた。
「純潔至上主義派と、それを操るバベル教徒を表舞台へ引きずり出し、一網打尽にする。そのために戦争という形が必要だった」
羅漢の拳が小さく震えた。
「では……」
声が掠れる。
「あの戦場で、楚項烈が死んだというのは……」
阿烈は目を伏せた。
「偽装死だ」
「…………」
「ワシは楚項烈として死んだことにした。そして、お前と神羅を舜烈父上の庇護へ移した」
羅漢が顔を上げる。
「なぜです」
「羅漢」
「なぜ、私たちを置いていったのですか」
その問いに。
阿烈は、すぐには答えられなかった。
代わりに鳳月が静かに口を開く。
「羅漢ちゃん」
羅漢が振り返る。
鳳月は優しく、しかし少し悲しそうに微笑んでいた。
「阿烈ちゃんはね」
ゆっくりと言う。
「あなたたちを守るために――父親でいることを諦めたのです」
羅漢の瞳が揺れた。
「……守るため?」
阿烈が拳を握りしめた。
「楚項烈は主神級戦力だった」
その声は重い。
「だから純潔派やバベル教徒は、ワシ本人を倒せぬなら子供を狙う」
「人質……」
「ああ」
阿烈は羅漢を見る。
「お前たちは、楚項烈を脅迫するための格好の人質だった」
羅漢は何も言わない。
「だから楚項烈は死ななければならなかった」
静かに続ける。
「そして、その子供たちは楚項烈の子ではなく、乂舜烈の庇護下にある養子として扱われる必要があった」
羅漢の唇が震える。
「では……私の本当の母は?」
阿烈は静かに答えた。
「鳳月母上だ」
「……」
「ワシはお前の育て親だ。お前の実の両親は――乂舜烈と乂鳳月」
羅漢がゆっくりと鳳月を見る。
鳳月は何も言わず、ただ優しく頷いた。
阿烈はさらに続ける。
「そして神羅と羅刹。この二人こそが――」
一度、息を置く。
「ワシと、エルフの女王プリズナ・ヴァルキリードの娘だ」
再び沈黙が落ちた。
雷音ですら、今度はすぐに騒がなかった。
羅漢は長い間、何も言わなかった。
やがて。
一歩。
また一歩。
ゆっくりと阿烈へ歩み寄っていく。
「……私は」
その声は震えていた。
「私は、ずっと父を二度失ったと思っていました」
阿烈は黙って聞く。
「楚項烈を失った」
羅漢の拳が震える。
「その後、舜烈父上も失った」
目を伏せる。
「だから私は強くならなければならないと思った」
「羅漢……」
「誰にも縋らず。誰にも頼らず。もう二度と、守るべき者を失わないように」
そして阿烈の前で足を止めた。
「なのに……」
顔を上げる。
「あなたは、生きていた」
阿烈は静かに頭を下げた。
「……すまなかった」
羅漢は唇を噛んだ。
怒り。
悲しみ。
安堵。
混乱。
それまで押し込めてきた感情が、すべて一度に込み上げてくる。
「……ずるいです」
「ああ」
「謝れば許されると思っているのですか」
「思ってはおらん」
阿烈は顔を上げた。
「だが、あれは大義のために必要な選択だった」
羅漢の目つきが変わる。
「大義?」
「部族を背負う者には、時に家族より優先しなければならぬものがある」
阿烈の声は厳しかった。
「それが長としての宿業だ」
「……」
「飲み込め、羅漢」
その瞬間。
「ふざけるな!!」
羅漢が阿烈の襟を掴んだ。
「私は!」
拳が震える。
「あなたのせいで、どれだけの思いをしてきたと……!」
阿烈は抵抗しない。
「楚項烈――あなたの仇を討つために!」
羅漢の声が初めて大きくなる。
「乂阿烈――あなたへ挑むために!」
さらに胸倉を引き寄せる。
「どれだけ拳を磨いてきたと思っているのですか!!」
阿烈はしばらく黙っていた。
そして。
「それについては――詫びる気はない」
「……何?」
羅漢の顔が引きつる。
阿烈の口元に、僅かな笑みが浮かんだ。
「むしろ褒め称える」
「は?」
「羅漢よ!」
阿烈の声が一気に大きくなる。
「我が最高傑作よ!!」
「……!」
「よくぞ、ここまでの武人に育った!!」
「あ、あなたという人は……!」
羅漢の怒りが、さらに爆発しかけた――その時だった。
「いやぁ!」
場違いなほど明るい声が響いた。
「家族ドラマが盛り上がっているところ、大変申し訳ないのですが!」
「……?」
一同が一斉に振り返る。
いつの間にか。
本当にいつの間にか。
雷音のすぐ隣に、一人の男が立っていた。
黒紫色の法衣。
柔和な笑顔。
そして、人を食ったような目。
「!!」
雷音が飛び退く。
「てめぇ……!」
アスラ・イシヅカは、にっこりと微笑んだ。
「お話の途中、失礼いたします」




