終章- 刻のカケラを巡る-42 ハニートラップ・クライシス
――絶望は、二段構えで来る。
最強の敵が仕掛けたのは、
凍結と爆破の同時殺し。
仲間は崩れ、
戦線は壊滅寸前。
だが――
勇者は、諦めない。
これは、奇跡と狂気がぶつかる戦い。
\最終決戦、超加速/
アングマールが、ゆっくりと両腕を広げた。
その瞬間、戦場を覆う虚空に巨大な魔法陣が展開される。
幾重にも重なった白銀の術式。
そこから放たれる魔力は、単に温度を奪うという次元のものではない。
空間そのものを凍結し、時間さえ封じ込めてしまうのではないかと思わせるほどの、絶望的な冷気だった。
「――《永久凍土の檻》!」
アングマールの詠唱と同時に、巨大魔法陣が眩い光を放つ。
次の瞬間。
≪ゴォォォォォォォォッ!!≫
すべてを凍てつかせる極低温の奔流が噴き出し、アルゴー号を、そして機械神モルゴスを中心とする戦場一帯を呑み込もうとした。
「雷音! バルドル! シュリ! 退避しろ!」
アルゴー号の艦橋から、雷牙尊の怒号が飛ぶ。
しかし――遅い。
冷気の到達速度はあまりにも速く、その範囲も桁違いだった。
「姉様!」
機械神バルドルが咄嗟に前へ出る。
その巨体を盾とし、聖羅を庇おうとしたのだ。
「いや、バルちゃん……!」
聖羅の悲鳴も虚しく、白銀の冷気が二人へ迫る。
だが、その直前だった。
機械神モルゴスの内部から、突如として別種の力が噴き出した。
漆黒の闇を切り裂くように、一条の光がアングマールの魔法陣へ向かって走る。
「な……!?」
誰かが息を呑む。
「あれは……雷華の……!」
光が弾ける。
その中心から現れたのは――炎を纏った一体の機械神。
《クトゥグァ》。
そして、その中にいる少女は。
まだ、戻ってはいなかった。
≪ゴォォォォォォォォ!!≫
神雷炎が爆発する。
「くっ……このっ!」
クトゥグァから繰り出される猛攻を、《ドゥラグラグナ》を駆る獅鳳が辛うじて捌いていく。
拳。
蹴り。
炎。
雷。
同型に近い巨大機同士が、超至近距離で激突する。
≪ガァァァン!!≫
クトゥグァの拳をドゥラグラグナが受け流し、そのまま反撃へ移ろうとする。
――だが。
「しまっ――」
その一瞬の隙を突き、クトゥグァがドゥラグラグナの胴体へ組み付いた。
≪ギギギギギギギ……!!≫
二体の機械神が互いの腕を掴み、真正面から力比べを始める。
関節部から火花が飛び散り、装甲が軋む。
完全な膠着状態だった。
その向こう。
≪ギィィィィィィィィン……≫
巨大な眼球。
黒き怪球。
機械神――《モルゴス》。
その中心で。
風牙麓の顔をした魔王アングマールが、静かに笑っていた。
「死ねッ!」
その表情が、一瞬にして狂気へ変わる。
「塵に還れ、不浄なる者共よ!」
アングマールの咆哮と共に――虚空が白銀の爆炎に包まれた。
≪ドォォォォォォォォン!!!!≫
だが。
先ほどオームが解除したものは、あくまで目に見える氷の罠に過ぎなかった。
アングマールの真骨頂は、その一手先。
否。
二手先にある。
ナインライダーたちが戦闘の合間に機械的な統率で散布していたもの。
それは氷ではない。
極めて高純度に精製された、クリスタルのように透明な――高密度メタンハイドレート。
無色透明のそれは戦場の闇へ紛れ込み、機械神たちの関節部、スラスター、装甲の接合部分へと、誰にも気付かれることなく付着していた。
そして。
≪パチン≫
アングマールが指を鳴らす。
それが合図だった。
付着していた高密度物質が一斉に反応し、急激な気化と膨張を引き起こす。
≪ドドドドドドドドッ!!≫
外からではない。
内部から。
膨大な圧力が機械神たちの装甲を押し広げ、内部機構を破壊していく。
「ぐわあああああっ!?」
「システムダウン! 冷却系が……ッ! 氷点下と高熱反応が同時に来てる!?」
モニターに警告表示が乱舞する。
アングマールと交戦していた《ドゥラグラグナ》《ベリアルハスター》《バルドル》。
最強格を誇る三機が、内部から発生した膨張圧に耐え切れず、装甲を歪ませながら火花を散らした。
そして被害は、それだけではない。
ナインライダーを相手にしていた八機の機械神もまた、次々と動きを止めていく。
「これほどの……」
アルゴー号の艦橋で、雷牙尊が歯を食いしばった。
「これほどの戦力を集めておきながら……!」
敵は、単純に強いのではない。
ナインライダーという、個の感情を捨てた軍勢。
互いが互いを補完し、一つの巨大な機械の歯車のように機能する冷徹な連携。
一騎当千の力を持つ勇者たちが、その完璧なまでの集団戦術に翻弄されていた。
そして、さらに追い打ちをかけるように。
≪ゴォォォォォォォ!!≫
正気を失った雷華の《クトゥグァ》が、狂気じみた熱量を纏って迫ってくる。
「聖羅、紅茜、迦楼羅、ブリュンヒルデ!」
雷牙尊が叫ぶ。
「彼女たち――ブリューナクの《奇跡の歌》を直接ウンゴリアントへ叩き込め! そうしなければ洗脳は完全には解けん!」
だが。
近づけない。
ナインライダー。
モルゴス。
アングマール。
そして雷華。
あまりにも多すぎる敵が、彼らの行く手を塞いでいた。
――絶体絶命。
その時だった。
半壊したドゥラグラグナのコックピット。
激しく点滅する警告灯の中で。
雷音の瞳に――何かが閃いた。
それは勇者らしい妙案などではない。
むしろ。
悪魔的と呼ぶべき閃きだった。
「……野郎ども」
雷音がニヤリと笑う。
「こうなったら最終手段だ」
「……?」
獅鳳が嫌な予感に顔をしかめる。
雷音は力強く宣言した。
「作戦名――《ハニートラップ・クライシス》で行くぜ!」
「は……?」
獅鳳が固まる。
「お前、何を言って――」
説明などしない。
雷音は即座に外部広域モニターをジャックした。
≪ブゥン!!≫
戦場全域に、巨大なホログラムが投影される。
そこに映し出されたのは――。
現在、女体化している雷音。
絶世の美少女となった彼女が、メインパイロット席に座っている獅鳳の肩へ、これでもかというほど艶めかしく寄り添っていた。
「いぇ〜い、雷華ちゃん見てるぅ〜?」
「お、おい雷音……」
「お前がモタモタしてる間にぃ〜、アタシがこの獅鳳をいただいちゃうぞ〜❤」
雷音は獅鳳の頬へ顔を近づける。
「ほ〜ら見てみろ、この浮気現場! このままチュッてしちゃうかもね〜❤」
「「「「「…………は?」」」」」
戦場が。
凍った。
今度はコキュートス・ケージではない。
純粋な意味で、誰もが硬直したのである。
アングマールは呆然。
ナインライダーの統率すら一瞬だけ乱れ。
アルゴー号では、モニターを見ていたクルーの何人かが、口に含んでいた飲み物を一斉に噴き出した。
だが。
たった一人。
そのあまりにも幼稚な挑発が――核弾頭級の威力を発揮した相手がいた。
「…………し……」
クトゥグァのコックピット。
俯いていた雷華の身体が、小刻みに震える。
「しほ…………う……?」
その瞳から。
漆黒の絶望が消えていく。
代わりに宿ったもの。
それは正気ではない。
希望でもない。
煮えたぎる――嫉妬の紅。
「……泥棒猫」
ぼそり。
雷華が呟く。
「ぶっ殺す……」
「お?」
雷音の笑みが引きつる。
「お兄ちゃんだろうが……!」
雷華の髪が逆立つ。
「女になってようが……!」
炎が爆発する。
「獅鳳に触る女は全員――消し炭にしてやるぅぅぅぅぅぅぅ!!!!」
「ぎゃああああああ!? 効きすぎィィィィ!!」
雷音の顔が青ざめた。
「来るぞ! 獅鳳、避けてえええええ!!」
もはやツンデレなどという可愛らしい範疇ではない。
完全なるヤンデレ暴走特急と化した雷華は――。
なんと。
《クトゥグァ》そのものを乗り捨てた。
「なにィ!?」
≪ドォォォォォン!!≫
炎の翼を展開。
少女自身が、爆炎を撒き散らしながら戦場を突っ切る。
その進路は一直線。
目標。
ドゥラグラグナ。
より正確には――そのコックピット。
≪ガシャァァァァン!!≫
「雷音んんんんんん!!」
「ぎゃああああああ!!」
物理的に殴り込んできた。
「死ねぇぇぇ雷音ッ! 獅鳳から離れろぉぉぉぉ!!」
「痛い痛い痛い! 髪引っ張るな! やめろ! 抜ける! 女になっても毛根は大事なんだよ!」
「殺す殺す殺す殺すぅぅぅ!!」
「獅鳳、今だ!」
雷音は雷華を必死に羽交い締めにしながら叫ぶ。
「薬だ! タット先生からもらった丸薬! あれを飲ませろ!」
「丸薬!?」
「それでも正気に戻せるらしいぞ!」
「先に言え!!」
神々と機械神が激突する最終戦争。
そんな世界の命運を賭けた戦場のど真ん中で。
狭いコックピットの中だけは、完全に別世界だった。
「放せぇぇぇ!!」
「暴れんなって!」
「雷音殺す!」
「正気に戻ってからにしろ!」
「それ殺すこと自体は否定してねぇだろ!?」
獅鳳は丸薬を摘まみ、雷華の口元へ押し付ける。
「雷華、これを飲め!」
「んんんんっ!!」
だが雷華は頑として口を開かない。
獅鳳が右へ差し出せば、雷華は左を向く。
左から入れようとすれば、今度は右。
その間にも雷音は顔を引っ掻かれ、髪を引っ張られ、悲鳴を上げ続けている。
そして戦場では――。
この馬鹿騒ぎの間にも、事態は容赦なく進行していた。
アングマールが体勢を立て直す。
ウンゴリアントの破片を《シルマリルリオン》へと加工する邪悪な儀式は、既に最終段階へ入ろうとしている。
時間がない。
「ええい、面倒だ!」
遂に獅鳳が決断した。
「雷音、押さえてろ!」
「もう押さえてるっつーの!」
獅鳳は丸薬を自分の口へ放り込んだ。
「……は?」
雷音が固まる。
雷華も一瞬だけ動きを止めた。
そのまま獅鳳は雷華の顔を引き寄せ――。
唇を重ねた。
「――――」
時間が止まった。
今度こそ。
本当に。
「んんぅ……!?」
雷華の瞳が限界まで見開かれる。
薬効なのか。
それとも。
ずっと想い続けてきた相手から受けた、あまりにも直接的すぎる衝撃のせいなのか。
彼女の精神を縛っていた黒い鎖に、一気に亀裂が走った。
記憶が蘇る。
家族。
仲間。
聖羅。
そして。
目の前にいる獅鳳。
≪パキィィィン――≫
洗脳術式が砕け散った。
唇が離れる。
雷華は数秒間、呆然と獅鳳を見つめていた。
「……し……ほ……」
顔が真っ赤になる。
「ふにゃん……」
そして。
完全に情報処理能力を超えた。
幸福。
羞恥。
混乱。
感動。
嫉妬。
それらすべてが一気に脳へ流れ込んだ結果――。
「きゅう……」
雷華は白目を剥き、そのまま獅鳳の胸へ倒れ込んだ。
「雷華!?」
獅鳳が慌てて抱き止める。
「……気絶しただけだ」
雷音が、雷華の顔を覗き込みながら息を吐く。
その声から、先ほどまでのおふざけは消えていた。
「……帰ってきたんだな」
戦場では。
今も爆発が続いている。
仲間たちが戦い。
敵が迫り。
世界そのものが崩壊しようとしている。
それなのに。
その一言だけは、不思議なほど静かに響いた。
獅鳳は腕の中の雷華を見る。
そして、強く頷いた。
「……ああ」
その瞳に。
勇者の炎が戻る。
「今度は、絶対に離さねぇ」
――だが。
感動に浸る時間など、一秒たりとも与えられなかった。
≪キィィィィィン!!≫
突如。
ドゥラグラグナのコックピット内部に、魔法陣が出現した。
「なっ!?」
光が爆発する。
そして。
「――この浮気者ぉぉぉぉぉぉ!!!」
「げぇっ!?」
転移してきた少女が、雷音へ飛びかかった。
雷音の婚約者――ミリルだった。
「ミ、ミリル!?」
「雷音んんん!!」
「待て待て待て! お前、詠唱班だろ!?」
「ミレニア姉様に代わってもらったのだ!」
「そこまでして来たの!?」
「それより何なのだこれは!」
ミリルの指が。
獅鳳。
雷音。
気絶して獅鳳に抱かれている雷華。
その三者を順番に指していく。
「男と浮気!? それとも妹!? というかお前は今女なのだ! いったいどういう浮気なのだこれはぁぁぁ!!」
「だから作戦だって!」
その時。
通信回線へ、さらに余計な声が割り込んだ。
『おーい、雷音』
アキンドだった。
『お前、まさかのBLに目覚めたの?』
「違ぇよ!!」
『一応言っとくが、俺はお前とは友達であって、恋愛関係になるつもりはないからな』
「誰も誘ってねぇよ!」
少し間を置き。
『……まあ、でも女体化したお前なら割とアリかもな』
「余計ややこしくすんなぁぁぁ!!」
さらにアルゴー号の通信回線から、甲高い歓声が飛んでくる。
『きゃあああ!』
『私ね! 男の子は男の子同士、女の子は女の子同士で恋愛すればいいと思うの!』
『雷音&獅鳳! アリ! これはアリだわ!!』
リリスや神羅たちだった。
完全に面白がっている。
「違うぅぅぅ!!」
遂に雷音が頭を抱えた。
「これは作戦だ! 雷華を正気に戻すための作戦! 誤解だああああああ!!」
「やかましいッ!!」
≪ビリィィィィン!!≫
獅鳳の喝がコックピットを震わせた。
全員が黙る。
「雷音。ミリル」
獅鳳が低い声で告げる。
「痴話喧嘩は地獄の底でやれ」
「はい」
「なのだ……」
「今、周りを見ろ!」
モニターへ視線が集まる。
そこには。
ナインライダーに追い詰められる仲間たち。
半壊状態の《ベリアルハスター》。
傷ついた《バルドル》。
そして。
巨大な眼球へ破滅の光を集束させていく《モルゴス》。
その中心で。
アングマールが――こちらを冷笑していた。
「雷華は戻った」
獅鳳が静かに言う。
「だったら、戦力は揃ったはずだ」
彼は操縦桿を握る。
「……行くぞ!」
「……っ」
雷音もようやく表情を引き締めた。
「……ふぅ」
小さく息を吐く。
そして、獅鳳にだけ聞こえるよう呟いた。
「……ナイスフォロー。助かったぜ」
「聞こえてるぞ」
「へへっ」
雷音はすぐにミリルへ振り返った。
「ミリル。文句は後だ」
「むぅ……」
「《クトゥグァ》へ乗れ」
「何?」
「雷華は今、動けない。だが機体そのものは生きてる」
雷音はモニターに映る炎の機械神を指した。
「お前の魔力なら、俺と一緒に機体を制御できるはずだ」
ミリルは数秒だけ黙った。
そして。
「……うぬぬ」
頬を膨らませながらも、力強く頷く。
「分かったのだ!」
正気を取り戻した少女。
取り戻された、一つの絆。
だが。
戦場はまだ、何一つ終わっていない。
≪ギィィィィィィィィン……≫
モルゴスの巨眼へ、終焉の光が集まっていく。
アングマールが笑う。
ナインライダーが翼を広げる。
そして、傷ついた機械神たちが再び立ち上がった。
次の一手で――すべてが決まる。
最終決戦は。
ここからだった。




