乂阿戦記7 第一章 暗躍する黒紫衣の神官 アスラ・イシヅカ-9 巨人族副王候補者達
巨人族王都――ハーゲンシュタット。
雲よりも高い位置に築かれた天空都市は、巨人族の文化と誇りを象徴する巨大城壁都市だった。
高層建築の外壁は削り出した岩山のように荒々しく、その間を縫うように整備された大通りは、人間たちの都市とは比較にならないほど広い。
道路を構成する石畳一枚だけでも、通常の家屋ほどの大きさがある。
車線の幅に至っては二十メートルを超え、巨人族用の馬車や巨大魔導車両が悠々と行き交っていた。
そんな巨大都市の中心部。
周囲の建物さえ見下ろすほど巨大な円筒形の塔が、天を突くようにそびえている。
世界最大級の魔力炉を擁する――《ユグドラシルエネルギー管理局》本部。
現在の巨人族国家における政治、軍事、そしてエネルギー政策の中枢だった。
巨人族にとって、ユグドラシルエネルギーは単なる動力源ではない。
それは信仰であり、誇りであり、長い歴史の中で巨人族へ繁栄をもたらしてきた神樹からの恩恵でもあった。
だからこそ、この力に依存することそのものが、彼らの文明とアイデンティティの一部となっている。
「だが、それは同時に諸刃の剣でもある」
管理局最上階。
統括会議室に、重々しい声が響いた。
巨大な長机を囲んでいるのは、現国王アング・アルテマレーザーをはじめとする各部門の長官、軍部の将軍、そして参謀たちだった。
その最前列。
一際巨大な体躯を持つ軍服姿の男が、腕を組んで座している。
巨竜王――アング・アルテマレーザー。
現在のユグドラシル管理政策における最高責任者でもある。
「最近のユグドラシルエネルギー消費量は、過去五年間で百五十八パーセント増加している」
財務大臣が投影式ボードへデータを映し出した。
「これは明らかな異常値です」
表示された数値を見て、ある者は眉をひそめ、ある者は深いため息をつく。
財務大臣が表示を切り替えた。
「問題は消費量だけではありません。過剰なエネルギー採取によって、ユグドラシルそのものへ蓄積される負荷も急激に増大しています」
グラフに赤い線が浮かぶ。
年を追うごとに、その傾斜は急激になっていた。
「このままではエネルギーが枯渇するどころか、ユグドラシルそのものが制御不能の暴走状態へ突入する可能性が高い」
その言葉を境に、会議室の空気が一気に重くなった。
誰も軽々しく口を開こうとはしない。
ユグドラシルの暴走。
それが意味するものを、この場にいる者たちは理解していた。
⸻
その後。
ユグドラシルエネルギー管理局中央ホール。
大理石で造られた巨大階段を上った先にある特別会議室では、四人の副王候補が一堂に会していた。
巨大な円卓を囲みながら、それぞれが互いの出方を窺っている。
最初に沈黙を破ったのはクレオラだった。
扇子を口元へ添え、紫色の髪を優雅に揺らしながら、向かい側に座る男へ視線を向ける。
「兄さん……まさか、あなたまでこの会議へ出席するとは思わなかったわ」
驚いている。
だが、その声に隙はない。
兄を見る目にも、政治家としての冷静さが残っていた。
対するシグルドは、堂々と椅子へ腰掛けている。
端正な顔立ちと金色の瞳は以前と変わらない。
しかし、その眼差しには以前にはなかった深い思索と覚悟が宿っていた。
「クレオラ。お前一人に、この重責を背負わせるわけにはいかないと判断した」
「余計なお世話、と言ったら?」
「それでも出席する」
「相変わらず頑固ね」
「お互い様だろう」
二人の間に、微妙な火花が散る。
その横では、ホドリコ・ノゲノーラが無言のまま二人を見つめていた。
重厚な鎧に包まれた巨体。
背には巨大盾。
クレオラの親友にして護衛でもある女巨人は、何も言わないままでも圧倒的な存在感を放っている。
やがて鋭い眼差しを兄妹へ向けた。
その肩のそばに浮かんでいた妖精ティンクが、代わりにため息をつく。
「ホドリコが『会議中よ。兄妹喧嘩なら外でやりなさい』だって」
クレオラがホドリコを見る。
「喧嘩ではないわ」
ホドリコは無言。
「……何よ、その顔は」
「『どう見ても喧嘩』だって」
「言ってないでしょう!?」
「顔を見れば分かるのよ」
「相変わらず恐ろしい通訳能力ね……」
その時だった。
会議室の扉が勢いよく開く。
「フン!」
現れた男に、室内の空気が再び変わった。
赤紫色の水晶冠。
蛇を思わせる鋭い眼光。
淫魔王――ジューダス・クロベル。
四人目の副王候補だった。
「シグルドが記憶を取り戻したとは聞いていたが……まさか、この場へ顔を出すとはな」
ジューダスは大げさに両腕を広げ、そのまま円卓へ歩み寄る。
「これは実に面白い展開になってきた」
シグルドは冷静に視線だけを向けた。
「面白がるために来たのか?」
「まさか」
ジューダスは空いていた椅子へ腰を下ろす。
「副王の座は一つしかない。その事実を確認しに来ただけだ」
そして自信満々に胸を張った。
「そして、その座に最も相応しいのは――この私、ジューダス・クロベルだ」
「始まったわね」
クレオラは呆れたように扇子を閉じた。
「あなたたちが副王の座について何を考えていようと、今はどうでもいいわ」
円卓中央に巨大なスクリーンが展開される。
「今、私たちが最優先すべきなのはユグドラシルの暴走を防ぐことよ」
複雑な数値とグラフが次々と映し出された。
「そこで、私から《エネルギー抑制法案》を提出するわ」
クレオラが指を動かす。
「各都市の反物質エネルギー使用量へ上限を設定し、軍需、娯楽、民間工業を含む高消費施設へ段階的な規制をかける。短期的な経済損失は避けられないけれど、ユグドラシルへの負担は確実に軽減できる」
ホドリコが真剣な眼差しでデータを見る。
ジューダスは腕を組みながら鼻を鳴らした。
シグルドだけは何も言わず、表示された計算式をじっと見つめている。
やがて眉を寄せた。
「クレオラ」
「何?」
「この計算式……根本の前提が違う」
クレオラの表情が僅かに硬くなる。
「どういう意味?」
「消費量だけを抑えても、問題は解決しない」
シグルドが立ち上がる。
「ユグドラシルの負荷は、単純な採取量だけで決まっているわけじゃない。世界間を流れるエネルギー循環そのものが歪み始めている」
「循環?」
「ああ」
シグルドは右手の手袋を外した。
「俺――というより、俺の研究チームが解析した独自データがある」
指先で空中へ術式を描く。
複雑な魔法陣が瞬時に組み上がり、会議室全体が淡い緑色の光に包まれた。
「これは……」
クレオラが目を見開く。
魔法陣の中央。
そこに巨大な樹木の立体映像が浮かび上がった。
ユグドラシル。
幹から枝へ。
枝から九つの世界へ。
さらに各世界から再び神樹へ戻っていく膨大な魔力の流れが、無数の光となって再現されている。
まるで本物のユグドラシルが呼吸しているかのようだった。
出席者たちが思わず息を呑む。
ホドリコも感嘆したように僅かに目を見開いた。
だが、その横で。
「ほう……」
ジューダスが冷笑を浮かべる。
「相変わらず大した才能だな、シグルド」
ゆっくりと立ち上がる。
「それは魔王ミスティルの会社が開発した技術の流用か?」
「共同研究だ」
「同じことだろう」
ジューダスの目が細くなる。
「我ら巨人族の命運を左右する問題へ、外様の勢力を介入させる。その危険性を理解しているのか?」
「技術に出自は関係ない」
「甘いな」
ジューダスがシグルドへ一歩近づいた。
「技術を借りれば、いずれ政治へ口を出される。政治へ口を出させれば、最後には国そのものを食われる」
「だから何もしないのか?」
「そうは言っていない」
二人の視線がぶつかる。
その瞬間。
ジューダスの指先が、ほんの僅かに動いた。
誰にも見えないほど小さな魔力の揺らぎ。
だが、クレオラは見逃さなかった。
「ジューダス」
扇子が閉じる。
鋭い音が響いた。
「その術式を消しなさい」
「何のことだ?」
「とぼけないで」
クレオラの視線が冷える。
「ここで騒ぎを起こすつもりなら、容赦しないわ」
ジューダスは一瞬黙った後、楽しげに笑った。
「容赦しない?」
不可視だった魔法陣が、紫色の光となって空間へ浮かび上がる。
「上等ではないか」
ジューダスは堂々と両腕を広げた。
「副王候補同士の力比べ。実に巨人族らしく、健全だとは思わんか?」
その瞬間。
ドン!!
巨大な盾が二人の間へ突き立てられた。
ホドリコだった。
「…………」
無言の女巨人が、ジューダスを睨みつける。
その肩の横でティンクが腕を組んだ。
「ホドリコが『世界を守ろうとしているクレオラの努力を踏みにじるつもりなら、私が相手になる』だって」
「ほう」
ジューダスの笑みが深くなる。
「ジャイアントミノタウロスの姫まで私に牙を剥くか」
ホドリコは一歩も退かない。
クレオラも魔力を高める。
ジューダスの攻撃術式が輝きを増す。
緊張が限界まで高まった。
その時だった。
「待て」
シグルドの声が響いた。
全員の視線が集まる。
彼の前に展開されていた巨大魔法陣が――完成していた。
次の瞬間。
ユグドラシルを模した光の樹が、激しく脈動した。




