乂阿戦記7 第二章 灰燼の覇王と不滅の将軍-8 鉄仮面"楚項烈"の正体
羅漢が、鉄仮面を被った楚項烈の姿を見た瞬間だった。
その端正な顔が、目に見えて凍りついた。
「……ち、父上?」
声が震える。
羅漢の視線が、鉄仮面の阿烈と舜烈の間を何度も行き来した。
「……まさか」
阿門が眉をひそめる。
「ん? 羅漢が固まったぞ」
「どうしたんだ、羅漢兄?」
雷音が駆け寄る。
羅漢は答えず、震える指で阿烈の鉄仮面を指差した。
「その姿……」
「……?」
「楚項烈は――かつて戦場で私を育てた父上だ」
「え?」
雷音が間の抜けた声を漏らした。
舜烈も目を見開く。
「何……?」
そして突然、頭を押さえた。
「待て……そうじゃ」
黒い霧の奥へ沈んでいた記憶が、ほんの少しだけ浮かび上がってくる。
燃え盛る戦場。
黒き森。
ダークエルフたちの軍旗。
そして、自分の前に立つ鉄仮面の男。
――楚項烈。
「兄弟……」
舜烈が呟いた。
その瞬間、阿烈の肩が大きく震える。
「父……いや」
阿烈は声を詰まらせた。
「義兄者。思い出されたのですか?」
「待て。待て待て待て」
舜烈は片手を上げた。
「ワシは今、猛烈に混乱しておる」
「それはこちらも同じです」
羅漢が低く答えた。
その目は、仮面姿の阿烈から離れない。
「楚項烈」
羅漢は一歩前へ出た。
「私を育てた父上。戦場で死んだはずの父上」
息を呑む。
「なぜ、阿烈大兄がその仮面を?」
誰も答えない。
羅漢の声がさらに低くなった。
「ずっと引っかかっていたことがあります」
「羅漢……」
「私を育てた楚項烈。その正体が――」
羅漢は阿烈を真っ直ぐ見た。
「阿烈大兄だったというのですか?」
雷音たちの視線が、一斉に阿烈へ集まった。
「え?」
雷華がぽかんと口を開く。
「じゃあ……羅漢兄と、神羅ちゃんたちは……?」
その横で阿門が額へ手を当てた。
「さては親父〜〜」
「なんじゃ」
「羅刹には話したけど、羅漢には黙ってたな?」
「…………」
阿烈はしばらく沈黙した。
そして観念したように、ゆっくりと鉄仮面へ手を掛ける。
「……すまぬ」
仮面を外す。
「皆に、今まで隠していたことがある」
場の空気が重くなった。
阿烈は真剣な顔で告げる。
「本当はワシ――」
全員が息を呑む。
「十六歳ではないのだ」
「「「それは知ってた」」」
即答だった。
「え゛?」
今度は阿烈が固まった。
雷音が真顔で言う。
「いや兄貴、その面相で十六歳は無理があるだろ」
雷華も頷く。
「十六歳でその顔面圧と威圧感は無理よ。どう見ても何十年か修行してる人の顔だもの」
「年齢詐称にしても設定が雑なのだ」
ミリルまで腕を組んで頷いた。
阿門は笑いを堪えながら父親の肩を叩く。
「親父〜、そこじゃねぇ」
「む?」
「問題は年齢じゃねぇんだよ」
「……そうか」
阿烈は気まずそうに咳払いした。
そして改めて羅漢へ向き直る。
「羅漢」
「はい」
「お前は、楚項烈の息子として育てられた」
「……はい」
「だが楚項烈とは、ワシがかつて名乗っていた仮の姿だ」
羅漢の瞳が揺れる。
「では……」
「ああ」
阿烈は静かに頷いた。
「お前を育てた楚項烈は、ワシだ」
沈黙。
「そしてもう一つ」
阿烈が続ける。
「羅刹と神羅は――実はワシの娘だ」
「…………」
冥界の風が止まった。
雷音が数秒遅れて反応する。
「え」
もう一度。
「ええええええええええええええええええ!?」
絶叫が冥界中へ響き渡った。
「羅刹姉と神羅姉ちゃんが、阿烈兄貴の娘ぇぇぇぇ!?」
雷華も固まっていた。
「ちょっと待って。じゃあ羅刹姉様って、私たちから見たら……」
「家系図が爆発してるのだ!」
ミリルが頭を抱える。
阿門は腹を抱えて笑った。
「親父〜、隠し子多すぎだろ〜」
「隠し子ではない! 事情があったのだ!」
「世間ではそれを隠し子って言うんだよ!」
「ぐっ……!」
阿烈は反論できなかった。
羅漢だけは笑っていない。
「……説明してください」
「ああ」
阿烈の表情が真剣になる。
「神羅が生まれて間もない頃の話だ」
静かに続ける。
「世界最強魔女の生まれ変わりである羅刹を、舜烈父上のもとで育ててもらう必要があった」
舜烈が眉をひそめる。
「羅刹を……ワシが?」
「はい」
「何故じゃ?」
「事情は複雑ですが、その時に交換条件として、父者の次男だった羅漢をワシが引き取ることになったのです」
羅漢の顔が強張る。
「……私が?」
「ああ」
阿烈は頷いた。
「お前はワシの息子として、楚項烈のもとで育てられることになった」
阿門が腕を組む。
「つまり羅漢は本来、親父の弟……つまりオレの叔父ってことか?」
「血縁上はそうなる」
「でも今さら叔父上とか呼ぶのも変だなぁ」
阿門は少し考え。
「まあ、今まで通り羅漢でいいか」
「納得が雑すぎる!」
雷華が叫んだ。
一方。
舜烈はまだ納得していなかった。
「待て」
「父者?」
「羅刹と神羅が楚項烈の娘ではなく、お前の娘というところまでは分かった」
「はい」
「だが、辻褄が合わぬ」
舜烈が阿烈を指差す。
「ワシが鳳月と共に幼い阿烈を育てていた頃――楚項烈も、同じ場所にいた時期があったはずじゃ」
阿烈が黙る。
舜烈は続けた。
「幼い阿烈と、大人の楚項烈」
眉を寄せる。
「どうして同じ人間が、同じ時代に二人存在しておった?」
「あら」
鳳月が舜烈の肩へそっと手を置いた。
「アナタ、随分思い出してきましたね」
「む……」
舜烈自身も驚いたように額へ手を当てる。
阿烈は小さく息を吐いた。
「そこまで思い出されたなら、話してしまいましょう」
全員が阿烈を見る。
「当時、同じ時代には――二人の乂阿烈が存在していました」
「二人?」
雷音が目を丸くする。
「ああ」
阿烈は自分の胸へ手を置く。
「一人は、本来の時間軸を生きていた幼い乂阿烈」
そして鉄仮面を持ち上げる。
「もう一人は、ラグナロク時代から長い時間旅行を繰り返し、円熟した武仙となった未来の乂阿烈――楚項烈」
「……つまり」
羅漢が理解したように呟く。
「大兄は未来から過去へ戻り、自分自身が幼かった時代に楚項烈として存在していた?」
「その通りだ」
雷音の顔が引きつる。
「うちの家系図だけじゃなく、時間軸まで爆発し始めたぞ」
「もう理解するの諦めた方がいいのだ」
ミリルが真顔で答えた。
阿烈は構わず続ける。
「本来の時間軸を生きる幼いワシは、やがて黒の女神ルキユの信託を受け、ラグナロク時代へ跳ばされる」
「そして?」
「そこで時間旅行を繰り返し、最終的に楚項烈となった」
舜烈がゆっくり頷く。
「つまり因果が一周するまで、お前は自分の正体を隠す必要があったということか」
「その通りです」
「……なるほど」
舜烈は額を押さえた。
「ややこしい」
「ワシもそう思います」
「お前が言うな!」
雷音が思わずツッコんだ。
阿烈は咳払いして続ける。
「そして楚項烈という存在には、もう一つ問題があった」
「何です?」
羅漢が尋ねる。
「後継者だ」
阿烈は羅漢を見る。
「楚一族には、男だけが族長になれるという古いしきたりがあった」
「……はい」
「表向き楚項烈が戦死した後も、楚一族そのものは存続させなければならなかった。だから、ワシには男の後継者が必要だったのだ」
阿門が眉を上げる。
「じゃあオレじゃダメだったのか?」
「無理だった」
「即答かよ」
「お前は妖魔皇帝とエクリプスの後継者でもある」
阿烈は真面目に答える。
「楚一族には、妖魔皇帝ズーイへ今も根深い恨みを持つ者が多い。お前を楚一族の長へ据えれば、最悪の場合は内乱になる」
「なるほどねぇ」
「そこで――羅漢を引き取った」
阿烈は羅漢へ目を向ける。
「お前を楚項烈の後継者として育て、ワシが表向き戦死した後、楚一族ごと乂族へ組み込ませるためにな」
羅漢は何も言わない。
ただ、自分を育てた男の顔を静かに見つめている。
舜烈はその説明を聞きながら、何かを思い出した。
「……ああ!」
「父者?」
「思い出したぞ!」
舜烈が拳を掌へ打ちつける。
「その壮大かつ大胆なマッチポンプ案!」
「言い方!」
雷音が叫ぶ。
「鳳月の父君――大参謀、龍道龍殿が考えた策じゃった!」
鳳月が嬉しそうに頷いた。
「そうでしたねぇ」
「そしてワシも、それに協力した!」
「はい」
舜烈は阿烈を見た。
次に羅漢。
もう一度、阿烈。
「……つまり」
頭の中で整理する。
「ワシは、自分の長男である阿烈の娘――羅刹を養女として育てた」
「はい」
「そして、その交換条件として自分の次男である羅漢を、長男阿烈へ渡した」
「そうです」
「その長男阿烈は未来から過去へ戻り、楚項烈と名乗って羅漢を育てた」
「その通りです」
「…………」
舜烈は黙り込んだ。
「ややこしすぎんか?」
「ワシもそう思います」
「だからお前が言うなって!」
雷音のツッコミが再び響いた。
しかし。
舜烈はそこで、ふと動きを止める。
「待てよ」
「どうされました?」
阿烈を見る。
「ということは……」
少しずつ顔が引きつっていく。
「ワシは、そんな面倒な時間旅行と一族の後継問題と子供たちの将来に気を揉んでいた実の息子を……」
「…………」
「さっきまで犯罪者顔の赤の他人扱いしていたのか?」
阿烈は静かに頷いた。
「はい」
「…………」
舜烈は、すっと目を逸らした。
「父者?」
「…………」
「父者、こちらを見てくだされ」
「今日は冥界の空が綺麗じゃのう」
「父者ぁぁぁぁぁ!!」
阿烈の悲痛な叫びが、冥界の空へ響き渡った。




