乂阿戦記7 第二章 灰燼の覇王と不滅の将軍-4 偽物の幻影
同時期――雷音たち。
雷音たちは相変わらず、キャノンボールマシンをフルスピードで走らせながら、冥界コースを爆走していた。
「うおおおおおお!! ヘルヘイム到着したァァァ!!」
雷音の雄叫びが車内へ響き渡る。
当然ながら、車内は絶賛混沌状態だった。
「兄よ! お願いだから、コースから外れるくらいなら減速して! 減速!!」
「減速すんなって言ってるのお前だろ、雷華! あとで再加速する時に泣きを見るぞ!!」
「言ってない!! 全速力推奨の看板なんて最初の一ページだけでしょうがぁぁぁ!!」
後部座席では、ミリルが地図を広げながら残念そうに首を振っていた。
「むぅ……せっかくの冥界ステージなのだ。本来なら遺跡探訪とか、冥界観光とか、いろいろ楽しめるはずなのに……」
獅鳳がミラー越しに呆れた視線を向ける。
「今そんな余裕があると思うか?」
「安心しろ、ミリル!」
雷音はアクセルを踏み込んだまま胸を張った。
「地獄巡りなら俺がエスコートしてやる! まずは黒炎コース! 次に進化版アイスストーム地獄! 最後はデストロイヤー峡谷だ!!」
「それエスコートじゃなくて拷問場への連行なのだ!!」
その瞬間、前方を死霊馬車が横切った。
「邪魔!」
雷華の剣が閃く。
後輪を切断された死霊馬車は派手に横転し、そのまま霊体となって霧へ溶けていった。
「……兄よ。これ、もしかして全部エネミーじゃない?」
雷音はサイドミラーを確認しながら苦笑する。
「おいおい。今回のレース、観光案内の人魂もガイド役も一人もいねぇじゃねぇか」
そのまま豪快にハンドルを切った。
「ガイダンスキャラはどこだよ!」
だが、そんな騒がしさも長くは続かなかった。
ヘルヘイムへ深く踏み込むにつれ、周囲を漂っていた死者の霧が急激に濃くなっていく。
白灰色の霧が視界を覆い尽くし、やがて、その奥から誰かの声が聞こえてきた。
優しく――そして、どこか残酷な声。
「――雷音」
「……え?」
雷音の手が、ハンドルの上で止まった。
霧の中に、人影が立っている。
そこにいるはずのない、姉の姿だった。
「兄よ?」
雷華が異変に気づく。
「どうしたの?」
「……羅刹姉……?」
雷音の視線は前方へ釘付けになっていた。
霧の向こうに立っていたのは、白い衣装を纏い、長い銀髪を風になびかせる一人の女性。
その姿は紛れもなく――乂羅刹だった。
「雷音!」
さらに別の声が響いた。
「大変だ。母上が誘拐された!」
黒い霧を裂いて、もう一人の男が姿を現す。
黒衣に身を包み、黒い長髪をなびかせた、端正な顔立ちの美丈夫。
雷音たちの兄――乂羅漢だった。
「阿烈大兄と阿門兄上は、すでに誘拐犯のもとへ向かっている。我らも助太刀に行くぞ!」
「羅漢兄!?」
雷音が目を見開く。
しかし――。
「待て、兄よ」
雷華が即座に剣を構えた。
「おかしい」
「何がだよ! 羅漢兄が母ちゃん誘拐されたって――」
「羅刹姉様よ」
「……え?」
雷華は霧の向こうに佇む銀髪の女を睨みつけた。
「母上が誘拐されたのに、羅刹姉様が黙って立っているだけなのは変よ」
その一言で、雷音も気づいた。
本物の羅刹なら、母が攫われたと聞いて、あんな穏やかな顔で立っているはずがない。
下手をすれば、とっくに冥界そのものを焼き払っている。
「……誰だ」
雷音の声が低くなる。
霧の中の羅漢が、ゆっくりと微笑んだ。
「どうした雷音。兄の顔を忘れたのか?」
「羅漢兄はな」
雷音の拳に、紅蓮の炎が宿る。
「そんな気色悪い笑い方しねぇんだよ!」
次の瞬間、紅蓮の炎が爆ぜた。
「オラァッ!!」
雷音の拳が幻影の羅漢を貫く。
バギィィィン!!
鏡が砕けるような音と共に羅漢の姿が大きく歪み、そのまま黒い霧へと崩れ落ちた。
同時に、銀髪の羅刹も溶けるように消えていく。
「幻影なのだ!」
ミリルがコンパクトを操作しながら叫ぶ。
「しかもヘルヘイム本来の死霊術じゃない! 外部から精神へ干渉してるのだ!」
獅鳳が舌打ちした。
「アスラの仕込みか」
「正解よ」
頭上から女の声が降ってきた。
霧が裂ける。
その向こうから現れたのは、黒い戦鎧を纏い、死霊の翼を広げて空中に浮かぶ女――クズルーン。
「ようこそ、勇者御一行様」
クズルーンは艶やかに微笑んだ。
「冥界ヘルヘイム名物――心を折る亡霊ツアーへ」
雷華が剣先を向ける。
「悪趣味ね」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
クズルーンが指を鳴らした。
すると、周囲の霧から次々と人影が現れる。
かつてスラルで、巨竜王アング率いるタイラント族との戦争において、雷音たちを守るために命を落とした乂族の兵士たち。
もう二度と会えないはずの者たち。
守れなかった者。助けられなかった者。
今もなお心の奥底に罪悪感を残す者たちが、まるで彼らを責め立てるかのように亡霊となって現れていく。
ミリルの前には、かつて守れなかった小さな妖精たち。
獅鳳の前には、クトゥルフ戦争で命を落とした血まみれのドアダ兵たち。
そして雷音と雷華の前に現れたのは、羅刹でも羅漢でもなかった。
「雷音様……雷華様……」
優しい声。
その声を耳にした瞬間、雷音の表情が強張った。
「……嘘だろ」
霧の中から、ゆっくりと一人の老人が姿を現す。
幼い頃から二人を見守り、育ててきた老人。
雷音たちのじいや――チョドゥル・カルマストラ一世だった。
「……やめろ」
雷音の拳が震える。
「その姿だけは使うんじゃねぇ」
そんな雷音を見下ろしながら、クズルーンが薄く笑った。
「怒った?」
頬杖をつくような仕草で雷音を眺める。
「なら、効いてる証拠ね」
幻影のチョドゥルが、ゆっくりと雷音へ手を伸ばした。
「雷音様。こちらへおいで下さい」
優しい声だった。
あまりにも優しすぎる、記憶の中と変わらない声。
だからこそ、その声は雷音の胸を深く抉った。
「兄よ!」
雷華が叫ぶ。
「惑わされるな!」
「分かってる……」
雷音は答えた。
頭では分かっている。
目の前にいる老人は偽物だ。
そんなことは、とうに理解している。
それでも――身体が動かなかった。
「分かってるんだけどよ……!」
幻影の老人が、さらに一歩近づく。
その瞬間だった。
ドォン!!
「――っ!?」
黒い拳が横から飛び込み、亡霊の顔面を真正面から叩き潰した。
「……え?」
雷音が目を見開く。
衝撃で周囲の霧が一気に吹き飛び、砕け散った幻影の向こうに、一人の男が立っていた。
黒衣。
黒髪の長髪。
そして先ほど現れた偽物とはまるで違う、険しく、不機嫌そうな表情。
「いつまで偽物相手にボサッとしている、雷音」
その声を聞いた瞬間、雷音の顔が輝いた。
「……羅漢兄!」
そこに立っていたのは――本物の乂羅漢だった。




