乂阿戦記7 第二章 灰燼の覇王と不滅の将軍-1 "チクタクバンバン"の四人
巨人族王都地下――禁断の研究施設。
暗く湿った地下通路の果てで、巨大な鋼鉄製のドアが重々しい音を立てて開いた。
その奥に広がっていたのは、一見するとごく普通の研究室だった。
ただし、部屋の中央に鎮座する装置だけは明らかに異質だった。
三本の巨大な柱が三角形を描くように配置され、その頂点を透明な球体が繋いでいる。球体の内部では、禍々しい紫色のエネルギーが生き物のように蠢いていた。
そして、その装置の前には四人の男女が集まっていた。
黒紫法衣の策略家――アスラ・イシヅカ。
暗黒の戦乙女――クズルーン。
鷲人族の双剣士――フレースヴェルグ。
そして、ユグドシラルの情報屋――ラタトスク。
「やれやれ。チクタクバンバンの皆さん、ご集合ですか。思ったより早くて何よりです」
アスラが穏やかな笑みを浮かべると、クズルーンがすぐに口を開いた。
「当然でしょ! ラタトスクの情報網によれば、巨人族連邦政府は既にヘルヘイムへの全面封鎖を決定したそうよ! 淫魔族の紋章術でユグドラシルの暴走を抑え込むつもりみたいね」
「暴走を止めるには、それだけじゃ足りないんだよなあ~」
フレースヴェルグが楽しそうに口を挟む。
ラタトスクも端末を操作しながら肩をすくめた。
「まあ、実のところ俺たちの仕事は三聖の塔を現世に呼び出すことだ。あいつらが世界を守ることに関しちゃ、別に邪魔する気はないんだよな」
その言葉を聞きながら、アスラ・イシヅカは黒紫色のおかっぱ髪を指先で整え、にこやかに頷いた。
身にまとうのは神官服。細く閉じられたような瞳と柔和な笑顔も相まって、どこからどう見ても善良な聖職者にしか見えない。
――ただし、その笑顔の奥にあるものを知らなければ、だが。
「さて。本日の議題は三つです」
アスラは人差し指を立てた。
「一つ。ヘルヘイム支線で発生したユグドラシルエネルギー漏洩の利用方法」
続いて二本目の指を立てる。
「二つ。赤の勇者・雷音君たち、キャノンボール参加者の処理」
そして三本目。
「三つ。三聖塔を奈落から現世へ引き上げるための、追加エネルギー確保」
三本の指を立てたまま、アスラはにっこりと笑った。
「まあ、簡単に言えば――世界を少しだけ壊して、鍵穴を広げましょう、という話ですね」
「言い方が軽いんだよ、お前は」
そう吐き捨てたのは、鷲人族の双剣士フレースヴェルグだった。
ハシビロコウを思わせる巨大な嘴と鋭い眼光を持つ鳥人で、痩せぎすの肉体は全身が刃物のように研ぎ澄まされている。
腰には二振りの湾曲剣。
彼は机の上に足を乗せると、心底楽しそうに笑った。
「けどまあ、嫌いじゃねぇぜ。冥界ステージに死者の軍勢、そこへ勇者チーム突撃。おまけにユグドラシル漏洩付き。最高のクソゲーじゃねぇか」
「クソゲーを最高って言うな。計算が面倒になる。まあ、俺もたまにクソゲーするけど」
パソコン用の眼鏡を押し上げながら、少年が冷静に端末を操作する。
ユグドシラルの情報屋、ラタトスク。
小柄で身軽そうな体格に栗色の髪。どこか飄々とした雰囲気を漂わせているが、画面を埋め尽くす膨大な情報を一瞬で読み解いていく眼差しは鋭い。
「現在、ヘルヘイム支線の漏洩値は通常時の四百二十七倍。死霊反応も増加中。キャノンボール参加者は予定より十二分早く現場に接近してる」
「十二分早い?」
黒い戦鎧をまとった女が、椅子の背にもたれながら笑った。
暗黒の戦乙女、クズルーン。
長い黒髪を束ね、片目を妖しく細めた女傑。その口元には常に、人を試すような笑みが浮かんでいる。
「つまり雷音坊やは、また制限速度を守ってないってことね」
「守るわけねぇだろ、あの赤髪勇者。あいつのレースをテレビで観てたけど、なかなかクソゲーマーな走りをしやがる」
フレースヴェルグがげらげらと笑った。
「いいじゃねぇか。ああいう馬鹿は好きだぜ。罠に突っ込んでくる時、目がキラキラしてやがる」
「だから問題なのよ。アンタと同じ、クソゲーをこよなく愛する手合いだわ。絶対ロールプレイゲームとか縛りプレイで楽しむタイプよ」
クズルーンは指先で卓上の地図を叩いた。
「賢いフリをする馬鹿は読める。でも、ああいう『馬鹿をする賢いヤツ』は時々、理屈を蹴り破る。計算上は詰んでる局面を、根性と火力と友情と悪知恵で抜けてくるタイプ。放置すると一番厄介よ」
「同感ですね」
アスラは楽しげに頷いた。
「雷音君たちは愚かです。短絡的で、無鉄砲で、後先を考えない。ですが――」
そこで彼の笑顔が、ほんの少しだけ歪んだ。
「目の前で誰かが泣いていると、必ず走る。しかも定石を無視した手段で走り抜いてくる。これが非常に面倒くさい」
「面倒くさい、で済ませるのか?」
ラタトスクが画面から目を離さずに言う。
「巨人族政府も動いてる。シグルド、ホドリコ、封印術師隊、さらに淫魔王ジューダスまでヘルヘイムへ向かった。向こうで正面衝突になれば、こっちの仕込みが潰される可能性がある」
「だから、潰されないようにするんでしょう?」
アスラは微笑んだまま、中央の装置へ歩み寄った。
透明な球体の中では、紫色のエネルギーが心臓のように脈打っている。
その奥に浮かぶ、三つの小さな光。
――シルマリルリオンの欠片。
三聖塔を開くための鍵だ。
「ヘルヘイムは死者の国です。死者の魂、未練、怨念、喪失感。そこへユグドラシルエネルギーを流し込めば、どうなると思います?」
ラタトスクが即答した。
「死霊災害の増幅。本来ラグナロク開戦時に蘇るはずの死者の軍勢の前倒しの実体化。冥界地脈の逆流。最悪、ヘルヘイムの門が地上側に開く」
「正解です」
アスラは嬉しそうに手を叩いた。
「つまり、雷音君たちには英雄ごっこをしていただきます。死者を鎮め、参加者を守り、漏洩を止めようと走り回る。その間に我々は、漏れ出したエネルギーを三聖塔召喚装置へ吸い上げる」
「なるほどね」
クズルーンが愉快そうに笑う。
「勇者様が頑張れば頑張るほど、こっちは時間を稼げる。しかも失敗すれば、責任は巨人族政府とキャノンボール運営に押しつけられる」
「ええ。実に平和的でしょう?」
「どこがだよ」
フレースヴェルグは肩をすくめたが、その顔は笑っていた。
「で? 俺は何を斬ればいい?」
「貴方には、風牙麓の足止めをお願いします」
アスラが告げた瞬間、フレースヴェルグの目が輝いた。
「マジかよ。英雄・風牙麓か。いいねぇ、最高じゃねぇか」
「殺してはいけませんよ」
「は?」
「殺すと面倒です。咎の12家が本気で動く。ですので、あくまで足止めです」
「いや、そういう意味じゃなくて、俺は別に殺し屋じゃないから。剣士として勝負したいってだけだから。任務のついでにシグルドや風牙麓みたいな超大物剣士とバトれると思ってワクワクしてるだけだから!」
ラタトスクが呆れたようにため息をついた。
「戦闘狂って本当に燃費悪いな」
「うるせぇ情報屋。お前は後ろでポチポチやってろ」
「そのポチポチがないと、お前は三分で迷子になるだろ。つーか普通の難易度のゲームを、わざわざクソゲーレベルまで跳ね上げるだろ」
「俺はもう、常人じゃクリアできないようなクソゲーでないと満足できない体になっちまってるんだよ」
「自慢するな」
クズルーンがくすくす笑う。
「仲良しね、あんたたち」
「「どこがだ」」
二人の声が綺麗に重なった。
アスラは満足げにそのやり取りを眺めてから、今度はクズルーンへ視線を向けた。
「クズルーンさん。貴女には雷音君たちの精神面を揺さぶっていただきたい」
「精神面?」
「はい。ヘルヘイムには死者が出ます。つまり、過去に失った者、会いたかった者、罪悪感を抱く者――そういう幻影を見せるには最適な舞台です」
クズルーンの笑みが深くなった。
「なるほど。勇者ご一行に、都合のいい亡霊を見せろってことね」
「ええ。特に雷音君、雷華さん、ミリルさん、獅鳳君。この四人は揺さぶり甲斐がある」
「悪趣味ね」
「お嫌いですか?」
「大好きよ」
クズルーンは立ち上がり、肩に担いだ大剣を軽々と回した。
「いいわ。死者の国らしく、心を折る舞台を作ってあげる。泣くか、怒るか、壊れるか。どれに転んでも面白い」
「では、ラタトスク君」
アスラは最後に情報屋へ向き直った。
「君には情報封鎖を。アルゴー号、巨人族管理局、ヴァルハラ観測班。その通信を、少しだけ混線させてください」
「少しだけ?」
「ええ。完全遮断すると怪しまれます。半分だけ届く情報、遅れて届く警告、誤解を招く断片――」
そこでアスラは、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「人は情報がない時より、中途半端な情報を得た時の方が間違えやすい」
ラタトスクは口元を歪める。
「性格悪いな、あんた」
「よく言われます」
「褒めてない」
「知っています」
アスラは楽しそうに笑った。




