乂阿戦記7 第二章 灰燼の覇王と不滅の将軍-3 誘拐されたお母さん
――その頃、また別の場所では。
白阿魔王城・覇王執務室。
「……なんだと?」
その一言で、室内の空気が凍りついた。
玉座にも似た巨大な執務椅子に座っていた男が、ゆっくりと顔を上げる。
覇王――乂阿烈。
勇者乂雷音たちの兄にして、白阿魔王・乂阿門の父。
そして、乂一族を束ねる最強最悪の長兄だった。
通信水晶の向こうで、報告兵が震える声を絞り出す。
《ほ、報告します……!》
《乂鳳月様が……誘拐されました!》
「……もう一度言え」
阿烈の声は静かだった。
あまりにも静かすぎた。
《キャノンボールレースを観戦されていた乂鳳月様――ホエル様が、冥界より現れた謎の拳法家によって拉致されました!》
「…………」
《さらに同行されていた紅阿様、阿乱様、熾音様も……》
報告兵の声が詰まる。
《連れ去られました……!》
次の瞬間。
バキィッ!!
阿烈が立ち上がっただけで、白亜の石床に蜘蛛の巣状の亀裂が走った。
「……母上を」
声が低くなる。
「紅阿を」
さらに低くなる。
「阿乱を」
拳が握られる。
「熾音まで……」
そして。
爆発するように闘気が噴き上がった。
窓ガラスが一斉に砕け散り、白阿魔王城全体が大きく震える。
「さらった、だと……?」
その場にいた重臣たちが一斉に青ざめた。
普段の阿烈は豪快だ。
多少の無礼なら笑って流す。
戦場では鬼神そのものだが、家族の前ではただの過保護な兄であり父親でもある。
だが――。
家族へ手を出された時だけは違う。
そこだけは、覇王の逆鱗だった。
「阿門を呼べえええええ!!」
阿烈の怒号が城中へ響き渡った。
数秒後。
白い外套を纏った偉丈夫が、転移魔法陣の中から姿を現す。
白阿魔王――乂阿門。
阿烈の長男にして、冷静沈着な魔王の器を持つ男。
「親父。緊急召集と聞いたが――」
途中で言葉が止まった。
父親の顔を見た瞬間、理解したのだ。
これは、ただの事件ではない。
「……ホエル祖母ちゃんをさらった!?」
「ああ」
阿烈は笑った。
確かに笑っている。
だが、その笑みは完全に獣のものだった。
「冥界から甦った、どこの馬の骨とも知れん拳法家だそうだ」
「そいつが?」
「母者と子供たちをさらった」
阿門の目がゆっくりと細くなる。
「親父ぃ……」
「ああ」
「ソイツ、殺すか?」
さすが親子というべきか。
こういう時だけは、二人の思考回路は恐ろしいほど似ていた。
「すぐには殺すなぁ〜」
阿烈が即答する。
「死にたいと懇願するまで痛めつけてからブッ殺せえええええっ!!」
「了解だぜぇ〜」
「ワシの家族に手を出したらどうなるか、いつも通り分からせろおおおお!!」
阿門はボキボキと腕を鳴らした。
「承知した。にしても……ホエル祖母ちゃんに手を出す馬鹿が、まさか雷帝デウスカエサル以外にもいやがるとはな」
「世の中には命知らずが多いらしい」
「白阿魔王軍を即時編成する」
「全軍出せ」
阿門が僅かに目を見開いた。
「全軍か?」
「ああ」
阿烈は外套を羽織る。
「今かき集められる戦力を、全部だ」
その目に覇王の炎が宿った。
「冥界の居城へ攻め入る。相手が死者だろうが、冥王だろうが、神だろうが関係ない」
一歩踏み出す。
「ワシの家族に手を出した時点で――」
城全体を震わせるほどの怒号が響いた。
「そいつは、この覇王乂阿烈の敵だ!!」
⸻
一方その頃。
冥界ヘルヘイムの奥深く。
黒い山脈に囲まれた荒野に、古びた巨大城塞がそびえていた。
その名は――《不滅将軍の居城》。
城壁には死者の兵が並び、風一つないというのに黒い旗だけが不気味にはためいている。
その玉座の間。
一人の男が、腕を組んで座っていた。
灰色の髪。
全身に刻まれた無数の傷。
だが背筋は真っ直ぐ伸び、拳法家として鍛え抜かれた肉体は、死者とは思えないほど力強い。
冥界の亡霊たちは、その男をこう呼んでいた。
――不滅の将軍。
その傍らには、一人の美女が座っている。
おっとりとした微笑みを浮かべた女性。
乂鳳月――ホエルだった。
「あのぉ……」
鳳月は困ったように微笑む。
「そろそろ家へ帰していただけると嬉しいのですが……」
男は鳳月をじっと見つめた。
やがて。
なぜか頬を赤らめる。
「……美しい」
「はい?」
「おぬし、名は?」
鳳月は少しだけ目を丸くした。
「あら、やだアナタ」
そして、当たり前のように答える。
「乂鳳月――ホエルですよ、舜烈さん」
「ホエル……」
男は、その名を確かめるように何度も口の中で繰り返した。
「不思議だ」
「何がでしょう?」
「初めて会った気がせん」
鳳月はきょとんと首を傾げる。
「まあ……そりゃあ……ねえ?」
その少し後ろでは、紅阿と阿乱が大喜びしていた。
「パパだー!」
「絶対パパだよ! 雰囲気がパパだもん!」
紅阿が満面の笑みで男へ抱きつく。
阿乱も眼鏡を押し上げながら、興奮気味にまくし立てる。
「論理的に考えて、死亡したはずの父上が冥界から帰還した可能性が極めて高いです!」
「いや、ワシは……」
「おそらくユグドラシルの反物質エネルギー暴走が舜烈父様の魂へ影響し、英霊体を形成。その肉体へ父上の魂が定着したものと推測されます!」
「待て。話を――」
「パパだー!」
「父上です!」
言い切られてしまった。
男――乂舜烈は眉をひそめる。
記憶が霞んでいた。
毒。
裏切り。
戦場。
妻の笑顔。
子供たちの声。
何かを思い出しかけるたび、頭の奥へ黒い霧がかかる。
「ワシは……」
舜烈は自分の手を見る。
「誰なのだ?」
その問いに、紅阿は迷わず答えた。
「パパ!」
阿乱も頷く。
「舜烈父上です!」
そして、事情をまるで理解していない熾音が、よいしょと舜烈の膝へよじ登った。
「ぱぱー」
「…………」
舜烈は完全に固まった。
三人の子供たちが、まっすぐ自分を見上げている。
記憶は戻らない。
それでも、その瞬間だけは胸の奥に妙な熱が灯った。
「……そうか」
舜烈は静かに呟く。
「おぬしたちは、ワシの子なのか」
鳳月が苦笑する。
「ええと……熾音ちゃんに関しては、事情が少々複雑でして……」
「よい」
舜烈は立ち上がった。
「ならば、ワシが守る」
「アナタ、話を聞いてくださいませ?」
だが舜烈は、すでに決めてしまっていた。
美しい女。
可愛い子供たち。
理由は分からない。
記憶も曖昧だ。
それでも胸が叫んでいる。
この者たちは、自分が守らなければならないと。
「今日より、この城をおぬしたちの家とする!」
「いえ、困ります」
鳳月は即答した。
「地球に買ったばかりのマイホームがありますので」
「ホエルよ」
「はい?」
舜烈は真顔で言った。
「ワシの妻になれ」
鳳月も真顔で返した。
「もう妻ですけれど?」
「…………」
紅阿と阿乱が一斉に拍手した。
「パパがママにまたプロポーズしたー!」
「感動的です!」
鳳月は頬へ手を添え、困ったように――それでいて少し嬉しそうに微笑んだ。
「あらあら、まあまあ……」
そして、少女の頃へ戻ったかのように頬を染める。
「ウフフ……どうしましょう❤︎」
その時だった。
城の外で凄まじい地鳴りが響いた。
冥界の空が、真紅に染まる。
「……何だ?」
舜烈が顔を上げる。
遠くから、尋常ではない殺気が近づいていた。
窓の外を覗き込んだ紅阿が、ぱっと顔を輝かせる。
「あっ! 阿烈兄様だ!」
阿乱も嬉しそうに手を振った。
「迎えに来てくれました!」
しかし。
城外へ現れた阿烈の表情は、まったく歓迎ムードではなかった。
白阿魔王軍。
覇王直属軍。
そして、乂一族の精鋭部隊。
今かき集められるだけの戦力を率いて、阿烈は冥界の大地へ降り立っていた。
その隣には阿門。
さらに背後には、無数の修羅の兵どもが並んでいる。
阿烈は城を見上げ、低く告げた。
「聞こえているかぁ――誘拐犯!!」
冥界の空が震える。
「母者と子供たちを返せええええ!!」
拳へ覇王の闘気が集まる。
「今すぐ返せば――楽に殺してやるぅぅぅ!!」
「どのみち殺すのかよ親父」
阿門が冷静に突っ込んだ。
城内。
窓辺へ歩み寄った舜烈は、遠くに立つ阿烈の姿を見下ろした。
その瞬間。
胸の奥が、わずかに痛んだ。
「……?」
懐かしい。
なぜか、そう感じる。
強烈な怒り。
それと同じくらい強い愛情。
そして――どこか自分に似た目。
だが、思い出せない。
「……なんじゃ、あの凶悪そうな男は」
「アナタの息子ですよ」
鳳月がぼそっと言った。
「何か言ったか?」
「いえいえ」
鳳月は笑顔で首を横へ振った。
舜烈は再び外を見る。
どうやら向こうはこちらを敵だと思っているらしい。
ならば拳法家として、返す言葉は一つだった。
舜烈は窓から身を乗り出す。
そして。
中指を立てた。
「誰だ、おぬしは!!」
阿烈の眉が跳ね上がる。
「ワシに文句があるなら――さっさとかかってこい!!」
舜烈が笑った。
「返り討ちにしてくれるわ!!」
数秒。
阿烈は完全に固まっていた。
そして。
「なんだとテメぇ、ゴルァァァァァァァァ!!?」
怒りが限界を突破した。
阿門が静かに軍杖を構える。
「親父」
「あぁ!?」
「開戦の命令をくれ」
阿烈は一歩前へ出た。
「全軍、聞け!!」
その一声で、冥界の風が止まる。
城壁の上では死者たちが武器を構えた。
白阿魔王軍も、一斉に臨戦態勢へ入る。
そして覇王は吠えた。
「城を落とせ!!」
阿烈の拳から、膨大な闘気が噴き上がる。
「ワシの家族を取り戻すぞォォォォォ!!」
「オオオオオオオオオッ!!」
白阿魔王軍が一斉に咆哮した。
対する不滅将軍の軍勢も、城壁の上で武器を掲げる。
父は、息子を思い出せない。
息子は、目の前の男が父だとは夢にも思わない。
死から甦った舜烈は、生前より幾分若い姿となり、その記憶も混濁している。
そして阿烈もまた、母と子供たちを攫った誘拐犯が、死んだはずの父親だとは考えもしなかった。
その一方。
さらわれたはずの鳳月たちは、なぜか城の中で楽しそうにしている。
「あらあら……」
鳳月は窓の外に並ぶ二つの軍勢を見ながら、頬へ手を添えた。
「また始まってしまいましたねぇ」
紅阿が首を傾げる。
「何が?」
鳳月は嬉しそうに微笑んだ。
「親子喧嘩です❤︎」
次の瞬間。
阿烈と舜烈。
互いを親子と知らぬ二人の闘気が、冥界の空で真正面から激突した。
乂一族史上最大級の親子喧嘩が――。
今、始まろうとしていた。




