乂阿戦記7 第二章 灰燼の覇王と不滅の将軍-5 いざ不滅将軍の居城へ!
黒衣を風になびかせ、長い黒髪を揺らしながら、羅漢は無表情のまま拳についた霧を払った。
「くだらん幻術だ」
砕け散ったチョドゥルの幻影を一瞥する。
「本物のチョドゥル老師なら、あの程度の攻撃など難なく受け流し、そのままカウンターを返していた」
「羅漢兄!!」
雷音の声に、羅漢は僅かに振り返った。
「遅れた。だが、間に合ったようだな」
それだけ言うと、再び空中のクズルーンへ視線を向ける。
「我が弟妹の心を弄んだな」
声は静かだった。
あまりにも静かだった。
だが、雷音たちは知っている。
羅漢は、本当に怒った時ほど声を荒らげない。
むしろ静かになる。
クズルーンの笑みが、僅かに引きつった。
「へえ……本物の兄上様が登場ってわけ?」
「逃げるなら今だ」
羅漢が一歩前へ出る。
「三秒だけ待ってやる」
「優しいのね」
「違う」
羅漢の周囲に、黒い闘気がゆっくりと渦巻き始めた。
「三秒後には――逃げ道ごと潰す」
クズルーンの笑みが消えた。
次の瞬間。
羅漢の姿が消失する。
「――一秒」
黒い閃光が走った。
「なっ――!?」
クズルーンが反応するより早く、その死霊の翼が斬り裂かれる。
「二秒」
直後、羅漢の拳が腹部へ深々とめり込んだ。
「ぐっ……!」
クズルーンの身体が弾丸のように吹き飛び、霧で形成された壁へ叩きつけられる。
そして。
「三秒」
羅漢は振り返ることなく、片手を虚空へ突き出した。
掌底。
ただそれだけだった。
だが――。
バキィィィン!!
空間そのものへ巨大な亀裂が走った。
「えっ!?」
雷音が目を見開く。
クズルーンが作り出した幻影世界が、鏡のように次々と砕け散っていく。
死者の霧が晴れ、一気に視界が開けた。
その先に姿を現したのは、冥界の黒い山脈だった。
そして、その中央。
暗い空を背に、古びた巨大城塞がそびえ立っている。
――《不滅将軍の居城》。
雷音が息を呑んだ。
「……なんだ、あの城?」
羅漢が答える。
「母上を連れ去った不届き者がいる城だ」
「……あそこに母ちゃんが?」
「ああ」
羅漢は静かに頷いた。
「鳳月母上、紅阿、阿乱、熾音。全員あの城にいる」
「だったら急ぐぞ!」
雷音が即座にマシンへ戻ろうとする。
「待て」
羅漢の声が飛んだ。
「敵は、ただの誘拐犯ではない」
「え?」
「城の主は、冥界で復活した拳法家だ」
羅漢が黒い城を睨む。
「亡霊どもからは《不滅の将軍》と呼ばれている」
「強いの?」
雷華が尋ねる。
「ああ」
羅漢の表情が僅かに険しくなる。
「それだけではない。あの男の気配……どうにも妙なのだ」
「妙?」
「懐かしい」
雷音たちが黙る。
羅漢はさらに目を細めた。
「まるで我らと同じ血が流れているような感覚がある。それに――」
遠くの城から漏れ出す闘気を感じ取り、羅漢の声が低くなる。
「圧が尋常ではない」
「どれくらいだ?」
「阿烈兄上と同格……下手をすれば、それ以上だ」
「…………」
一同が固まった。
雷音だけが、いまいち理解していない顔で首を傾げる。
「つまり?」
獅鳳の顔色が変わった。
「ちょっと待て」
「何だよ?」
「つまり、阿烈さんが本気で戦う可能性があるってことだよな?」
「だから?」
「だからじゃねぇ!」
獅鳳が叫ぶ。
「以前のカオスクトゥルー戦みたいな、主神級同士の本気のぶつかり合いになるかもしれねぇってことだ!」
ミリルの顔が青ざめる。
「世界が壊れる系のやつなのだ……?」
「ああ」
「嫌な予感しかしないのだ」
その時だった。
遠く離れた黒い城から、凄まじい轟音が響いた。
ドゴォォォォォン!!
冥界の空が真紅に染まる。
続いて、山脈すら震わせる怒号が響いてきた。
『母者を返せえええええええええ!!』
「……」
雷音たちが固まる。
直後。
別の男の声が返ってきた。
『ワシに文句があるなら、かかってこいやあああああ!!』
「…………」
雷音の額に冷や汗が浮かんだ。
「なあ」
「何よ」
「もう始まってね?」
羅漢が無言で額を押さえた。
「阿烈兄上……先走ったか」
「それ一番ダメなやつじゃないの!?」
雷華が叫ぶ。
獅鳳は即座にマシンの出力を上げた。
「急げ! このままじゃ冥界全土に乂一族の悪名が轟くぞ!」
「もう十分轟いてるのだ!!」
ミリルの悲鳴が響く。
雷音はハンドルを握ると、勢いよくアクセルを踏み込んだ。
「よっしゃあああ!!」
「何が『よっしゃ』なのよ!」
「喧嘩を止めに行くぞおおおお!!」
「規模が喧嘩じゃないのよおおおお!!」
雷華のツッコミと共に、マシンが一気に加速した。
黒い城。
不滅将軍の居城。
そして、すでに始まりかけている覇王同士の激突へ向かって、雷音たちは冥界の荒野を爆走していった。
⸻
その遥か上空。
傷ついたクズルーンが、死者の霧に身を隠しながら彼らを見下ろしていた。
「……なるほどね」
裂かれた翼を再生させながら、口元の血を拭う。
「乂一族。想像してたよりずっと面倒臭いわ」
そして、ふっと笑った。
「でも……傍から見てる分には最高に面白い家族ね」
羅漢が消えていった方向へ目を向ける。
「それにしても乂羅漢……あの男、めちゃくちゃ強いじゃない」
その背後に、紫色の通信魔法陣が展開された。
《状況は?》
アスラの声。
クズルーンは楽しそうに答えた。
「予定以上よ」
《ほう?》
「阿烈と不滅将軍は、もう衝突寸前。雷音たちも城へ向かった。おまけに羅漢まで合流したわ」
《なるほど》
アスラの声に喜色が混じる。
《実に素晴らしい》
「でしょ?」
《では、そのまま彼らを城へ誘導してください》
「言われなくても」
クズルーンは黒い翼を大きく広げた。
遥か彼方では、阿烈と不滅将軍の闘気が再び激突し、冥界の雲を吹き飛ばしている。
「さあ――」
クズルーンは艶やかに笑った。
「冥界最大の親子喧嘩、開幕ね」




