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乂阿戦記7 第一章 暗躍する黒紫衣の神官 アスラ・イシヅカ-10 そして冥界へ


部屋全体が眩い光に包まれた。


 シグルドが完成させた魔法陣を中心に膨大な情報が流れ込み、出席者たちの脳裏へユグドラシルの根幹構造が鮮明に映し出されていく。


 それは単なる数値や計算式ではなかった。


 巨大な根が九つの世界へ伸び、そこから吸い上げられたエネルギーが幹を巡り、無数の枝へと循環していく。


 脈動。


 呼吸。


 そして、悲鳴。


 まるで巨大な生命そのものと、意識を直接繋げられたかのようだった。


「これが……」


 クレオラが思わず息を呑む。


「これが、本当のユグドラシルの姿なの?」


 シグルドは静かに頷いた。


「ユグドラシルは巨大な発電施設じゃない。九つの世界と共生している、一つの生命体だ」


 光の中で、神樹の一部が赤く染まっていく。


「こいつを理解せず、ただエネルギーを搾り取るだけなら……いずれ必ず限界が来る」


 シグルドは副王候補たちを見渡した。


「ユグドラシルを理解することなしに、この国の未来を背負う資格はない」


「くっ……!」


 ジューダスが歯を食いしばった。


「まさか、ここまでユグドラシルが暴走寸前だったとはな……!」


 やがて光が収まり、ジューダスも自ら展開していた攻撃魔法陣を消した。


 先ほどまでの自信に満ちた態度は鳴りを潜めている。


 認めざるを得なかったのだ。


 自分の見通しが甘かったことを。


 そして、それほどまでに世界の危機が目前まで迫っていることを。


 クレオラは深く息を吸い、気持ちを切り替えた。


「シグルド兄様の案を基礎に、《エネルギー抑制法案》を全面的に組み直しましょう」


 シグルドが妹を見る。


「いいのか?」


「今は私の案に固執している場合ではないわ」


 クレオラはきっぱりと言った。


「世界が滅んだら、副王も政治も何もないもの」


 ジューダスは不満げに鼻を鳴らしたものの、反論はしなかった。


 ホドリコも安堵したようにクレオラの肩へ巨大な手を置く。


 その時だった。


 会議室の扉が勢いよく開かれた。


「緊急事態です!!」


 一人の従者が息を切らしながら駆け込んでくる。


「ユグドラシル北部支線にて、大規模なエネルギー漏洩を確認しました!」


「何ですって!?」


 会議室が一瞬で騒然となる。


 クレオラはすぐに立ち上がった。


「漏洩地点は?」


「現在特定中です! ですが、出力は急速に上昇しています!」


「第一級封印術師を派遣して! 現場周辺のエネルギー供給も可能な限り遮断するのよ!」


「はっ!」


 クレオラは一瞬だけ考えた後、ジューダスへ視線を向けた。


「ジューダス様」


「あ?」


「インキュバス族の紋章術なら、漏洩範囲そのものを圧縮できるはずですわね?」


 ジューダスが僅かに目を見開いた。


「……ほう」


「力を貸してください」


 一瞬の沈黙。


 やがてジューダスは口元を吊り上げた。


「フン……この淫魔王の力を借りたいと言うか」


「今だけは副王候補同士の争いを忘れてください」


「言われるまでもない」


 ジューダスは立ち上がり、赤黒い外套を翻した。


「いいだろう。ひとまず貴様を副王代理として、巨人族連邦評議会の指揮官と認めてやる」


「随分と上からね」


「ただし、あくまで代理だということを忘れるなよ」


「ええ。それで結構です」


 クレオラはすぐに次の指示へ移った。


「ホドリコ、シグルド兄様と共に現場へ向かって。封印術師も同行させます」


 ホドリコは無言で頷き、巨大盾を出現させる。


 その横でティンクが笑った。


「ホドリコも『任せて』って」


 シグルドも立ち上がり、再び空中へ魔法陣を描き始めた。


 その手際は異常なほど滑らかだった。


 無数の術式が絡み合い、転移座標が一瞬で構築されていく。


 ティンクが感心したように呟く。


「さすが、元有名考古学者にして冒険者にして宇宙刑事……」


「肩書きが多すぎるんだよ」


 シグルドが苦笑する。


「それに、この術式自体は俺の完全な独自技術じゃない」


「違うの?」


「ジキルハイド財団会長――ミスティルから借り受けた技術を改良したものだ」


 ジューダスが眉をひそめる。


「やはり外様の技術か」


「今はその議論をしてる場合じゃないだろ」


 その時。


「追加報告です!」


 従者が投影式ボードへ新たな情報を表示した。


「漏洩地点を特定しました!」


 赤い光点が地図上に浮かび上がる。


「ユグドラシル北部支線――冥界ヘルヘイム区域!」


 クレオラの顔色が変わった。


「ヘルヘイム……?」


「しかも……」


 従者が言葉を詰まらせる。


「キャノンボールレースのゴール予定地点、そのすぐ側です!」


「――冥界ヘルヘイムの、ゴール地点……」


 一瞬。


 会議室の空気が凍りついた。


 ヘルヘイム。


 九つの世界の中でも、死者と呪いが最も色濃く漂う冥界。


 そこへ今まさに、キャノンボール参加者たちが向かっている。


 そして、そのゴール地点のすぐ近くでユグドラシルの大規模エネルギー漏洩が発生した。


「……レース参加者が巻き込まれる」


 シグルドが低く呟いた。


「それだけじゃないわ」


 クレオラは扇子を握りしめる。


「ヘルヘイムの地脈は、死者の魂が流れる霊脈と直結している。そこへ高濃度のユグドラシルエネルギーが流れ込んだら……」


 ジューダスが忌々しげに舌打ちした。


「死者の軍勢が暴走する」


 視線を地図へ落とす。


「最悪の場合、冥界と生者の世界を隔てる境界そのものが破れるぞ」


 会議室にざわめきが走った。


 ホドリコは何も言わず、巨大盾を強く握り直す。


 ティンクが彼女の顔を見て頷いた。


「ホドリコは『今すぐ現場へ行く』って」


「当然よ」


 クレオラは即座に立ち上がった。


「副王代理として命じます」


 会議室全体へ声を響かせる。


「ヘルヘイム北部支線漏洩事故を《第一級世界災害》に認定!」


 出席者たちの顔つきが一変する。


「シグルド兄様、ホドリコは封印術師部隊と共に現場へ急行。ジューダス様は管理局から広域封鎖術式を展開してください!」


「命令されるのは気に食わんが……」


 ジューダスが赤黒い外套を翻した。


「今回は従ってやる。この淫魔王の紋章術、とくと見せてやろう」


 シグルドの前では、すでに巨大な転移魔法陣が完成しつつあった。


「クレオラ。雷音たちには?」


「アルゴー号へ緊急通信を入れるわ」


 クレオラは通信端末を掴んだ。


「……といっても、雷音君たちは間違いなく巻き込まれるでしょうけど」


 シグルドが苦笑する。


「止めても無駄だろうな」


「ええ」


「なら、最初から巻き込まれる前提で作戦を組むしかない」


「不本意だけど同意するわ」


 その言葉と同時に、緑色の光が会議室を包み込んだ。


 シグルド。


 ホドリコ。


 ティンク。


 そして数名の第一級封印術師たちが、光の中へ消えていく。


 残されたクレオラは窓辺へ歩み寄った。


 雲海の遥か向こう。


 巨大なユグドラシルの影が、空と大地を繋ぐようにそびえている。


「お願い……」


 クレオラは小さく呟いた。


「間に合って」


 ⸻


 その頃――。


 冥界ヘルヘイムへ続くキャノンボールコースでは、そんな緊急事態など知る由もなく、雷音たちが相変わらず全速力で爆走していた。


「うおおおおおお!! 次は冥界ステージだァァァ!!」


 雷音がハンドルを握りながら叫ぶ。


 その横で、雷華の顔が真っ青になっていた。


「兄よ! だから速度落として! コース案内に『死者の霧注意』って書いてあるでしょ!」


「注意ってことは、気をつけながら突っ切れって意味だろ!」


「違〜う!!」


「なんでそういう解釈になるんだよ!」


 獅鳳までツッコむ。


 後部座席では、ミリルが観光案内図を広げていた。


「むむむ……ヘルヘイム名物、死者の温泉まんじゅう……これは気になるのだ」


「今それどころじゃないだろ」


 獅鳳が呆れたように言う。


「しかも死者の温泉まんじゅうって食って大丈夫なのか?」


「そこは現地で確認なのだ」


「食う気満々かよ!」


 そんな会話をしていた、その時だった。


 前方の空が――黒く裂けた。


「……ん?」


 雷音の表情が変わる。


 灰色の霧。


 空を走る黒い雷。


 そして巨大な根のようなものが空間そのものを突き破り、ヘルヘイムの大地へ深々と突き刺さっていた。


 その傷口から、禍々しい紫色の光が大量に漏れ出している。


 ミリルが案内図を放り出した。


「まずいのだ……!」


「どうした?」


「あれ、ユグドラシルエネルギーの漏洩反応なのだ!」


「漏洩?」


 雷音が首を傾げる。


「ガソリン漏れみたいなもんか?」


「規模が違うのだ!」


 ミリルが叫ぶ。


「下手したら世界が吹っ飛ぶのだ!!」


「なんで毎回そうなるんだよ!?」


「お前が言うな!!」


 雷華と獅鳳のツッコミが重なる。


 しかし次の瞬間。


 霧の向こうから、何かがゆっくりと姿を現した。


「……おい」


 雷音の声から冗談が消える。


 一体。


 二体。


 十体。


 百体。


 鎧を身につけた骸骨兵。


 首のない騎士。


 身体の半分が霧へ溶けた亡霊。


 無数の死者が、紫色のエネルギーに引き寄せられるように集まり始めていた。


 そして、そのさらに奥。


 巨大な影がゆっくりと立ち上がる。


 腐敗した翼。


 剥き出しになった白骨。


 眼窩の奥で燃える青白い炎。


 死者の竜だった。


『生者ヨ……』


 地鳴りのような声が響く。


『帰レ……』


 雷華が剣を抜いた。


「兄さん」


「ああ」


「どうするの?」


 雷音は一瞬だけ黙った。


 死者の軍勢。


 暴走するユグドラシル。


 そして、その向こうにあるゴール地点。


 やがて口元を吊り上げた。


「決まってんだろ」


 拳へ紅蓮の炎が宿る。


「ゴール地点が危ねぇなら――」


 雷音はアクセルを限界まで踏み込んだ。


「俺たちが一番乗りで助けに行く!!」


「だから突っ込むなって言ってるでしょおおおおお!!」


 雷華の悲鳴が響く。


 マシンが一気に加速した。


 死者の竜が咆哮する。


 骸骨兵たちが武器を掲げる。


 そして雷音たちは、その真正面へ突っ込んでいった。


 その遥か後方。


 ヘルヘイムの空に、三つの光が浮かび上がる。


 シルマリルリオン。


 三聖塔を開く、因果の鍵。


 その光に呼応するように――。


 冥界のさらに奥深く。


 誰も近づかぬ黒い宮殿。


 その玉座で、一人の何者かがゆっくりと目を開いた。


「……来たか」


 冷たく、深い声。


 それでいて、どこか懐かしさを感じさせる声だった。


 闇の中で巨大な鎌が、青白い光を放つ。


「勇者たちよ」


 玉座の主が静かに立ち上がる。


「ならば、見せてもらおう」


 鎌の刃が闇を裂いた。


「生者の意志が――死者の国を超えられるかを」


挿絵(By みてみん)

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