乂阿戦記7 第一章 暗躍する黒紫衣の神官 アスラ・イシヅカ-4 クレイジーナックルの訃報
巨竜王アングの居城――巨人王都ハーゲンシュタット。
その一角に設けられた軍議場で、将軍たちが今後の作戦について議論を交わしていた。
その時。
重厚な扉が勢いよく押し開けられ、一人の女兵士が飛び込んでくる。
「報告!!」
切迫した声が広間中へ響き渡った。
巨竜王アングの側近である“淫魔王”ジューダス・クロベルが振り返る。
「どうした? 何があった?」
女兵士は額の汗を拭うことすら忘れ、荒い息のまま告げた。
「クレイジーナックルが死亡しました!!」
軍議場が静まり返る。
「正体不明の暗殺部隊による襲撃を受けた模様です! さらに、その際に彼が保有していた研究レポートも奪われました!」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、広間が騒然となった。
「なんだと!?」
「すぐにアング王へ報告を!」
「暗殺部隊の所属を洗え!」
将軍たちが慌ただしく動き始める。
しかし、その中でただ一人。
ジューダス・クロベルだけは、奇妙なほど落ち着き払っていた。
「ふん……クレイジーナックルが暗殺、ねぇ」
ジューダスは顎へ手を添える。
「十四天士隊副隊長まで登り詰めた、あの超竜が……そう易々と殺されるとも思えんが」
周囲の騒ぎをよそに、ジューダスの口元へ薄い笑みが浮かぶ。
「ふん。超竜め……いったい何を企んでいやがる?」
⸻
その頃。
巨人王都ハーゲンシュタットの、とある会議室。
薄暗い室内で、二人の男が密談を交わしていた。
一人は、白衣を纏った痩せぎすの老人。
十一人委員会第六席――Dr.レコキスタ。
「ふむ……思ったより簡単に事が進んだな」
レコキスタが喉の奥でくつくつと笑う。
「いやぁ、少々報酬を払いすぎましたかねぇ」
向かいに立つ男が、愛想のいい笑みを浮かべた。
老科学者の秘書官。
神官服を纏った胡散臭げな男――アスラ・イシヅカ。
「フリーランスの暗殺部隊相手とはいえ、あれだけ払えば喜んで仕事をしてくれますよ」
「構わん」
レコキスタは杖を床へ軽く打ちつけた。
「反物質エネルギー利権に関する証拠を握っていた、あの男さえ消せればな。あとはどうとでもなる」
そこで老人の笑みが消える。
「……問題は、ナックルの息子だ」
アスラが首を傾げた。
「塵芥鏖ですか?」
「ああ」
「なぜそこまで気にするのです? 彼は所詮、ただの傭兵でしょう?」
その言葉を聞いた瞬間。
レコキスタの目が細くなった。
「お前が本当にその程度の認識なら、私の部下として置いておく価値はないな」
「これは手厳しい」
アスラは悪びれることなく肩をすくめる。
「ナックルの息子――塵芥はな。母親の遺志を引き継ぐ可能性を持っている」
「遺志?」
「そうだ」
レコキスタは椅子へ深く腰掛けた。
「あのクソガキは、一見すれば粗暴なチンピラにしか見えん。だが、実際には非常に頭が切れる」
「ほう」
「母親であるミナ・アクターと、父親クレイジーナックルが残した研究内容を、奴はかなり正確に把握している。下手をすれば、失われた研究データの一部を頭の中だけで再構築することさえ可能だろう」
アスラの笑顔が、僅かに薄くなった。
「それは確かに……少々厄介ですね」
「それだけではない」
レコキスタは続ける。
「奴の現在の雇い主は、ミスティル・クロケルだ」
「次期十一人委員会第五席候補……」
「そうだ。英雄シグルド・スカーレットとも深い関係を持つ男だ。今後こちら側へ食い込んでくる可能性は高い」
「なるほど、なるほど」
アスラは何度か頷くと、にやりと笑った。
「では、超竜を仕留めた傭兵部隊――チクタクバンバンに、もう一度連絡を入れておいた方がよさそうですね」
「うむ」
レコキスタは満足そうに頷いた。
「任せたぞ、アスラ」
「承知いたしました」
アスラは恭しく一礼すると、そのまま会議室を後にした。
扉が閉じる。
室内に残されたレコキスタは、一人で薄く笑った。
⸻
同じ頃。
巨人王都ハーゲンシュタット某所――ミスティル研究所。
ミスティル・クロケルの私室。
任務報告を終えた塵芥は、ソファへ深く腰を落としていた。
「……んで」
棒付きキャンディーを指先で弄びながら、淡々と口を開く。
「親父は、クソ暗殺者が投げ込んできた“爆弾”と一緒に無に帰った」
その声音は驚くほど平坦だった。
だが、握られた拳には力が入り、抑えきれない怒りが滲んでいる。
「そうか」
ミスティルは短く答えた。
普段と変わらない冷静な表情。
しかし、その瞳の奥にも確かな怒りが宿っていた。
しばらく沈黙が続く。
やがて塵芥が、話を切り替えるように口を開いた。
「ヴァルハラ内部の動きはどうだ?」
「オレの配下の諜報員によると、十一人委員会の中でアスラ・イシヅカを疑っている者はいない」
ミスティルは机の上に広げられた資料へ目を落とす。
「……少なくとも、表向きはな」
「そいつの正体は掴めたか?」
「ある程度は」
ミスティルは資料を数枚めくった。
「もともとはバベル社の幹部だった。それがある時期を境に、Dr.レコキスタの忠実な部下として動き始めている」
「レコキスタは怪しんでねぇのか?」
「まったく」
ミスティルは鼻で笑った。
「むしろ有能で便利な部下として、重宝しているらしい」
「……なるほどねぇ」
塵芥は棒付きキャンディーを口へ咥える。
部屋に短い沈黙が流れた。
「あんたは、これからどうするつもりだ?」
唐突な問いだった。
ミスティルは少しだけ目を伏せる。
そして、静かに答えた。
「オレは、おそらくこの戦いで大きく動くことになる」
「ほう」
「現時点では、アスラ・イシヅカを排除するのが最善だと考えている」
塵芥の目が細くなる。
「殺るのか?」
「必要があればな」
ミスティルの答えには迷いがなかった。
「今、この世界に生きる者たちにとって最優先すべき目的は、ユグドラシルの暴走を阻止することだ」
「ああ」
「だが、アスラ・イシヅカの立ち回りを見ていると……どうにも妙なんだ」
ミスティルは一枚の資料を机へ置いた。
「あいつ自身なのか、それとも背後で糸を引いている何者かなのかは分からない。だが、レコキスタを唆し、人類圏そのものを意図的に縮小させようとしているように見える」
「縮小?」
「人類圏の九割を切り捨てる」
塵芥の表情が変わる。
「……正気か?」
「本人たちにとっては正気なんだろう」
ミスティルは冷たく言った。
「全宇宙の安寧を守るためなら、人類の大半を消滅させても構わない。そんな思想だ」
「随分と立派な神様気取りだな」
「ああ。そして、その手の連中には心当たりがある」
ミスティルは椅子の背へ身体を預けた。
「エクリプス大戦の時にも似た思想を掲げ、暗躍していた組織がいくつか存在していた」
「アスラがそいつらと繋がってるってのか?」
「まだ断定はできない」
ミスティルは首を横へ振る。
「だが、やり口があまりにも似ている」
「…………」
「だから調べる。そして、必要なら潰す」
静かな声だった。
だが、その言葉に込められた決意は重い。
塵芥はしばらくミスティルを見つめていた。
やがて、キャンディーを口から抜く。
「アスラと敵対するなら、俺を使え」
ミスティルの視線が上がった。
「親父が言ってたよ」
「何を?」
「アンタのことを――“信頼できる雇い主”だってな」
ミスティルの瞳が僅かに揺れた。
「……そうか」
短い沈黙。
塵芥はソファから立ち上がる。
「だったら俺は、アンタの側に立つ」
冗談めかした笑みはなかった。
「あんたの味方をする」
その言葉に嘘はない。
父を失った怒りだけで口にしている言葉でもなかった。
塵芥鏖は、すでに自分の進む道を決めていた。
ミスティルはその顔をしばらく見つめた後、静かに頷く。
そして、手元の資料を閉じた。
「それでは――戦いの準備を始めよう」
「おうよ」
二人の間に交わされたのは、それだけだった。
契約書もなければ、誓いの言葉もない。
それでも、その瞬間。
傭兵と雇い主だった二人の間に、それまでとは違う確かな信頼が生まれていた。
そして同時に。
クレイジーナックルの死をきっかけとして、誰も知らぬところで巨大な陰謀が再び動き始めていた。




